僕と彼女と彼女の友人
日曜の午後。
いつもなら愛しい彼女とゆっくり過ごすこの時間に、今日はひとりの来訪者が加わっていた。
昴琉の会社の同僚であり、友人でもある楠木遥だ。
妙に馴れ馴れしい彼女と群れるのが面倒で、僕は楠木遥が来た早々自室に篭ろうとした。
―――が、「一緒にお茶飲まないと、あの子主任と一緒にディナー連れてくよー」という楠木遥の卑怯な発言で、僕は仕方なく同席することになってしまった。
だからといって、女同士の取り留めのないおしゃべりに参加する気はない。
あのヒト以外と群れるなんて真っ平御免だ。
だから僕は、柔らかな陽射しの入るリビングでテーブルを囲み、楽しそうに笑う彼女達の声をBGMに、ひとりソファに陣取って図書館から借りてきた本を読んでいた。
そんな折、笑い過ぎて目の端に涙を浮かべた彼女が言った。
「あぁ、もう皆マグカップ空だね。新しいの淹れてくるわ」
「ありがとー」
彼女が席を立つと、その様子を窺いながら、楠木遥がこちらへずいっと身を乗り出してきた。
そして小声で話し掛けてくる。
「ねぇねぇ!恭弥くん!」
「なに」
どうせ大した話じゃないだろう。
そう思って、僕は手元の本に視線を落としたまま返事をする。
しかし彼女は僕の予想を裏切った。
楠木遥は更にこちらに顔を寄せ、口許を手で覆うようにして小声で言う。
「もうあの子押し倒した?!」
突飛な質問に、思わず文字を追っていた僕の目の動きが止まる。
吹き出さなかった自分を褒めたいくらいだ。
呆れて顔を上げると、楠木遥がすぐ傍でニヤニヤ笑っていた。
「……相変わらずデリカシーのない人だね、貴女」
「ふっふっふっ!アタシはあの子みたいに純情乙女じゃないですからー」
「へぇ、自覚はしてるんだ」
「正しく自己分析が出来ていると言ってくれたまえ」
嫌みを言ったつもりなのに、何故か彼女は得意そうに胸を張った。
……日本語が通じないのだろうか。
何だろう、この既視感。
やる気を殺がれるこの手の遣り取りは、並中ボクシング部部長を彷彿とさせる。
―――嫌な人物を思い出した。
げんなりして再び本に視線を戻した僕に、楠木遥は声のトーンを更に落として質問を続ける。
「で、どうなのよ。少しは進展あった?」
僕は彼女の従兄弟―――というのが一応表向きの関係だ。
本当の関係は、彼女の親友である楠木遥にも口外していない。
ただ楠木遥は感じ取っているようで。
しかも、まともな人間なら止めるであろう僕達の交際を、何故か彼女は応援してくれているみたいだった。
社員旅行の際、彼女にはっきりとあのヒトのことを頼まれている。
一見軽く見える楠木遥は、その実とても友人想いの人間だった。
僕自身は否定も肯定もしてないが、彼女の中では僕達が付き合っていることは確定しているようだ。
大事なことに関しては口も堅いようだし……まぁ、いいか。
「…キスはしたよ」
僕の返答に楠木遥の目が大きく見開き、キラキラと輝く。
そして更にこちらへ距離を詰めてきた。
僕は上半身を傾けて、彼女との距離を保つ。
「それからそれから?」
「それだけだよ」
「それだけ?」
「それだけ」
「ホントのホントに?」
「本当だよ」
「想い合う男女が一つ屋根の下で暮らしてるっていうのに?!」
「しつこいね。咬み殺されたいの?」
僕は呼んでいた本を閉じて、楠木遥をギロリと睨み付けた。
しかし彼女は明け透けに言う。
「なにそれやだー!口説いてんの?」
「…貴女ねぇ」
「分かってるって。君はあの子一筋だもんね。
だからこそ、がっつりいっちゃってるもんだと思ったんだけどなー」
楠木遥は元の位置に身体を戻すと、妙に残念そうに言った。
「僕はいつ先へ進んだって構わないけど、大人のあのヒトは困るでしょ?」
そう。
だから僕がもう少し大人になって、彼女の心が決まるまで、キス以上はしない。
僕だって男だからその先に興味はあるし、想像もするけど―――実行は、しない。
「ちゃんと考えてくれてるんだ。―――そんなにあの子が大事?」
先程とは打って変わって、年相応の笑みを浮かべて楠木遥が問う。
「愚問だね。あんなに面白くて可愛い生き物、大事にしたくならない方がおかしい」
僕の発言に楠木遥は目をぱちくりさせた。
「き、君…意外と臆面もなく惚気るのね…」
「惚気?違うね。僕は事実を言っているだけさ。
貴女、僕よりあのヒトとの付き合い長いんだから、如何にあのヒトが可愛いかなんて説明しなくても分かるでしょ?
あぁ、そうか。僕じゃなきゃ見れない可愛いところもあるね」
「………ちぇー、なんか妬けるぅ」
勝ち誇った僕の態度に対抗心を刺激され、楠木遥は口を尖らせた。
愛しい彼女と二人きりで過ごすはずだった休日を邪魔されたんだ。
これくらいの意趣返しはさせてもらわないと割に合わない。
丁度そこへ話題の人物である昴琉が戻ってきた。
三人分のマグカップが載ったトレイをテーブルの上に置き、各々の前にそれを置いていく。
「何コソコソ話してるの?」
「べっつにー!」
「え…何で遥そんな急に不機嫌?」
「不機嫌なんかじゃないもーん」
楠木遥は子供のように頬を膨らませた。
「……ひば、じゃない恭弥。遥に何言ったの?」
「別に」
「二人して何なのよ…」
まさか自分が原因だとは知らない彼女は、ふくれっ面の楠木遥と勝利の笑みを浮かべる僕を交互に見て、怪訝な顔で首を傾げた。
2013.5.28
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