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 レイアウトから拘り、選りすぐりの素材や匠の業が活かされた空間を飾る装飾品に、そこに相応しくあろうとする来訪者達の身に纏う衣装や飾りもまたきらびやかである。
 テーブルに並ぶ見た目も舌も満足させる料理に見合う見事な調度品。
 溢れ返る人のざわめきの中に紛れる優雅な音楽は古より愛されてきた名曲ばかり。
 だだっ広い空間を埋めるのは正に贅沢を形にしたそのものだった。
 そんな眩いばかりの光景を、吹き抜けの二階からジンは見事な誂えを施された椅子に座しながら詰まらなげに頬杖をついて見ていた。
 建物の中心をぶち抜いての円柱の空間だから、視線を上げれば三階四階だって見える。見えるが、それだけでジンはそれを見ようとしなかった。見たいものがそこに無いのだから当たり前だった。
 パーティーという事でジンも軍服ではなく女性らしさを強調したドレスを着ている。角度によって金色の花の刺繍が煌めくミッドナイトブルーのローブ・デコルテだ。控えめの翠玉のネックレスは日頃布で隠れて陽に触れない白い肌に映え、更にシャンデリアの明かりに依って真珠のような艷を放つ。
 金の髪は結いもしていないが、そのままの方がドレスの色と相まってより美しく輝いた。
 組んでいるのでドレスの裾から細い足が覗いていて思わず目を留めてしまいそうだが、ジンの憤懣に満ちた翠の眼差しが恐ろしくて皆は自然と視線を逸らす。
 それほどまでに美が追求された存在に人が魅了されない筈がないが、ジンは独りで退屈そうに視線を游がしていた。
 周囲は雑談に興じているが、話題に乏しいのとそれ以前に会話をするのが億劫という意思があってジンは参加をしていない。しかも面白くないと明らかに顔と態度が物語り、厳酷な目付きをしているジンの周りは疎遠気味に空間がぽっかりと空いていた。その方がジンにとっても好都合で好ましい。
 ここで行われているのは統制機構が主催するパーティーであるが、本部から近いタウンの会場という事もあって人が集まる。
 世界を管理しているような大きな組織だから法人だが何だかよく解らないお偉い人間も喚んでいるそうだが、一介の軍人の自分には関係無いと知らん顔を決めている。
 招待客の中には、女の身でありながら『英雄』と謳われている自分を一目見たいという輩がいるが、見世物にされているようで気分が悪い。
 そんな不躾な輩と挨拶程度も交わす気にもなれず、こうやって無愛想を振り撒いて自ら距離を作っている。

――何でこんなパーティーに参加したんだろう……。ああ、そうだ。本部から参加するように言われたのを無視しようとしたらツバキに散々注意を受けて、仕方無く、嫌々で来たんだっけ……。

 そんな記憶に僅かながら怒りを覚え出してきた頃に、横からトレイに乗せられたカクテルグラスが差し出された。
「ご機嫌が麗しくないようで。一杯如何ですか? ミス・キサラギ」
 胸に手を当てて会釈するような格好で芝居がかった言葉を紡ぎながら飲み物を差し出してきたのはハザマであった。
 周囲が静かにざわつくが、二人は全く意に介さず視線の高さを合わせる。
 諜報部に属するハザマは知る人ぞ知る“奇人”であった。常に薄い笑みを纏い、飄々とした振る舞いに何を考え何を目的としているか同じ部隊の人間でも理解し難い。
 そんな彼だからこそ腹に抱えてる一物は計り知れず、並の神経なら近寄る事も躊躇われるであろう沸点の低そうなジンに平然と近付けるのだ。
 ジンはナイフのような目付きでぎらりとハザマを睨んでいたが、ふうと溜め息のような息をついて空いていた手でグラスを受け取った。
 口に近付けると甘いジュースのような香りが鼻を突いてぴくんと眉間に皺が寄るが、くいっと喉へ流した。
「……甘い」
「おや、それは失礼」
 全くその気が無さそうに謝罪するハザマを無視してテーブルにグラスを置く。甘いと文句は言うが、飲めない程ではない。
 ハザマは隣のテーブルから椅子を引いてくると軽い身の熟しでそれに座る。いつものコートとは違う、礼服の燕尾がゆるりと垂れる。
「いやあ〜。先程の貴女は輝いていましたね〜。見ててゾクゾクしましたよ」
 先程、という単語にジンは少しだけ記憶を振り返ってみて納得した。
「ああ、あれか……。貴様は変態か」
「いやですねえ。“貴女”にじゃなく“相手の顔”に、ですよ」
「……やはり変態だな」
 送迎の車に送られてから会場に入りここへ上がって来るまでの間ずっと酒や雑談、果てはダンスの誘いを受けてきた。勿論男性ばかりだ。
 社交の場だろうと人嫌いの入ったジンは微笑を浮かべてやんわり誘いを断っていたが、しつこく食い下がる輩にはお得意の殺人光線を放ちながら睨み据えて「くどい」の一言できっぱりと切り捨てていた。
 拒絶を露にされては引き下がるしかできない男性はとぼとぼと群衆の中へと消えていく。
 どうやらハザマはそんなお誘いに敗れた輩の落ち込む姿が可笑しくて堪らないと悦んでいるようだ。
 見られる事は慣れているが、改めて報告されると腹が立つなと思いながらまたカクテルを喉に通す。酸味が舌をなぞり、すうっと通って後味も残さない。
「呑める方なんですか?」
「さあ。呑み比べなどした事もない」
 実際酔い潰れるまで呑んだ事もないし、殆どは周りが潰れる方が当たり前だ。そういう結果から、強い方ではあるのだろう。
 だがそこまで酒に好みがある訳でもないのでそこまでだ。
「食事は? よければ取ってきましょうか?」
 テーブルには既に空けられている皿があって、それを指してハザマは気を利かすがジンはNOと首を横に振った。
「遠慮する。自分が選ぶもの以外は口にしたくない。そもそも、好きなものが無い」
 会場内には和・洋・中と様々な料理が取り揃えられているのに食事らしい食事をしていない。
 取り敢えず小腹を満たす程度にフルーツは食べたが、変に甘くて胸焼けしそうだと少々ぐったりしたものもあった。
「偏食家ですねえ。ここでケーキの一つでも食べていればまだ可愛いげがあったんですが」
「悪かったな。女っ気が無くて」
 嫌味ったらしく肩を竦めるハザマをじと目で睨む。余計なお世話だと果汁のついた皿でも投げつけてやろうかと思ってしまう。
 そういえばとちらりと下へ向けて視線を凝らせば、幼馴染みのツバキと共に食事を楽しんでいる部下のノエルと、二人の友人のマコトが見えた。
 豪勢に慣れていない二人は目の前に並ぶ料理に目を輝かせ、勇んで皿にケーキを盛って感慨深そうに味を堪能しているが、甘いものが苦手なジンからすれば目を覆いたくなる光景だ。
 それでも士官学校時代からの後輩であるその子達が幸せそうに顔を綻ばせているのを見るのは、正直悪い気がしない。
「あ、今は女性っぽいですよ」
「いちいち煩いな貴様は!」
 楽しそうに顔を指差すハザマの指をへし折ってやろうかと腕を構えるがギョエヘーと変な声を上げながら椅子ごと後退って逃げられる。
 観察してくる態度に腹は立つが追うのも面倒だと苦虫を噛むような顔してテーブルに肘をついて明後日の方向を見る。
 大の大人がずりずりと行儀悪く椅子を引き摺ってジンの横顔に調子のいい事を言う。
「もう〜、怒らないでくださいよ少佐〜。折角の美人が台無しですよ」
 誰の所為で怒っていると言いたいが、ハザマが来る前から不機嫌な顔をしていたのでそう責めるのもおかしな気がして口を噤む。
 実際、これだけ苛立っているのはハザマやその他大勢の所為でなかった。
 怒鳴る事すらせず外方を向いて返事もしないとなるといよいよ拗ねたかと思ったが、この氷のような人物がそんな人間らしい態度を取る筈がないとハザマは改め直し、見える横顔から心意を探ってみようとする。
 けれどそれを阻むようにしてくるりとジンの首が動いた。
「……何ですか?」
 無機質にじいっと目を見てくるのに理解ができず、諜報部の人間が相手に正面から堂々と訊ねていた。
 言葉を要さず他者の意を汲むのが生業だというのに、明らかに仕事を放棄した失態に苦笑いしてしまう。
「私は今怒っているのか」
 人形のように整いぶれない表情のまま、真剣そのものといった口調でジンは言った。
 その問いに相手の虚を衝くのが得意なハザマですら意図が掴めず「はあ……?」と素に近い声を上げてしまった。
 控えめに声を荒げ、指の関節をもっていこうとした人がそんな事を訊いてくるなど思う筈がない。理解し難いと思っていたが、ここまでとは変な感動をしてしまう。
「まあ、先程までは怒っていたとは思いますが、今は知りませんよ」
「そうか」
 そう言って頷くとふわりとした動作で立ち上がり、ドレスの裾を閃かせながら階段に向かって歩いていく。まるで戦場へ赴くような凛々しさで。
 かつんとヒールが鳴る度、それを合図かのように人混みがゆっくりと動いて道が開かれる。行動を阻むのを恐れてか、先程と違って声をかける者はいない。
「少佐、どちらへ?」
 呼びかけられても一度も後ろを振り向かず「庭園」と一言だけ残して去ってしまう。
 一瞥もしなかったのは、ついて来るなと暗に込めた動作だった。
 麗人は残り香さえも残さず消えて、一人後に残されたハザマは「あーあ……」とがっかりした様子で背凭れに倒れ込んだ。
 机に放置された飲みかけのグラスを取り、くっと一息に飲み干す。
「どうせならダンスのお誘いをしたかったんですがねえ……」
 飾りのチェリーを摘まみ上げ舌に乗せて弄ぶ。
 このまま会場にいれば後々に始まるダンスに巻き込まれてしまうだろうから、どうせならエスコート役を狙っていた輩に見せつけるかのようにしてその役割をかっ拐い踊ってみせたらさぞ羨望や妬みの目が集まって楽しかろうにと期待していたが、どうやら叶いそうにない。
 なら誰を誘うか、はたまた自分もばっくれるかと悩みながら皿に乗っていたフォークを甘噛みして思案してみた。
 周囲の男性の目が、羨ましそうに見ているのを心地好く思いながら。


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