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 空気にひずみを感じた。ラグナはほぼ反射的に腰の大剣を抜き、重さをものともせず片手で薙いだ。セラミック質に触れたのは硬さがありながら衝撃に触れて呆気なく砕けていく無機質で透明な青い氷。四散する氷を見ただけで、厄介な奴に絡まれたと解る。
 くるりと大剣を回し再度腰に戻す。冬場の寒気を更に凍てつかせる怖気と狂気に視線を投げようとして、けれども形を変えてきゅっと眉を寄せた。
 不意打ちなのか挨拶代わりなのか解らぬ氷の矢を撃ち込んできた人物は楽しげに唇を歪め、ぱらぱらと散る氷を街中のイルミネーションを観賞する見物人のような和気を帯びた笑みをたたえていた。
 それを認めるとラグナは表情を険しくし、ずんずんと大股で歩み寄った。
 刃物を持った人間が近寄ろうとも笑みを崩さぬ顔は鞘に戻した刀を抜こうとするが、ラグナの動きが早く、広い肩を掴み押さえつけた。
「このっ……馬鹿が!!」
 手が空いていたら拳になって頬を殴っていたかもしれぬ怒気を浴びせる。怒鳴られた本人――ジンはぎちりと肩に食い込む指に目を開いた。


  *****


 強制的に宿に連れ込まれ、ラグナの取った部屋に放られたジンは手持ち無沙汰にきょろりと辺りを窺う事を何度も繰り返しながら、幾度目かの狭い部屋の徘徊を意味も無く熟した。
 椅子になるような家具はベッドしかない、こじんまりとした寂しい風景だ。見る物など何も無い。
 退屈極まる無個性さに感心とも嘆息ともつかない息を吐いた時、扉越しに荒い足取りで帰ってくるラグナの足音を聞いた。態々迎えなくとも部屋に入ってくるのに出入口となる扉までジンは迎えに行った。
 足音が一度沈黙しガチャリと簡易な音がして扉が開く。
「あ〜、クソが……ってジィーン!!」
「お帰り兄さ〜ん」
 紙袋を片手に提げて戻ってきたラグナは誰に聞かせるでもなくぶつぶつと文句を言う事に夢中になっていたが、開けた扉からジンが上機嫌に腕を広げて向かってくるものだから咄嗟に紙袋を叩きつけた。
 顔面で受け止めた所為で“ぶっ”と妙な音をさせたが怯みはせず、床に落ちる前に紙袋を受け止めた。
「たくっ、この馬鹿が!! なんつう格好してやがんだ!!」
 ラグナが持ってきた紙袋には“ジンが着ている青の軍服”が入っている。態々、ジンを宿に残してラグナが取りに行っていた。
 今ジンが着ているのは時期に倣った物で、赤い色をしたサンタ服だ。しかし、何を思ってか世に伝承されている長袖長穿きの暖かな衣装ではなく、その逆の肩出しミニスカートの防寒の意思を感じられない衣装だ。正気の沙汰ではない。
「そんな格好で彷徨いて恥ずかしくねえのかよ。つうか、寒くねえのか」
「別に兄さん以外にどう思われようがどうでもいいし。気温はユキアネサの冷気で遮断してる」
「すまんがよくわからん」
 外気からの冷障は術式で制御しているようだがラグナにはどういう理屈か理解出来ない。そんなものより、つまりはそんな情けない格好をしたのはラグナの為と言う気なのかと目を眇めた。
「つうか、何であの医者の姉ちゃん家にお前の服があんだよ……」
 痛くなる頭を押さえながらベッドに腰掛ける。
「やだなあ、わかってるくせに」
 紙袋をベッドの脇に置いてジンもベッドに座る。二人座っただけで深く沈んでしまうマットの頼りなさに、ギシッ、と骨が悲鳴を上げるように大きく鳴った古いベッドが宿の質を物語る。
 ジンの言う通り、察しは大体ついている。疑問として口にしながらも、一度診療所を見に行ったのだから。
 ジンの奇天烈な身装を正す為、気には入らないが和を基調とされた軍服を取りに行くと決めた。本人に取りに行かせようとも思ったが、如何せん頭がどんなに残念だろうと目の前のミニスカサンタは『弟』だ。身内の滑稽な姿が晒されて後ろ指を差されるような光景は見たくない。
 仕方が無いから人目に触れぬよう弟を宿に軟禁して、兄自らが取りに行った。
 服の在処は、カグツチの有名なスポットの一つ、ライチ=フェイ=リンの診療所。
 なぜそんな所にあるんだと訊けば、迷子だという亜人の猫を診療所に送ったら、ライチに絡まれたのだそうだ。それを聞いたラグナはああこれはダメだと即座に理解した。
 博愛に満ちた立派な女医も、酒が入ればただのオヤジ。呑んだくれに捕まって自分の弟は何を吹き込まれたかは知らないが、その結果がこのミニスカサンタだったのだ。
 しかしラグナが服を取りに行った時には、陽が沈んでそう経っていなかったのにライチは既に酔い潰れていて、眠気に沈む彼女を無理に起こして服の置場所を訊こうとしても、意味の解らない言葉ばかり投げられて理解が出来なかった。呂律も回らぬ、肩ばかり叩かれるで埒が明かなかったが、未成年故飲酒をせずに部屋の掃除をしていた助手のリンファがいたお蔭で無事ジンの服を渡して貰えた。
 斯くして、服は無事取り戻せたものの、ジンがあの酔っ払いからどんな入れ知恵をされたかまでは判明していない。
 行動の質の悪さもあって気になっていたラグナは宿に戻るなりジンに問い詰めようと決めていたのだ。
 隣に座る情けない格好をした弟を上から下まで見て溜め息をつき、馬鹿かと一言詰った。
「わかんねえよ。テメェ、一体あの姉ちゃんに何言われたんだよ」
 ベッドの脇に置かれた紙袋を交互に示唆しながら早く着替えろと目線で促すも、気付かないのか無視しているのかジンはあははと笑いながらラグナの質問に答えた。
「好きな人に会うなら、良い服あげるって言われただけだよ。丁度時期もあるからって、行事に倣った服を男の心を擽る仕様であげるってこれ渡されたの。どう? 兄さん」
よく見えるようにと腕を広げて服を見せつけるが、お前も男だろうと言ってやりたかった。推測で動く女よりも、同じ男であるジンの方が解るだろうに。
 否定の意を込めて首を横にゆるりと振る。
「どうもこうもねえよ、みっともねえ。さっさと着替えろ」
 足で紙袋を蹴るとがさりと耳障りに鳴る。
 酔っ払いの野次馬根性であるつまらぬ悪戯に付き合わされている身内を見るのは気分がよろしくない。他人に弄ばれるのも振り回されるのも御免だ。
 全く興味を示してくれないラグナにジンはきょとりと目を瞬かせながら「好きじゃないの?」と驚かれる。はっきりと「好きじゃない」と突き返す。
 ふうんと、素っ気ないほどあっさりと納得したジンは短い丈を摘まんでひらひらと游がす。
「……ロング派か」
「違う」
 息をつく間もなくラグナは否定した。
 長い短いは関係無く、そして外観的に特別ときめく要素を求めている訳ではない。ただ、自身の在り方に芯が通っている方が好ましいと思っている。雑誌を見てころころ衣装が変わるのを見て悪いとは思わないが、疲れるとは思う。
 間違った解釈をしそうなジンに手厳しく意を示し、いいから着替えろと再度促す。目に毒だ。悩ましい意味ではなく、精神衛生の意味で。
 長ったらしく続く同じ遣り取りに疲労感を覚え始めた頃に、右肩に重さを感じた。ちらりと見れば、生き生きと目を輝かせるジンが近くにいる。何を企んでやがると言いたい。
「ねえ兄さん。僕、欲しいのがあるんだけど」
 だろうな。ラグナは言葉の代わり眉間の皺が肯定した。
「……サンタはやる側じゃねえのか」
 敢えてそう訊くと、「どうせサンタじゃないし」と言う。全くその通りだ。そもそも、全国の子供の夢を担う伝説のおじさん、サンタはそんなミニスカなど穿いていない。サンタに謝れ。
「死んで欲しいとか言うなよ」
 怪訝に睨めば馬鹿かとジンは笑う。
「死んでもらうくらいなら僕が殺すよ」
 不穏な事を明るく話す弟はそれは嬉々としていて、それこそサンタからプレゼントを貰った子供のあどけなさだ。
 けれどラグナの腕を掴み、手の甲に手を重ね、ゆったりと自身の腹部にラグナの手を押し当てる動作は、それだけの所作なのに蠱惑的で幼さなど削ぎ落とされた色気がある。
 くすくすと喉を鳴らして、眼前へと顔を差し出した。
「ここ……。兄さんの“プレゼント”、ちょうだい」
「は……? 何言って……――」
 ガタンッ! とけたたましい音を立てて二人分の体重がベッドに倒れた。
 不意に被さってきたジンの唇に頭が白くなるが、咄嗟に歯を当てぬよう気遣う意思が働いたようだ。その所為で受け身を取れず背骨に直接板で殴られたような痛みが走る。
 ラグナが痛みに顔を顰めようが構わず唇を合わせ、ちゅっと音を鳴らして吸う。唇を閉じれば、舌先で舐めてくる。擽るように軽く弾むキスを施すが、手つきは完全にラグナの欲を煽るように服の上を滑り、ジャケットの留め具を外して前を開いたりする。
「おい、跨がんな!」
 キスを撥ね除けて怒鳴る。
「ん? 寝転んだ方がいい?」
 てんで的違いに首を傾げる内容は碌でもない。
「そういう話じゃねえ!!」
 馬鹿かと荒く詰るが、ラグナが怒りを露にしてもジンはにこにこと笑うだけだった。「楽しもうよ」と、いつの間にかズボンのベルトも外してしまう。
 腰を寛げれば、ズボン越しにジンの手が柔らかく撫でて中心部に刺激を与える。このままいけば、ジンの望む方へと事は進むだろう。
「お前、何しに来たんだよ?」
「兄さんを殺そうと会いにきたんだけど、ベッドのある部屋に閉じ込められちゃったら、違う意味で興奮してきちゃった……」
 ちろりと赤い舌が下唇を舐める。高揚の所為か白い筈の肌はほんのり赤みが差し、瞳もうっそりと細め獲物を逃さぬよう捉えている。
「僕がサンタなら、兄さんはトナカイだね。ほら、サンタってトナカイに乗るんでしょ?」
「サンタが乗るのは“ソリ”な」
「あっそ。どうでもいいけど」
 適当な事ばかり言っている所為で間違いを指摘しても適当に相槌を打って流すだけ。ならば口にするなとも思うが、前戯の一つとして言葉遊びをしているのだと気付いてはいる。
 まともに言葉も交わせず刃を打ち合うばかりの二人の、碌でもない気紛れの戯れ。
 少しずつ反応を示してきた半身に呆れを覚えながら、諦めの溜め息をついてジンの上半身をぐるりと腕で囲って引き倒す。
 あっさりと引かれた身体はラグナの胸板で受け止められ「その気になった?」と嬉しげに笑う。
 あどけなく笑う顔は悪趣味で、けれど憎みようがない弟の眩しい笑顔だった。思わず目を細めれば、ジンが額にキスをしてくる。
「ふふ、コレで“ホワイトクリスマス”ってやつ?」
「……お前、自分で寒い事言ってんのわかってんのか」
 耳朶を齧られ、形にそって耳の裏を舐めようとするのでラグナは首を捻ってすり抜け、代わりにジンの首筋に齧りつく。ひやっ、と小さな悲鳴が上がるが、逃げようとはせず、どくどくと脈打つ血管に立てられた牙に息を詰める。
 かぶりついたものの、血飛沫をあげてしまう血管を掻き切る意思もなく、ラグナはべろりと獣がするように浮かび上がる血管をなぞり、薄い皮を隔てて管を流れる血を吸うように、はたまたラグナこそが獲物を逃がさぬようにと精気を奪うように、強く強く吸いついた。
「んっ……」
 ラグナの肩を掻き、痛みとなんら変わらぬ刺激を甘受しては鼻から抜けるような甘い息をもらす。喰われるような侵食の心地は戦慄じみていながら気持ち好く、疾る痛みに酔いしれ、快感に朦朧とする。
 首に腕が回ったのを切っ掛けに、ラグナからジンの唇を合わせていく。角度を合わせ、舌でうっすら開いていた口を割り開かせて息を奪う。
 挑発的な舌使いに捕らわれ、夢中で唾液を啜れば意識を白く塗り潰すようにくらりと目眩を起こす。鼓膜を浸す水の跳ねる音が声の代わりになる淫声だった。
 唾液に溺れそうになる程、理性は麻痺して面倒臭い思考を払拭する。
 たくし上げる必要もない服の裾に手をもぐらせれば、ひくりと肌を震わせ、期待のこもった眼差しが潤みながら腰をくねらす。
 身動ぎをして擦れた時に押しつけるような形で布越しに互いの昂りを認めて、不意に笑いが込み上げる。滑稽な獣欲の、正直な本音。
 先にジンがしていたようにラグナの手がジンの内股をなぞり、前を触れば布越しに解る主張された存在。適当に立てた指先をくにっと押しつけて戯れれば焦れったげに腰をラグナの下肢にこすりつける。
 早くと急かすジンの頬にかかる髪を掬い、小さく、クリスマスを唱えた。
 サンタを模した弟に望まれたプレゼントの準備は、整う。


《終》
 

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