僕と彼女と副委員長
板張りの廊下を急ぎ足で進む音。
それは迷うこと無く一直線に僕のいるこの部屋へと向かっていた。
そのリズムで足音が誰のものであり、その人物がもたらすのが重要な用件だと分かっていたが、僕は起き上がる気にはなれなかった。
5年という歳月をかけて手に入れた至福の誘惑は、それほどに大きい。
1分と経たないうちに襖の外で声がする。
「失礼します。恭さん」
案の定草壁哲矢だ。
彼は中学時代から風紀委員会副委員長を務め、今現在も僕の下で働いている。
「どうぞ、開けて下さい」
僕の代わりに年上の彼女が答えた。
再び「失礼します」と声が続いて、スッと襖が敷居を滑る音がする。
一瞬哲が息を呑むのが分かった。
それもそのはず、僕は今、愛しい彼女の膝枕で昼寝中なのだから。
昴琉は僕の頭を撫でていた手を止め、申し訳なさそうに小声で話す。
「ごめんなさい、草壁くん。雲雀くんついさっき寝ちゃって。
急用なら起こしましょうか?」
「いえ、それには及びません」
哲は彼女の申し出を断った。
そう。この男は僕の眠りを妨げる行為がどれだけ危険か知っている。
そのはずなんだけど―――
「…恭さん。起きてらっしゃるのでしょう?」
哲は瞼を閉じている僕にそう問いかけてきた。
「え?」と昴琉が驚いて声を上げる。
幾度となく僕の眠りを妨げその度にトンファーの餌食になってきた哲は、僕が本当に寝ているかどうか見分けもつくようになっていたらしい。
使える男だけど、そんなところで変な才能を開花させないでほしいよ。
まぁ、僕にしてみれば寝たふりを見破られていようがいまいが関係ない。
自分のしたいことしかしないし、気に入らなければ咬み殺すだけだ。
だから僕は彼の問いかけに答えず、柔らかな彼女の太腿に頭を預けたままにする。
それは『邪魔だ』という哲への無言の意思表示だ。
けれど哲は諦めない。
「恭さん」
もう一度催促するように僕を呼ぶ。
起きているのがバレているんだから、僕が動くまでしぶとく哲は待ち続けるだろう。
「…気分じゃない」
仕方なく目を閉じたまま答えると、「本当に寝たふりしてたのね…」と上から溜め息が降ってきた。
「雲雀くん、草壁くん困ってるよ?」
「煩いな。気分じゃないって言ってるでしょ」
僕は貴女と離れたくないっていうのに、暗に仕事へ行けと言う彼女に少しムカつく。
こうなったら意地でも動かない。
そう決めて、僕は寝返りを打って哲に背を向けた。
「恭さん…駄々を捏ねんで下さい」
「そうよ。どっちみち行かなきゃいけないんでしょ?」
今度は二人がかりで説得かい?
全く…勝手に群れないで欲しいね。これは僕のだよ、哲。
僕は上体を起こすと、僕の枕になっていた昴琉を畳の上に組み敷いた。
「ひ、雲雀くん!」
「悪いけど、今は僕こっちの気分なんだ」
僕は薄く笑ってそう哲に言い捨て、自分の下でもがいている昴琉の可愛らしい耳朶を食む。
二三度食んでやると、彼女の顔は一気に朱に染まった。
いい気味だ。貴女はどんな時も僕の味方じゃなきゃいけない。
逃れられないと覚った昴琉は首筋に僕のキスを受けながらも、同じ様に顔を真っ赤にして固まっている哲に慌てて声をかけた。
「く、草壁くん!」
「へ、へぃ!」
「後で必ず行かせるから、あっあの…!」
「りょ、了解しましたっ」
「あぁぁ!草壁くん襖閉め…んー!」
動揺して襖を開け放したまま逃げるように立ち去る哲。
それを引き止めようとした昴琉の唇を、僕は上機嫌で口付けて塞いだ。
―――――彼女が屋敷を出たいと言い出したのは、その数日後のことだった。
2010.9.1
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