※トリップ後、お屋敷でのお話。仕事を済ませて部屋に戻ってきた雲雀くんに、労いのお茶を淹れている時だった。
襖の外から声が掛かる。
「失礼します。恭さん」
「何だい?」
スッと襖が開いて、膝をついた草壁くんが現れた。
「どうやら先程の件、少々手違いがあったようで、確認して頂きたいことが…」
「…そう」
雲雀くんは小さく溜め息を吐いて立ち上がる。
駄々を捏ねずにすんなり行くところをみると、かなり大事な案件のようだ。
あたしはお茶を淹れる手を止めて、座ったまま彼を見上げた。
多分一緒にお茶が飲めなくて、残念そうな顔しちゃってたんだろうね。
笑みを浮かべた彼は軽く腰を折って、あたしの頬に手を伸ばして優しく撫でた。
「そんな顔しないで。すぐ戻る」
「うん」
「心細いのなら彼を置いていくから」
雲雀くんは襖の傍で控える草壁くんに視線を遣る。
「哲。昴琉の相手をしてやって」
「へぃ」
「但し、部屋の中には入らないで。
昴琉も部屋から出たら咬み殺すから」
「分かってるわ」
同じ敷地内にいるんだし、ひとりで待つのが心細いわけじゃないけれど、雲雀くん以外の人と話せる折角のチャンスを、自分から無にすることもない。
あたしは雲雀くんの出した条件に素直に頷いた。
まぁ、いつものことだしね。
「じゃぁ行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
深々とお辞儀をして主を見送る草壁くんの横を通り抜け、雲雀くんは再び仕事へと向かった。
「…ねぇ、草壁くん。雲雀くんて昔からあんな感じ?」
「えぇ、知り合った頃からお変わりありません。
―――あぁでも、桜塚さんがいらしてからは、随分丸くなられました」
「…あれで?」
「えぇ。殴られる回数が格段に減りました」
「……そ、それは良かったわね」
真顔で答える草壁くんに、あたしはどうにか引き攣らせずに笑顔を向けた。
気を取り直し、淹れかけだったお茶を二つの湯呑に注ぎ、それぞれ八分目まで満たす。
部屋の中に入れない草壁くんにそれを持っていき、あたしも襖の傍に腰を下ろした。
無駄に広い部屋のせいで、部屋の内と外で会話をするには距離があってむず痒いのよね。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「冷えるでしょ、そこ。座布団いる?毛布もあるわよ?」
「いえ、そこまでして頂くわけには。戻ってきた恭さんに見られたら何をされるか…」
片手を上げて遠慮する草壁くんの顔が若干蒼いのは、1月の寒さのせいだけではなさそうだ。
ちょっと興味が湧いて、あたしが差し出した湯呑を受け取る彼に訊いてみる。
「因みに雲雀くんって、どんなことで殴るの…?」
「そうですね…大体は仕事でミスをした時や、うっかり恭さんの目の前で群れてしまった時ですが…。
最近では桜塚さんがお越しになる少し前に、お召しになる酒量が増えていたので、晩酌に出す酒を水増しして出したら、バカにしているのかと殴られました」
「へ、へぇ…」
雲雀くんそういうの敏感だからなぁ。
あたしの作った物は黙って食べてくれていたけど、食べ物もわりと煩いし。
それにしたって、自分の身体を思い遣ってしてくれた親切に、なんて酷い仕打ちを…。
堪えられずに結局笑顔が引き攣ってしまった。
それを見た草壁くんは小さく笑って、何故か目を伏せた。
「…桜塚さんをこちらに呼ぶ目途が立たず、一時は本当に荒れていて…。
気丈に振る舞っておられましたが、自ら危険な仕事に飛び込むこともしばしばありました」
「雲雀くんが…?」
「えぇ…それで、申し上げ難いことなのですが…少しでも気が紛れればと女性を紹介したことがございます」
「ぇ…っ」
思い掛けない暴露に心臓が跳ねた。
離れていた5年間、全く彼に浮いた話がなかったとは思っていなかったけれど、やはりそういった話はあってほしくないのが本音だ。
二の句が継げずにいるあたしに、草壁くんは柔らかく笑ってみせた。
「ご心配には及びませんよ。勿論恭さんはお断りになりました。
相手の顔もご覧にならず、それはもうきっぱりと」
「そ、そう…」
ホッとして胸を撫で下ろすと、草壁くんは眉尻を下げた。
そして、暖を取る為に両手で包むように持っていた湯呑に視線を落とした。
「―――すみません。
あの時のオレは、桜塚さんをこちらへ呼ぶプロジェクトに疑問を持っていたんです。
初恋であるが故に、恭さんは桜塚さんに固執なさっているのかもしれない。
こちらの世界にも恭さんの御眼鏡に適う女性がいるのではないか。
だとしたら莫大な費用を投資してなお、牛の歩みのこのプロジェクトを推し進める意味が果たしてあるのか?
…そう思ったんです」
それは当然の疑念。
当事者の雲雀くんには冷静に判断することは望めないし、第三者の草壁くんから見れば、他の世界から人を転送させるなんて、絵空事の範疇を出なかったんじゃないだろうか。
実際に雲雀くんはあたしの世界に飛ばされていたわけだけれど、初めはあたしも半信半疑だったし。
主の進む道が間違っているのなら、それを正すのも大事な部下の務めだろう。
「いつ完成するかも分からず、イタリアと日本を幾度となく行き来する日々を、頑なにおひとりで過ごす恭さんの姿はあまりに辛そうで…。
1日でも早くオレは恭さんに元気になってもらいたかったし、自分のしていることに意味があるのか知りたかったんです」
そう言い終えた草壁くんはゆっくり湯呑に口をつけ、気持ちを入れ換えるかのようにゴクリとお茶を飲んだ。
「ですが、実際こうして桜塚さんにお会いして、あの時の自分が如何に愚かだったか思い知りました。
恭さんがお選びになった方なのですから、桜塚さんを措いて他に、あの方の伴侶に相応しい方がいるわけはないですからね」
「は、伴侶だなんて…!まだ結婚したんじゃないし…」
あたしは照れ臭くて、自分の左手の薬指に嵌められた証を反対の手で弄る。
雲雀くんと再会出来ただけでも嬉しくて仕方ないのに、プロポーズしてもらって…それを他の人から言われると、妙に実感しちゃうっていうか…。
うぅ、顔が熱い…!
モジモジしつつ草壁くんを見ると、あたしとは正反対の表情を浮かべていた。
「…どうしたの?顔色悪いわ」
「へ、へぃ…あの時烈火の如くお怒りになった恭さんに、トンファーで滅茶苦茶に叩きのめされ、3日間死線を彷徨ったのを思い出して…」
し、死線て…!
どれだけ頭に来たのよ、雲雀くん。
暴力はダメよ、暴力は。
…でもごめんね、草壁くん。
それだけ彼に想われていたんだと思うと、ちょっと嬉しかったりしちゃう。
それでも理不尽な理由で、日常的に殴られている彼には同情せざるを得ない。
雲雀くんにも困ったものだわ。
どうしてこうあたしと他の人に対する態度が違うんだろ。
本当にしょうのない子。
つい溜め息が漏れる。
「草壁くんも大変ね…」
「そうですか?」
「いやだって、草壁くんより付き合いの短いあたしが言うのもなんだけど、雲雀くんて我が侭で付き合い難いでしょう?
気に入らないとすぐ殴るみたいだし。
最近だって雲雀くん以上に仕事こなしてるんだよね?彼の下で働くの大変じゃない?」
「…そうですね。正直勘弁してくれと言いたくなるような無理難題もありますが、貴女と一緒にいる恭さんのあの顔を見たら、頑張らないわけには。
それにあの方にはお役に立ちたいと思わせる不思議な魅力がありますから」
「そ、そう…」
何故か誇らしげに笑う草壁くんを見て、あたしは確信した。
この人は真性の苦労人だ…!
雲雀くんの魅力についてはあたしも認めるけど、果たして殴られてまでついて行こうと思えるだろうか。
…思えない。
もしかすると雲雀くんに『お人好し』の称号を貰っているあたしなんかより、余程お人好しなんじゃない?
いや、お人好しなんてレベルじゃないかも。
…神様?仏様?
そんな風に考えていると、草壁くんが少し遠慮がちに訊いてきた。
「桜塚さんこそ、恭さんがべったりで大変そうですが…」
確かに彼、仕事以外では殆どあたしの傍を離れない。
それはこちらに来たばかりのあたしが淋しい思いをしないようにとの配慮と、離れていた間の心の飢えを埋めようとする彼の本能。
だから―――
「あたしは平気。
草壁くんには申し訳ないけど、今は雲雀くん甘やかしてあげたいし、正直一緒にいられるのは嬉しいから」
「桜塚さん…」
「あ。でも、草壁くんもあたしに出来ることがあったら言ってね。
お仕事は代わってあげられないけど、雲雀くんのことなら協力出来ると思うから」
「ありがとうごはっ」
何の前触れもなく草壁くんが吹っ飛び、彼の持っている湯呑からお茶が飛び出し宙を舞う。
「きゃぁ!く、草壁くん…!」
あたしは思わず悲鳴を上げた。
彼を吹っ飛ばしたのは、戻ってきた雲雀くんの長い右脚だった。
「近いよ。昴琉の3m以内に近付かないで」
って、3mって…遠!
一体何基準?!
草壁くん吹っ飛んだまま起き上がらないんですけど…!
不機嫌そうに鼻を鳴らした雲雀くんは、草壁くんに駆け寄ろうとしたあたしの腕を掴まえた。
「昴琉もお仕置きだよ」
「え?!部屋出てないわよ?!」
そう。今も草壁くんに駆け寄ろうとしたけれど、ギリギリ境界は越えていない。
「部屋は出ていないけど、僕の湯呑を哲に使わせた」
「えぇ?!そんなの洗えばいいじゃないっ」
「嫌だ」
ムスッと口をへの字に曲げる年下の彼。
「そんなぁー!」
「咬み殺す」
ご、ごめん…草壁くん…!
雲雀くんを思うように動かすのは、あたしにはまだ無理かも…!
殴られなかったけれど蹴り飛ばされ、雲雀くんの湯呑を持ったまま失神している草壁くんの横で、あたしは心の中で彼にひたすら謝罪した。
雲雀くんに抱き込まれ、キスのお仕置きを受けながら。
苦労人余話
2011.12.11
結局ふたりとも苦労人(笑)
素敵な感想漫画を描いてくださった園田さまに捧げますv
凄く楽しかったです!ありがとうございました〜^^
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