僕と彼女とそら豆
鼻歌を歌いながら、キッチンで年上の彼女が夕食の支度をしている。
彼女が鼻歌交じりに料理をすることは珍しくないが、今日はなんだかいつもにも増して楽しげだ。
その雰囲気に釣られ、僕は料理をしている彼女の背後に忍び寄り、刃物を使っていないことを確認してから細腰に腕を巻き付けた。
「楽しそうだね」
「雲雀くん…!んもう、心臓に悪いなぁ」
「いいじゃない、別に」
僕は悪びれもせず、こちらを振り仰いだ昴琉のこめかみに唇を寄せる。
その行為に一瞬で頬を桜色に染めた彼女は、ちょっと怒ったような、それでいて嬉しそうな表情を浮かべ「…バカ」と一言呟くと、再び視線を手元に戻して作業を再開させた。
付き合うようになってから何度も同じような遣り取りをしているのに、彼女の反応はいつでも新鮮で、それがまた僕には愛おしかった。
小さな昴琉の背中に少し体重をかけて前を覗き込むと、彼女はガラスのボールの中で、薄切りにした蓮根に爽やかな緑色をした何かを和えていた。
「何作ってるんだい?」
「ふふ、内緒」
先程のお返しとばかりに彼女が言う。
「意地悪だね」
「雲雀くんに言われたくないわ」
「……」
「ふくれないのー。カッコいい顔が台無しよ?」
彼女の言った『カッコいい』の一言に気分が高揚する。
チラリと見える大人の余裕が癪に障るが、想いを寄せる相手に言われれば仕方のないことだ。
…我ながら単純だな。
そんな僕の心中を知ってか知らずか、昴琉がクスッと笑う。
そういえば以前、似たような料理を彼女は作っている。
僕は自信満々で料理の名を言う。
「分かった。うぐいす和えでしょ」
「ブー!違うわよ」
「ウソだ。緑色のそれ、えんどう豆でしょ?」
「ううん。えんどう豆じゃなくてそら豆なの」
「似たようなもんじゃない」
「違うわよ。ほら、口開けて?」
言われるままに口を開けると、彼女は出来上がった料理を菜箸で少し取り、僕の口の中に放り込んだ。
訝しみながらもそれを咀嚼し、相変わらず僕の好みを外さない彼女の手料理に満足しつつ、ゴクリと飲み込む。
「…食べたわね」
「?」
「えんどう豆で和えたものを『うぐいす和え』、そら豆で和えたものを『ひばり和え』っていうの」
「!!」
「ふふ、雲雀くん共食いだねぇ」
彼女はしてやったりという顔で僕の鼻を突いた。
何てことだ。
彼女が楽しそうだった理由はこれだったんだ。
「―――ちょっと待って。
それって今僕が訊かなかったら、何も知らずに共食いする僕を見て、貴女こっそり愉しむつもりだったってことだよね?」
「ぇっそ、それは…」
図星を指され、彼女の目が宙を泳ぐ。
「ふぅん、へぇ、そうだったんだ」
「いや、ちょっとした出来心で…」
「出来心で僕に共食いさせたの?」
「ご、ごめん…」
「ねぇ、貴女も食べるんだよね?それ」
「う、うん。そりゃ晩御飯用に作ったんだもの」
肩を掴んでくるりと回し、少々気圧され気味の彼女と正面から向かい合う。
逃れようとする腰を引き寄せて、顎を掬って上向かせ、すぐにでも塞ぎたくなる紅い唇を親指でなぞる。
「そう…食べちゃうんだ。こんなに可愛い口で」
「ひ、雲雀くん…?」
困ったように見上げてくる彼女の瞳を真っ直ぐ見つめながら、僕は鼻先が触れるほど彼女に顔を近付けた。
「いっそ本物食べてみるかい?
―――貴女になら食べられてあげてもいいよ」
からかい半分、本気半分で囁いた僕の言葉に、年上の彼女は先程とは比べ物にならないくらい顔を真っ赤にした。
しかしすぐに彼女は頬を膨らませて「生意気よ」と僕の鼻を抓んだ。
その日の夕食、食卓に置かれた蓮根のひばり和えにうっかり手を伸ばした昴琉が、僕の視線に気が付き慌てて箸を引っ込めたのは言うまでもない。
2012.4.28
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