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 しんしんとやむ事を忘れたかのように雪は降り積もり、住人たるペンギン達は器用に雪を丸めて投げ合ったり、つるりと固めた地面を自慢の腹で滑ったりと和やかに過ごしている。
 外の賑やかさと寒さを厚い壁で隔てて過ごすのは、雪と戯れる事を放棄し暖を選んだ人間だ。
 暖炉の暖かさが隅々まで満ちるこじんまりとした空間で、ぼうっと霞む視界を確かめるように眠っていたのかとジンは呟いた。
 空腹を満たし、暖かい部屋で兄と談笑をしていたら安心感からか至福感からかうとうとし出し、ついには眠ってしまったようだ。
 明るい暖色のライトの所為でか不意に目が開き、ぽうっとしてふわふわする心地で立ち尽くす。
 しかしよくよく考えてみれば“立ち尽くす”という表現は当てはまらないと気付く。立ったまま寝る訳もないし、けれど自分は身動ぎ一つせず無為にぼうっとする頭で寝る前より散らかっている部屋を眺めている。
 そうだ、兄さんは。
 そう思ってきょろりと首を巡らすが凭れているソファーには寝転がっていないし、寝室も真っ黒で人の気配はない。
 ならばまだ同じ空間にいる筈だと立ち上がろうとした時、感覚が麻痺でもしていたのか膝に重いものが乗っていたのだとようやく気付いた。
 動くのに邪魔なので退かすべく視線を下ろすと、膝を枕にしてだらしなく口を開けて寝ているラグナがいた。
 「んう……?」と首を傾げよく解らないでいたが、肌に伝わる兄の体温が本物だと実感する頃に「へ?」と遅れて顔を赤くする。なぜラグナがこんな所で寝ているのかと不思議に思いながらあわあわと辺りを見回す。
 こんな所で眠るなんて何かあったに違いないと原因を探ろうとするが、寝ている兄の横顔がいやに赤いのに気付き、熱があるのかと心配になって顔を触ってみた。
 額や頬を触ると思っていた以上に熱くて驚き手を引きそうになる。けれど風邪かもしれないと不安が勝り、もう一度熱を確かめようと顔を触る。やはり、いつものあたたかさを通り越した熱の高さに冷たい自分の手から更に血の気が引く思いになる。
「兄さん! 兄さん起きて! 大丈夫!?」
 肩を揺さぶり意識があるか確かめようとする。もし動けないほど身体が辛かったら医者を呼ぶなりとどうにかしなければならないが、賞金首である兄を都市の医療機関に連れていけるかと悩んだ。通報される恐れが強く、しかし自分が信用している個人の医師などいないし、伝もない。
 そうこう迷いながらラグナを揺さぶっていたら「んがっ」と間抜けな声を上げてうっすらと目を開けた。
 意識があると喜ぼうとするが、慌てていたジンを余所に眠そうにラグナは瞬きを繰り返し、気配で外が夜だと感ずると起こすなと言わんばかりにジンの膝に頬をすり寄せ寝直そうとする。
「ちょっと兄さん! 寝ちゃ駄目だって!」
 折角起きたのにまた寝ようとするラグナを揺さぶる。すると恨めしそうに目が開いて真上のジンを睨むが、やはり睡魔には勝てないのか尚も目蓋を下ろしていく。
 心配する己の心境も省みない態度にもうと怒るが、これだけ平然と寝て起きてを繰り返すのだから病気ではなさそうだとほっと一息つく。
 気分を落ち着かせてから改めて時計を確認すると、夜中の十一時――つまりは二十三時だった。確か、二十一時まで兄と部屋のテレビを見ながら雑談していたから、そこから眠ってしまったとするなら二時間だ。
 自分が寝ている間、ラグナは何していたのかと明かりをつけたままの部屋を見回してみれば、寝る前には無かった空き缶がテーブルにたくさん並べられているのに気付いた。確かあれはと思い出す。
 部屋に籠る前、二人で買い物をしていてラグナが料理に使う酒を買うついでにジンが適当に選んで籠に放り込んでいった酒の数々だ。催し物で出される酒は宗家や軍が絡んだものばかりだったから手の込んだ上等品ばかりで、安物の酒を呑んだ事はなかった。普段なら呑もうと思わないが、ラグナと一緒だから、一緒に呑もうと好奇心だけで購入した。
 どうやらジンが転寝して暇を持て余した結果の飲酒だろう。缶の類いは全て空けられていて、ジンの本来の目的は果たせなかったようだ。
 でもとジンはラグナを見下ろす。
「兄さん、アルコール強くないのに……」
 ジンとラグナは兄弟にも関わらず性質が反対で、全く酒に酔わないジンとは反対にラグナは少量のアルコールでもすぐに顔に出る。しかも甘いものが平気な兄ならジュースのようなカクテルは呑みやすいから加減を間違えやすいだろう。
 酔って調子づいた結果がこれだろうなと笑うと、膝からおりようとしない大きな犬になっているラグナの髪を撫でる。
 缶と一緒に開けられた菓子やつまみがあちらこちらと机の上を散乱し綺麗とは言い難い。
 酔うと質が悪いなあと苦笑する。
 移動が多いのと手荷物が少ないだけあって割に物や部屋を小綺麗に使うのだが、今は全くそんな気はないようだ。
 壁にかかるディスプレイは部屋に響く事もせず静かな音量で、聴き手もいないのに延々と音を垂れ流している。
 新年だからと華やかさと明るさに金を懸けた舞台や衣装がずらりと画面を埋めるが、ジンには全く関心が無い。世で愛される歌も、小洒落たジョークも、白々しく薄ら寒い。
 求めるものが人と違うジンは、無言でリモコンを手に取り画面を落とす。耳障りな雑音より、ラグナの寝息の方がずっと耳に好い。
 プツンと音が切れたら静寂が場を包む。外で降る雪の音さえ聞こえてきそうだ。
 けれどラグナには静寂が耳に煩かったようで、ぱちりと目が開いた。低く唸って、のろりと頭を上げる。
 些細な気配でラグナは起きてしまったがそれも好都合だった。幾ら部屋が暖かいといっても何も掛けずに寝るのは身体に良くない。半眼気味で眠たげな顔をしているので、このままベッドに行ってもらえばいい。身長差に問題はなくても、長躯のラグナを担いでいくのは一苦労だ。
 寝室に行こうと催促するも、ラグナはぐずる子供のように気怠そうにしているので傍らで上半身を支えようとしたら、ラグナはジンの肩にこてんと頭を預けた。寝惚けているのかと苦笑しながら立ってと促そうとしたが、突如、びくんとジンの身体が跳ねた。
「――っ!! ななな、何してるの兄さん……!?」
 驚いたジンが突き放そうとしても背中に手が回って動けれず、密着を強いられていた。ラグナの手はスリットのついた裾を捲り、タイツ生地の上から太腿や臀部を撫でている。悪意やら下心やらを掌から感じ取り、身の危険を感じざるを得ない。
 声を大にする弟に、ラグナは少々縺れ気味の口調であっさりと問題発言をする。
「何って、“姫始め”に決まってんだろ」
「はあっ!? ――て、うわぁっ……!」
 背中にソファーがあったのがいけないのか、ラグナはそれに気付くと酔っているとは思えない正確さで足を払い、体重をかけてジンを押し倒しソファーに雪崩れ込んだ。豪快にソファーが軋む音が響く。
 下に敷かれる形になり、身動ぎ程度の抵抗しか許されない。足を動かそうとしても、噛み合わせるように足を絡め巧妙に動きを阻む。
 体格に任せて乗っかってくる兄はぎゅうぎゅうと腕で捕まえ、眼下の顔にキスをしようと身を乗り出す。
「ちょ……、ちょっと待ってってば!!」
 何がどうなってその気になったのか、無愛想で天の邪鬼なラグナが積極的に迫ってくるなどそうないが、この状況は流石に嫌だと必死にジンは抵抗する。行為に関しては否定的ではない。けれど本来ラグナが呑んだ酒はジンが呑むつもりだったもので、ラグナをへべれけにする為の物ではない。
 素直でない性格の為か抑えが多いラグナは酔っ払ったら質が悪く、襲われて碌な記憶がありはしない。身体を合わせるのは構わないが、せめて酔いだけは覚まして欲しかった。
 しかしジンの思いとは裏腹に、酔っ払いの魔手は容赦なく下肢のタイツに指先を引っ掻け生地を裂こうとする。自身でも血の気が引くのが解り、咄嗟にジンは声を荒げた。
「兄さんっ、今日はダメだって!!」
 ジンはこれでもかと声を張り上げたが、どんな声量だったかは本人も定かではない。だが効果は全く無い訳ではなく、一本の伝線が走ったところでタイツを破られるのが止まる。
 半眼の目がお預けを喰らった顔でジンを睨む。眠たそうに見えた目は、実はただ酒に酔って目が据わっていたようだ。「“今日は”……? 何で?」
 不機嫌とは違う低い声が言う。止めれる言い分があるなら言ってみろといいたげだ。
 ラグナのじと目に澱みながら酔っ払いには苦しい言い訳を考えた。
「兄さんの言う姫始めは、一月の二日からのもので、一日の今日はしたら駄目なんだよ」
「何で?」
「…………縁起が…悪いから……」
 何とも説得力がないと、ジンは我ながら寒いと思った。逃げの口実の為なら縁担ぎをしたりしない性格のくせに、こういう場面ではなりふり構わず使うあたり見苦しさを感じた。
 こんな事を宣って、ラグナにどう思われるか。馬鹿かとあしらわれるか、呆れられて離してもらえるか。
 細く据わった目を前に、僅かな焦燥と気鬱を抱えて、頼りなさげに向かい合う。
 再び部屋に沈黙が積もりそうになったその時。
「……わかった」
 ぽつりと、ラグナは言った。
 肯定的な言葉は、どちらの意味なのか。意図が掴めず困惑するジンは訝しげにラグナを観察する。けれどラグナの視線はジンの胸元に落ちていて、ジンからの視線などまるで気にしていない。
 不意にオッドオイがちらりと視線を上げたが、すぐにジンへと戻した。 何を見たのか気になって視線を追いかけようとしたが、割り込み絡ませていた足がぐっと局部を押し上げてきた。一瞬でも気を逸らした所為で油断をし、「ひんっ……!?」と上擦った声がもれてしまう。
 咄嗟に唇を噛むがしっかりラグナに聞かれたようで、眼上でにたりと意地の悪い笑みを浮かべている。
「兄さんっ!!」
 わかってないじゃないかとラグナの戯れに憤るが、やらかした本人は驚きと羞恥で僅かに赤みが増したジンの顔に気を良くしてくつくつと小さく笑う。
 文句を言おうとするジンに構わず、また強く引き寄せて細い身体を抱きしめた。ことりと頭を預けて額を肩に沈め甘えるようにすり寄れば、ジンは難しげに眉を下げて抵抗が出来なくなる。いつも甘える側のジンにとってそれがどれだけ心地好いか解っているからこそ、離れろなどと一方的に突き放す事が言える筈がない。
 酒の効果で高めの体温が更に上がって、人肌に慣れていないジンには熱いとすら思える。暖炉がなくても充分に腕の中は暖かい。
 ラグナも己より低い体温の肌が気持ち良くて火照った身体を冷ますようにしがみつくが、触れている箇所に熱がこもれば少しずつ位置を変えたりする。こそりこそりと首筋を白髪が撫でて擽ったいとジンが微笑う。つられて笑っている風にラグナの呼気が揺れる。
 苦しいけれど心地好い重さを全身で受け止めながらラグナの背中に腕を回す。抱き合う形になって、心が穏やかになっていくのが自覚出来た。
 甘い酒の香りに誘われるように目蓋をおろし、いっそこのままここで朝を迎えてしまおうかと思った。
 その時。

「――日付、変わったぞ」

 日付、と言われてそれが何だとジンは重たげに目を開けた。ジンと目が合うとラグナは顎で壁にかかる時計を示す。
 ちらっとラグナが示す時計を見れば、短針も長針も『12』の数字を差していた。日付も解るカウンターは1/1から1/2になっていた。
 つまり、ジンの言った“一月の二日”になったという事。
 「あ……」と気の抜けた声が出た。次の瞬間、ラグナの身体が離れ、あろう事か膝を割られ腰のサイドに担がれた。
「ちょっ……兄さっ……!」
 捲れそうになる服の裾を押さえながら引き攣りそうな喉を震わせてラグナを呼ぶ。
 傾ぐ所為で片肘のみで上体を支えたジンはぎらりと欲を映した鋭い眼に顔を青くした。ラグナが本気で事に及ぼうとしているのは明白だ。
「待って! 本当に待って!!」
 足を下ろそうとばたつかせるが、上体を再度合わせられて身体をくの字に折られる。肺へ圧迫感がかかり息が苦しい。
「待たねえ。“二日ならいい”ってテメェで言ったろ」
 言葉としてはそう言ってしまった。けれど深意は違う。そう抗議を立てようが、ラグナは聞く耳を貸さなかった。
「こういう時、何て言ったっけ……ああ、そうだ。よいではないか、よいではないか〜……」
「何言ってるのって、やっ、にい…そこはっ……あひゃひゃひゃっ! や、やめてぇ!」
 服の下に回る腰のベルトを外そうとまさぐる大きな手が脇腹や腿を擽ってしまい場違いな笑い声が上げて身を捩る。逃げを打つ反応が楽しくてラグナも調子に乗って脇を擽る。
 ピンポイントで感じる箇所を執拗に弄られて笑いが止めれない。
 涙が滲むほどに笑かされ痛いと苦しいで訳が解らずラグナの肩を強く叩く。酸欠で苦しいと意思表示をすると、ようやくラグナの悪戯は収まる。
 悪戯から解放されて懸命に息を整えようとするが、体勢が手伝って息継ぎも儘ならず肩が大きく上下する程に息が荒い。 滲んだ涙を拭こうとほぼ無意識で腕を上げたら、手首をがっちりと掴まれた。
 頭上で止められた格好のままラグナと見つめていたら、「エロイ」と一言貰う。勿論、ジンは全く嬉しくないし自覚も無い。
 仮に、泣いている顔が好きだというならその性癖はよろしくないと思われる。身内ながらその趣味はちょっとと嫌厭しそうだ。ジンは眉をひそめた。
 至近距離でジンの顔を見ているラグナは、その表情の動きに気付いている。
「今、俺の性癖疑ったろ」
「そんな事ないよ」
「嘘つけ。罰としてお仕置きだ」
「罰だお仕置きだ以前にもうやる気だったじゃない兄さん!」
 ジンの仮定した懸念の所為で要らぬやる気を湧き起こしてしまったようで、紅緋のジャケットに巻いていたベルトを外しインナーのファスナーも下ろしてしまう。
「で、でも兄さん、アルコール入ってるから、その……勃ち難いんじゃ……」
 血気盛んといった様子に気圧されながらも、密接に触れている部品に昂りが足りていないのを指摘してみせる。
 ラグナも気付き、自身の中心を見遣る。ズボンはなだらかなラインのままで、平時の落ち着いた様子だった。一瞬だけ気難しそうに眉間に皺を寄せた。
「あー……。いや、大丈夫。すぐ勃つ。つうか勃たせる」
「そ、そこまでしなくてもっ!!」
「お前とエロイ事してりゃすぐに育つ。いざとなったらお前が奉仕すりゃあ一発だ」
「何言ってるのー!?」
 肉食動物に乗しかかられるように覆い被され、顎を捉えられていよいよ駄目だと諦めの涙が浮かぶ。
 今回の酔いも安定の酷いものらしく、次々と爆弾発言をされてジンの肝を冷やす戦慄が走る。
 酔ったラグナにされた数々の辱しめが走馬灯のように蘇る。あんな恥ずかしい事や、恥ずかしい事や、恥ずかしい事を、されたなと。

――“ああ、それでも。”

 そんな面があろうとラグナの事を嫌いになれないのだから自身も大概だと、酒の香りが混じるラグナのキスを受けながらぼんやりと思った。


《終》
 

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