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僕と彼女とアイロン掛け


少しひんやりとした微風に頬を撫でられ、僕は閉じていた瞼を開いた。
どうやらソファに寝転がって小説を読んでいるうちに、転寝をしてしまったようだ。
手にしていた本をテーブルに投げ出して上体を起こすと、自分に毛布が掛けられていた事に気付く。
それは自分の使っているモノではなく、このマンションの主が愛用しているモノだった。


「あ、ごめんね。起こしちゃった?」


両手に取り込んだ洗濯物を抱えてベランダから戻ってきた昴琉は、申し訳なさそうに眉尻を下げ僕に声をかけた。


「…これ、貴女が掛けたの」

「うん。洗濯物取り込むのに窓開けるから、寒いかと思って」


彼女は柔らかく笑ってそう答えると、洗濯物を窓際に置いて自身もそこへ腰を下ろし手際良く畳み始める。
冬というには遅過ぎて、春というにはまだ早いこの季節。
陽の光は温かいけれど、開け放たれた窓から流れ込む空気は肌寒い。
何も掛けずに寝ている人間に毛布を掛けるのは至極当たり前の行為なのだけれど、僕は彼女の返答に少なからず驚いていた。
昴琉と出逢ってからまだ日は浅い。
今のところ自分から厄介事を背負い込むただのお人好しにしか見えないが、彼女がどんな人物か分からない以上警戒心は解いていない。
その上でこの僕に気配を悟らせず毛布を掛けるなんて、信じ難い事実だ。


窓際の陽だまりで鼻歌交じりに洗濯物を畳む昴琉を見遣る。


別段変った様子もなく、代わり映えのないありふれた日常の光景。
二人分の洗濯物を畳み終えた昴琉は、今度はアイロンを引っ張り出してきた。
普段僕は学ランを好んで着ているから、自ずとワイシャツの洗濯物が増える。
毎日ではないにしても彼女もシャツを着て出社するから、その分も当然上乗せされる。
雨等の悪条件が重なれば更に枚数が増える。
今日はざっと10枚を超えるのではないだろうか。
それでも昴琉は楽しそうに僕のシャツにアイロンをかけている。
僕は不思議に思って訊いてみた。


「アイロン掛け、面倒じゃないの?」

「面倒っていえば面倒ねぇ」

「ならどうしてそんなに楽しそうなの?」

「うーん、何でだろ」

「…貴女、真面目に答える気あるの?」

「だって自分でも良く分からないんだもの」


彼女は困ったように笑ったけれど、すぐに「あ」と声を漏らしてアイロンを掛ける手を止めた。
そして大きな瞳を細めて僕を見つめた。


「君のせいかもね」

「僕の?」

「うん。ほら、あたし雲雀くんが来るまで一人暮らしだったじゃない?
 ご飯作るのも洗濯物もぜーんぶ一人分でさ。味気なかったんだよね。
 だから家族が出来たみたいで嬉しいのかも」


そう言って彼女があまりに綺麗に笑うから、僕はほんの少し動揺してしまった。
僕と貴女が家族…?
どうして僕と家族だと嬉しいの?
第一自分自身の気持ちなのに「かも」って何さ。

―――――意味が分からない。


「…バカじゃないの」


僕はトクントクンと少しずつ速度を上げる鼓動を無視して吐き捨てた。
まだ掛けたままの毛布を顔が隠れるまで引っ張り上げて包まり、再びソファに身を横たえる。


「…ごめんね。不謹慎だったわ。
 君が元いた場所に戻れるまで、好きなだけうちにいてくれていいからね?」


僕が怒ったと思ったのだろう。
昴琉は少し淋しそうな声色で謝罪の言葉を紡いだ。
アイロンからスチームの排出されるシューッ、シューッという音だけが室内を支配する。


他人と馴れ合うなんて真っ平だ。


それなのに、この居た堪れない気持ちは何。
苛立ち…とは違う。
気恥ずかしいような…くすぐったいような…少しだけ、嬉しいような。
得体の知れない感情なのに悪い気がしないなんて…どうかしてる。
彼女は僕が並盛へ帰るまでの間、衣食住を提供するだけの存在だ。
ただ、それだけだ。

訳も分からず火照る顔を柔らかな毛布に埋めると、お人好しの彼女の匂いがした。


―――とても温かくて、優しい香り…。


早く並盛へ帰りたい。
でも、もう少しだけ昴琉に付き合ってあげてもいいかな。
彼女とこの感情の正体を、少しだけ知りたい気がするから。
なかなか鎮まらない火照りと動悸を持て余しながら、僕は暫く寝たふりを決め込んだ。



2010.1.11


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