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 相変わらず仏頂面だねぇ。
 振って湧いてきた声に、ジンはほんの僅かだけ首を捻る。
 雪景色にはひどく寒々と映る灰桜の着物を着た青年が、和傘に積もる雪を払うようにくるくると弄んでいる。肌着となる着物も着ず肩や足を晒して愉快な輩だとジンは細い目で据えた。
 「やっほー」と楽しげに青年――アマネはジンに手を振るが、ジンは手を振り返さなければ、返事もしない。無表情に無感動に、アマネの顔を睨むように見据える。
 折角の邂逅なのに素っ気ない態度でやれやれといった調子で肩を竦めて笑うと、アマネはジンに向かって歩を進める。
 ジンは一歩一歩、間合いに気を張りながらアマネの動向を見守る。ユキアネサは手の中にある。抜刀はいつでも可能だ。
 だからと、アマネはジンの脇を抜け、くるりとジンと向かい合う。
 戦って済むなら喜んで舞うが、戦って済まないなら、舞う意味は無い。彼はきっと舞など必要としていないのだから。
 アマネは冷然としたジンの整った顔を見つめる。
 不審。懐疑。侮蔑。拒絶の意思が灯る草炎はひどく凶悪な均衡を練り上げていた。
 苛烈なまでに他者を嫌うジンを見て、不幸に人生を掻き回されて傷ついた子供の姿を連想する。
 他人を許さない、心の壁だ。
「人に噛みついてばかりの人生って疲れやしねぇかい?」
 思ったままの疑問を口にする。
 会う人片っ端から拒絶しているのは疲れないだろうか。同じ舞踊の世界を立たせる人間を選び、その舞踊を披露する為に席に座ってくれる人間を受け入れるアマネには気が重くなりそうな話だ。
 言われたジンは、小さく鼻で笑った。
「人に尻尾を振っているよりはマシだ」
 鋭くて冷たくて無機質で人間味の欠けた抑揚の乏しい答えは、彼が硝子の人形であるかのようだ。
 拒絶の言葉に、そうかい、と便宜上の相槌を打つ。
 「寂しいねぇ」と言えば秀麗な眉が大きく歪むから、代わりに「勿体ないねぇ」と嘆息をつく。
 やはりジンはどうでもいいといった様子であしらう。他者を必要としていないのだから当たり前だ。
 なんとも孤高を翳した寂しい男だと、手の中の和傘の柄を遊ばせる。
 中身が伴わなくても、きっとその容姿に惹かれて人は寄せれよう。望む関係だって、望む言葉だって、容易に得れる筈だ。
 けれど傍らに置いたのは氷精を宿す刀で、足跡のない雪原の大地に臨む。
 他者の侵略を許さず、然れど自身の存在を消さず。
 それは見ようによっては自身の存在の主張に思えた。
 自分が確かにそこにいる痕跡を示すのは、“誰か”に気付いてほしいから。見てほしいから、何か解りやすい形を残す。子供がよくする拙い表現方法だ。
 彼に纏わる唯一の言葉を、アマネは聞き知っている。

「――“ラグナ=ザ=ブラッドエッジ”」

 不意にアマネが口遊んだ名にジンの目つきが変わる。冷めて澄んでいた光から、爛と瞋恚に揺れる激情の光になる。
 外方を向く形でまともに取り合う様子がなかったのに、斜に構えてアマネに向く。
 一座に勧誘した時でも碌に反応を返さず結局刃を抜かれる形で断られてしまったが、その時とは比べものにならない殺意。
 初めてジンの中にある人間らしさの断片、苛立ちではなく『憎悪』を見せた。
 明らかな反応を示したジンに怖じずアマネは笑みを崩さず問うた。
「ラグナ=ザ=ブラッドエッジってのは賞金首の男だろ。こいつがどうしたんだい?」
 意味ありげにその名を口にしたが、アマネは深い意味は解していない。ただ、氷の佳人が死神を追っているという噂を耳にしたくらいだ。真偽の程は存じてなかったが、彼の反応を見る限りあながち外れではないようだ。
 引っかけのように感情を掻き乱され、忌々しげにアマネを睨みこれ見よがしに舌を打つ。
「……貴様には関係の無い事だ」
 高みから見下すような傲慢さから、目の前で威嚇する獣のように、声の質が変わった。
 本当に、たった一つの事でスイッチが入ったように変わってしまう。あの絶対零度の氷の仮面に罅をいれれる男の名に僅かの好奇心が湧く。
「おめぇさんが気になるような男なら、さぞ男前なんだろうねぇ。そいつにも会ってみたくなってきたよ……」
 アマネの言葉に被さるように道に積もる雪が荒れる。
 広げていた傘を閉じアマネは鞘から解き放たれたユキアネサの刃を受け止める。みしっ、と軋む中軸。だが一見細い木の柄は傘布のように斬れはしなかった。
 斬れなかったかと、ジンは舌を打つ。
「その男に手を出してみろ……。必ずキサマを殺す」
 低い壮烈な怒りを滲ませ、一言一言に憎悪の丈をこめた声でジンはアマネに吐き捨てた。その男に関わろうとする全てを憎んでいるような苛烈さだ。
 強引に押し切って斬りつけようとしたが、ご勘弁をと口にするとアマネの身体に纏う領巾が意思を持っているかのような動きでジンの顔を狙う。
 薄布を咄嗟に鞘を振り上げて打ち払うが、ジンの重心がずれた隙にアマネはひょいと距離を大きく開けた。
 逃がさないと眼中に藤色を捉え地面にユキアネサを突き刺すと、雪を掻き荒らし幅広の剣が一振り突き出された。
 氷の刃口はアマネの身体に目がけて伸びるが、アマネは何もない宙を地面があるかのようにもう一度蹴って跳んだ。着物や領巾を魚のひれのようにひらりひらりと靡かせ、風に踊る花弁のように舞う。
 寸分の差で下駄の底を氷が掠め、頓狂な声を上げて慄くアマネ。
「ふぅ〜、危ない危ない。氷花にされるところだった」
 畳んだ傘をトンと肩に乗せてけらけらと笑う。
 おどけた調子で始終笑っているアマネの顔を見て、何がそんなに面白いのかと怪訝に思う。危ういと危険を笑い、貌がないと人を笑い、何をするにも笑みを離さない。
 無表情でいるのに疲れないかと訊かれたが、ジンからすればアマネのようにずっと顔をにやけさせている方が疲れそうだ。
 得体が知れないとますますアマネへの警戒心が強くなる。
 次の居合いの構えを取っていたら、アマネは一度袈裟に傘を振り下ろしジンに向けて不躾に露先を突き出す。槍のように切っ先を突きつけ、くるりと先端で一度宙に輪を描く。
「おめぇさん、いい貌してんじゃねぇか。漸くおめぇさんの内側を見させてもらえた気がするぜ」
 とても綺麗だ。
 なんともジンの感情にそぐわない言葉で賞賛してきた。
 観察されている感覚に気障だとアマネの存在も含めて言葉を唾棄した。それでもアマネはけらけらと声を立てて笑う。
「俺はな、自分に正直なやつが好きなんだ。みっともない感情だろうと、自分にとって譲れねぇもんなら、爆発させちまえばいいのよ。なあ、ラグナ=ザ=ブラッドエッジってのはおめぇさんにとってどんな存在なんだい?」
 狐のような顔で好奇心を満面にしてきらきら輝かせるのは子供のようなあどけなさで、佳麗な見た目にそぐわない幼さだった。
 しかしジンはそんな好奇心を卑しいと詰る。赤の他人が他者の領域を踏み荒らそうとする行為は憎むべき悪行である。
「言っただろう。貴様には関係無い」
 底冷えた声で吐き捨てると「ほらまた」とアマネは頬を膨らませた。
「そうやって感情をしまいこむ。止しなよ、氷の張った水底は冷たいだろ」
 閉じていた傘を広げる。竜胆の花色の傘をくるりくるりと翻し肩にかけたアマネがにこりと笑う。
 ジンが感情を出そうとしないのは無意識下の本音であろう。本来ならもっと顔が作れるに違いない。彼は自分で言っていた。人に愛想を振るのは疲れると。“芝居”を演じるのは疲れたと。
 ジンがどんな人生を送っていたか会ったばかりのアマネに解る筈はない。けれど数多くの舞台を踏み世界を廻り色んな人達を見てきたからこそ、彼が微笑めばもっとたくさんの人が楽しい心地になれるだろうと確信があった。
 しがらみに倦んだのならもっと奔放になればいい。そして、ジンの気持ちのままに笑えば本当の意味で彼の舞台として華やぐのだ。
「生ける人 遂にも死ぬるものにあれば この世にある間は楽しくをあらな」
 ジンに向けてアマネは詩った。
 いきなり宣ってこられ眉間に深い皺を刻んだ顔が不審げにアマネを見返す。
 白い手を伸ばせば傘が覆う範囲から外れ、掌にはらりはらりと雪の粒が落ちてくる。体温に馴染めず雪はじわりと溶け形が崩れていく。なんとも儚い、一瞬の出来事だ。
「人間なんざ最後は皆死んじまうんだ」
 花にも泡にも喩えられるように人の生とは儚いものだ。いつだってほんの一瞬だ。
「だったら生きてる間は楽しもうぜ。そんなつまらなそうな顔をしないでさ」
 両の手で唇の端をつり上げ笑いなよと誘う。艷やかに魅せる筈の化粧された顔は妙に幼く綻ぶ。
「怒るのも、泣くのだっていい。でもおめぇさん、もっと笑いなよ。笑っている顔が一番別嬪なんだぜ、人は」
 陽気に言葉を連ねるアマネは屈託なく笑う。髪に差している赤い珠を飾る金の簪が打ち鳴らす音のように。
 この世の穢れとは無縁そうに生きている清々しい貌を見ていたら苛立ちがふつふつと湧き上がるのを感じた。それは価値観との衝突に他ならない。
 ずっと投じられた退屈で窮屈な場処にいたのだ。投げ出され、そこからようやく回帰出来るところが戻ってきたのだ。
 今だからこそ、夢を見るのをやめたジンが、自由という幻想を夢見れているのだ。
 アマネの言うものなど要らないとはっきり言える。
 これ以上、傾奇者の太平楽な言動に振り回されるのは御免だ。

「――失せろ」

 微塵も言葉に耳を貸さず、ただ一言で全てを撥ね除けた。
 刀を構える。アマネを貫こうと緑の瞳が煌と輝く。
 ジンの氷のように冷たい眼光に捉えられ、こりゃやべえとアマネは察した。
 ジンが本格的に臨戦体勢に入ってしまい、全く戦う気のないアマネは命の危機を肌で感じる。自然の寒さとは違う、人工的な寒さが全身に刺さる。まるでこれから白魔が降臨せんとしているようだ。
 苛立ちに任せてジンは慣れた足取りで雪を踏み躙りアマネへと走る。
「今日のところは失せてやっけど、殺されるのは御免だねぇ!!」
 アマネは和傘を放り投げ手を翳した。指揮者のタクトのように左から右へ腕を振ると、着物の袖が帯状に解け回転するドリルへと変貌する。
 けたたましい騒音を立てながら横へ薙いだドリルはジンではなく積もった雪を巻き上げた。回転に巻き込まれた雪は跳ね、雪崩のようにジンへと押し寄せる。
 低姿勢で駆けていたジンは咄嗟に足を止め、後ろへとステップし雪の津波を躱す。
背丈を超えそうな程の白い津波は程なく納まり、前を見れば巻き上げられた雪が霧散して空気中に散りばめられていた。
 背景となる街の明かりを受けてきらきらと光るその空間にアマネはいない。ころりと、彼が持っていた和傘だけが寂しげに雪の上に転がされていた。
 辺りの気配を探ってみても街の雑踏が大きく、身をひそめようとしているアマネの手助けばかりをしている。
 いくら気を巡らしても無駄だと解るとユキアネサの刀身を鞘に収め、その化身を砕いた。
 あの男は疲れる。柄にもなく疲弊した息をつく。天衣無縫とはああいった者を指すのだなと思う。
 眼下に転がるアマネの傘に視線を落とした。紫に浮かび上がる白い目玉。それと見遣り、眇める。
 『バキンッ』と物に干渉する音が響く。
 露先から氷が張り、見る見る内に表面を覆い尽くし石突きまで凍てつかす。眼睛に映り込む対象物の中心に意識を集中し、亀裂を入れる。氷に罅が入ると布と骨を裂開していく。ジンの意思に従い氷が崩壊を始め巻き込む形で和傘を自壊させる。
 無惨に砕けた傘を見てようやく清々した心地になる。あの男をこうしてやれなかったのは残念だが、幾らか気は晴れた。
 アマネに無表情と言われた己の顔を触る。
 つまらなげに閉じている唇の形をなぞり、真っ直ぐに結ばれていた唇を徐につり上げる。
「僕は笑っているよね。ねえ、兄さん……」
 脳裡に焼きついている人物の名を口にする。それだけで唇は面白い程に歪んでいく。
 あんな男に茶々を入れられなくとも、己には感情を吐露出来る人はいる。
「……要らない……僕には他人なんて」
 吐く息が白い煙のようにこぼれ、風に流れる。いつもは空気に同調して透けるように薄い吐息も、兄の事を思えば熱をもつ。
 この込み上げる情動こそが自分が満たされている証だと、ジンは恍惚として目を閉じた。


《終》
 

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