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あたしと彼と呼び間違い


夕食に出した冷奴。
刻んだ小ネギとすりおろした生姜ののったそれを見て、雲雀くんが要求する。


「母さん、醤油」

「お醤油ね」


言われるままに醤油差しを取って、雲雀くんへ渡す。


「ん…?母、さん?」


あたしから醤油差しを受け取ろうとした雲雀くんの左手が空中で止まり固まる。

一瞬の沈黙。

次の瞬間、自分が何を口走ったか理解した雲雀くんの綺麗な顔が、ボン!と音が聞こえそうなほどの勢いで真っ赤に染まった。
呼び間違えた恥ずかしさと弁解のしようのなさに、形の良い唇が真横に引き結ばれる。
どうにもならなくなって俯いた雲雀くんは、テーブルにお箸を置いた。

「……やっぱりポン酢にする」

小さな声で呟いて席を立ち、雲雀くんは俯いたまま冷蔵庫へ向かう。
あ、逃げた。
目の前にポン酢があるのに気付かない振りをして冷蔵庫の中を探す彼の背中に、あたしは御役御免になった醤油差しを元の位置に戻しつつ思わず忍び笑いを漏らした。

かーわいいっ

呼び間違いなんて誰だってするのに。
雲雀くんも年頃の男の子だしやっぱり恥ずかしいんだね。
そういえばあたしも昔、学校の先生に『お母さん』って言っちゃった事あったなぁ。
しかも授業中。
クラスみんなに笑われたっけ。
冷蔵庫で涼とポン酢を取ってやっと戻って来た雲雀くんの頬がまだほんのり桜色で、ちょっとした悪戯心が湧き上がる。


「あたしもポン酢にしようかしら、お父さん」


冷奴にポン酢をかけていた雲雀くんは見る見るまた顔を紅葉させ、キッと鋭くこちらを睨んだ。


「からかってるなら咬み殺すよ?」

「…ごめんなさい」


からかい半分、フォロー半分のつもりだったが、視線の圧力に負けて即座に謝る。
年下相手に情けない話だが、本当にこの子の目力はハンパない。
そこから何となく会話も途切れて、暫く黙ってご飯を食べる。
そういえば雲雀くんって母親のこと『母さん』て呼ぶのね。
家族のこととか話さないから、ちょっと彼の私生活を覗いちゃった気がしてくすぐったい。
そんなことを考えながら鰆の西京焼きをお箸で解していると、向かいに座る雲雀くんがぽつりと呟いた。


「何十年後かにさっきみたいな会話してるのかな、僕達」


驚いて彼を見ると、照れ臭そうにお味噌汁の御椀に口を付けているところだった。
何も言えずにただ見つめるばかりのあたしの視線を受けて、雲雀くんは居心地悪そうにしながらもう一言。


「―――そうだったらいいなって、思っただけだよ」


あぁ、やだ。その追撃はずるい。
今度はあたしの顔が赤くなる。
結婚ですら中学生の雲雀くんにとっては遠い未来のことなのに、更にその先のあたしにとっても遠い未来を一緒に過ごしたいと言ってくれるなんて。


それを実現するのがどれだけ大変だか分かってる?


出逢ったからには必ず別れが来る。
友達も、恋人も、家族も。
生きている限りそれから逃れる術はない。
まして君は違う世界のヒト。
ずっと今のままではいられない。
彼への答えを探そうとすると、狡賢い大人の打算が頭の中でぐるぐる巡る。
それでも―――


「…そうだと、いいね」


そう答えてしまった。
ひとりにしないと誓ってくれた若い君の想いに、甘えているのだと分かっていても。
だってこのままずっと大好きな雲雀くんと一緒に過ごして、年を重ねられたら―――――そんな素敵なことってないでしょう?

あたしの返答を聞いた雲雀くんは、手元の御椀に視線を落したまま嬉しそうに微笑んで「…うん」と頷いた。
いつも大人びた表情を浮かべる年下の彼のそれは、今は年相応。
ほら、やっぱり素直に答えて良かった。
あたしは止まっていたお箸を再び動かして、綻ぶ自分の口元に解した鰆のひとかけらを運んだ。



2011.2.18


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