あたしと彼と金平糖
駅からマンションへの帰る道すがら、にこにこしているあたしに黒い傘を差し悠然と隣を歩く雲雀くんが話しかける。
「随分と機嫌が良さそうだね」
「うふふ、分かる?」
「分かるも何も、ダダ漏れじゃない」
「じゃーん!見て見て!」
あたしは今朝から降り続く雨に濡らさぬよう、気を付けて持っていた紙袋から中身を取り出し、雲雀くんに見せる。
「金平糖?」
「うん。遥のお土産。
この間の休日に彼氏と旅行行ったんだって」
「また随分変わったものを土産に選ぶんだね、あのヒト」
「たまたま雑誌に取り上げられてたのを見て知ったみたい。
『高が金平糖』なんて思って食べると、ほっぺた地面まで落ちるって言ってたわよ?」
「ふぅん。
で、貴女はどうしてその砂糖の塊を貰ってにやけてるの?」
砂糖の塊って…身も蓋もないなぁ。
でも今は気分良いから、皮肉っぽい彼の言葉も聞き流せる。
コホンとひとつ咳払いをして気を取り直し、傘を伝って落ちる雨垂れを気にしながらあたしは金平糖を紙袋に戻した。
「だってほら、金平糖っていろんな色がいっぱいじゃない?」
「そうだね」
踏切に差し掛かると、カンカンカンと警報機が鳴り始め、遮断機が下りてきた。
あたしと雲雀くんの足は自然と止まる。
「雲雀くんと見た紫陽花、あれ思い出して…ふふ、なーんか楽しくなっちゃって」
そう言って笑うと、雲雀くんはちょっとだけ漆黒の瞳を見開く。
「変、かな?」
「…別に」
首を傾げて訊くと、雲雀くんは静かに視線を前に戻した。
素っ気ないなぁ、もう。
だったらどうして少し驚いた顔をしたんだろう。
…ま、雲雀くんの考えが読めないのなんて、今に始まったことじゃない。
あたしは別段気に留めることなく会話を続けた。
「綺麗だったよね、紫陽花」
「うん」
「あの日はいろいろあったよね」
「あぁ」
「また、二人で見られたらいいね」
「…そうだね」
雲雀くんとの思い出…もっと増えたらいいな。
君との思い出が増えるってことは、それだけ一緒にいられるってことだもの。
雨音と警報に交じり、電車がレールを蹴る音が大きくなる。
そんな中、前を向いたままの雲雀くんが口を開いた。
「―――」
呟くようなそれは雑音が多過ぎて拾えず、あたしは少し彼の方に身を寄せた。
「え?何?」
「―――たい」
すぐそこに迫った電車の音は、益々彼の言葉を掻き消す。
「ごめん、よく聞こえな…っ!」
次の瞬間、視界が漆黒に染まる。
それに続く鼓膜を打つ轟音。
傘を揺らす電車の風圧。
きらりと光る雨滴。
一瞬。
そう、電車が通り過ぎる、ほんの短い時間だった。
けれど確かに唇に残る、彼の熱。
キス、された…っ
あたしは慌ててババッと周囲を見回す。
幸運なことに視認出来る範囲には誰もいない。
良かった…誰にも見られてない。
電車が通り過ぎて警報も鳴り止み、雨の音だけが残る。
遮断機が上がり、何事もなかったようにさっさと歩き始めた雲雀くんを、あたしも追いかけて歩き出す。
「いきなり何てことするのよ、雲雀くん…っ」
「いきなりじゃない。ちゃんと『キスしたい』って言ったよ」
電車の音で聞こえなかった言葉はそれか…!
「だからってこんなところで…誰か知り合いにでも見られでもしたら…!」
「人がいないのは確認済みだよ。もし誰かいたって傘で隠れて見えやしないさ」
涼しい顔で雲雀くんは言う。
確信犯―――なんて厄介でタチの悪い。
確かに雲雀くんの傘とあたしの傘が重なって、周囲から隔離された空間ではあったけれど…
「そういう問題じゃないのっ」
「煩いな」
「君ねぇ…!何の為に従兄弟ってことになってるのか、雲雀くんも分かってるでしょ?
万が一誰か―――ん…っ」
再び素早く重ねられる唇。
ま、また…!
遅まきながら逃げるように身を引くと、小生意気な笑みを浮かべた雲雀くんと目が合って心臓が跳ねる。
「…これでも僕はかなり我慢してる。
さっきのは可愛いことを言う昴琉が悪い」
か、可愛いって…っ
予想していなかった台詞に、急激に頬が熱くなる。
「じゃ、じゃぁ今のは…?」
「本当は僕にキスされて嬉しいくせに、怒って誤魔化す貴女が悪い」
「な…っ」
な、何という自信。
毎度毎度、よくもまぁ抜け抜けと。
だけど仕方ないじゃない…。
どんな状況であれ、自分の好きなヒトに自分に対する好意をストレートに表わされて、嬉しく思わない人はいない。
あたしだってそうだ。
あ…雲雀くんも同じだったのかな。
さっきの言葉からあたしの好意を読み取って…だから一瞬驚いた顔したんだ。
思い至った答えに、あたしは迂闊にも喜びを覚え、怒り続けていられなくなってしまった。
それでもやっぱり釘は刺しておかなくちゃ。
「…意地悪な雲雀くんには金平糖あげない」
「いいよ、別に。直接口にせずとも、味を知る方法はあるからね」
雲雀くんは形の良い唇を自身の舌でぺろりと舐めて、あたしをからかうように余裕の笑みを浮かべる。
それってつまり―――っ
彼の言葉の意味を理解して、益々何も言えなくなる。
釘すらまともに刺させてくれない年下の彼に、あたしはただただ顔を赤くして嘆息するしかなかった。
2014.6.28
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