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※44話、海で水をかけ合ったその後のお話。

すっかり水平線の向こう側に太陽が姿を隠し、真っ暗になってしまった砂浜を雲雀くんと手を繋いで車まで戻る。
照れ隠しで始めた水かけっこで、二人とも髪から服から濡れていた。
あたしはワンピースを指先で摘まんで濡れ加減を確かめながらぼやいた。


「結構濡れちゃったね〜」

「バカみたいにはしゃぐからでしょ」

「雲雀くんだって楽しそうだったじゃない」

「僕は昴琉に合わせてあげただけさ」

「またまた〜。目が本気だったわよ」

「だからそれは貴女が…」

「はぃはーぃ、あたしのせいですよー」


拗れる前に、あたしは小さく舌を出してくだらない会話に終止符を打った。
聡い雲雀くんもその意図が見えたのだろう。
ムスッとしたものの、小さく息を吐いただけでそれ以上食ってかかってはこなかった。
それでも何かしらの抵抗をしたかったらしく、繋いでいた手をパッと離し後ろを向いてしまった。
遣り込めたわけではないが、会話を切られることでそれと等しく感じたのかもしれない。
可愛い年下の彼の態度に苦笑を漏らしつつ、あたしは車のトランクを開ける。

えっーと、タオル積んでたかなぁ。

ガサゴソと探してみたが、洗車用の雑巾が出てきただけだった。
…流石に雑巾で拭く気にはなれない。
ティッシュも積んではいたが、如何せんウエットティッシュだからどうにも代用にはならない。
バッグの中にハンカチも入っているけど、それじゃ間に合わないほどに濡れている。
マンションに帰るまで1時間以上かかるし、何分秋口の夜だ。
流石に濡れ鼠のままでは風邪を引く。
ふと向けた視線の先にコンビニがあった。
場所は通りの反対側で、車を動かすほどでもない。


「ちょっとコンビニ行ってタオル買ってくるよ」


バッグの中からお財布を取り出し、トランクを閉めながら背を向けたままの雲雀くんにそう告げて、あたしはコンビニに向けて歩き出した。
すると不意に指先を掴まれる。
驚いて振り返ると、何故か雲雀くんが縋るような表情を浮かべ、あたしを引き止めていた。


行かないでと、まるで初めて留守番を言い付けられた幼子みたいに。


雲雀くんに似つかわしくない頼りなさに、息が詰まる。
何て声をかけていいのか分からない。
彼も真一文字に口を噤んだまま何も言わない。
互いに言葉もなく見つめ合う。

一定のリズムで寄せては返す波の音が時間の感覚を奪い、それでも止まることなく唯々時を刻む。

どれくらい見つめ合っていただろう。
通り過ぎる車が不意に鳴らしたクラクションで我に返った雲雀くんは、短く息を吐くとそっとあたしの手を解放した。


「…僕が行く」

「あ、じゃぁ一緒に「ダメだよ」」


強い口調で断られて、少し驚く。
まださっきの応酬を根に持っているのだろうか。
そんな疑問も、続いた言葉であっさり解決する。


「そんな艶っぽい姿、他の男に見せたくない」


雲雀くんは少し頬を赤らめて視線を逸らし、不機嫌そうに口をへの字に曲げる。
あぁ、そっか。気を遣ってくれたのね。
艶っぽいかどうかは分からないが、確かに成人女性が濡れた服でふらふらとコンビニに行くのは、ちょっとばかりはしたないかもしれない。
コンビニ側にとっては海が目の前だからきっとこんなこと日常茶飯事だろうけど、少なくとも雲雀くんはそう思っているのよね。
今更だけど女として彼に認識されていることが嬉しくもあり、ちょっぴり…恥ずかしい。


「うん。じゃぁ、お願い」


照れながら彼の手にお財布を持たせる。
しかし、雲雀くんはその場を動こうとしなかった。
綺麗な漆黒の瞳を彷徨わせ、何か躊躇っているような雰囲気。


「どうしたの?」

「昴琉」

「ん?」


微笑んで首を傾げると、唐突に抱き締められた。
胸に空気を留めておけないほど力強く抱かれて、海水を浴びて冷えた身体が一気に熱を持つ。
雲雀くんはあたしの耳元に唇を寄せると、小さな声で呟いた。


「―――消えたら…許さないからね」


搾り出された切ない声色に一瞬呼吸が止まる。
消えたらって…どういう意味?
あたしが消えるってこと…?
それとも―――――気付かれた…?
疚しさがあるだけに動揺が全身を駆け巡り、ドクンドクンと鼓動を必要以上に脈打たせる。


「返事は?」

「は、はぃ。ここにいます」


強要されて口から零れた答えは、敬語になってしまったことを除けば酷くありきたりのものだった。
けれどそれで良かったらしい。
雲雀くんは短く息を吐いた後、ゆっくりあたしから離れた。


「すぐ戻るけど、車の中で待ってて」

「うん」


にっこり笑って雲雀くんを送る。
深く考え過ぎ…だよね。
お互いの気持ちを確認したすぐ後だもん。
幾ら彼が鋭いとはいっても、他人の心を隅々まで読むのは不可能だ。
コンビニに向かっていた雲雀くんは、数歩歩いた所で足を止めて振り返り「絶対だよ?」と念を押す。
笑って大きく頷いて答えるとやっと安心したようで、彼は早足で道路を渡って行った。

雲雀くんの姿がコンビニに入るのを見届けて、あたしは海へと視線を向ける。
そこにはもう夕暮れの心を奪われるほど美しい海はなく、空と海の境界も曖昧で全てを飲み込んでしまいそうな深い闇の海に変わっていた。


ふと蘇る、縋るような漆黒の瞳。


今頃になって彼に掴まれた指先がじんじんと痛くなって、摩る。
本当に心配性なんだから…。
あたしが君を捨てて、何処かに行けるわけないじゃない。
こんなにも愛しているのに。


―――――だから、決意は変えられない。


雲雀くん。
あたしはここにいるよ。


ずっとこの世界に―――――


***


チャイムが鳴る自動ドアを潜ってコンビニに入る。
いらっしゃいませの挨拶を背中で受け、流行の曲が流れる店内を足早に巡り、目的のタオルを探す。
こういった時は普段買い物をしないのが悔やまれる。
昴琉とスーパーには行くけれど、コンビニはあまり利用したことがないから陳列順がよく分からない。
しかもタオルなんて山積みされてるような商品じゃないし、気も急いていたから余計に見つからない。

そう、気が急いている。

昴琉が僕の腕から逃げ出して、僕を大好きだと叫んだあの時から。


理由の分からない焦燥感―――そして喪失感。


あんなに綺麗に彼女が笑っていたのに、僕は答えを間違えたような気がしてならなかった。
彼女の望む言葉も、態度も、自分の想いも、示したはずなのに。

だからコンビニへ行こうと僕に背を向けた昴琉が、そのままいなくなってしまいそうな気がして、つい手を伸ばしてしまった。


しっかり掴もうとした手が辛うじてとらえたのは、彼女の細く冷たい指先。


海水に触れて冷えているだけだと分かっていても、それは酷く僕の心を不安にさせた。
濡れた姿を他の男に見せたくないのも本当だったけど、核心を素直に昴琉に話せなかった。
自分の不安を認めてはいけない気がした。

それに不安に揺れる年下の男なんて、頼りなくて格好悪過ぎる。
それでもこうしている間にも彼女が消えてしまいそうで…落ち着かない。


―――――早く、昴琉のところに戻りたい。


一度探した場所にあったタオルを漸く見つけて二枚手に取った。
焦っていたせいで見落としていたようだ。
レジの横に並べられた温かい缶コーヒーも二つ取って、レジで精算する。
思ったよりも時間を食ってしまった。
…変な男に絡まれてなきゃいいけど。
やっぱり一緒に来ればよかったかと思いながらコンビニを出て、昴琉の車が停めてある道路の向こう側を見た。


車が、ない。


愕然とする。
向こうの駐車場は暗いけれど、車は街灯の下に停めてあったから見紛うことはない。
心臓がドッドッドッと激しく身体に血液を送り出す。
けれどそれが間に合わない速度で血の気は引いていく。
本当に昴琉がいなくなって…―――――


「雲雀くん」


すぐ近くでした昴琉の声にハッとし、指に引っ掛けていたビニール袋を落しかけた。
声の方を向くと、「こっち」と昴琉が手招きしていた。
その後ろには車もある。
よろよろと彼女へ歩み寄る。


「何で…」

「ただ待ってるのも暇だったし。それにほら、道路横断して雲雀くんがひかれたら困るもの」


昴琉は真面目な顔をして言う。
どこの子供だよ、ソレ。
こっちは肝を冷やしたっていうのに……


「ムカつく…!」


僕は昴琉の胸に持っていたビニール袋を押し付けた。
中からタオルを取り出し、それを包んでいた袋を引き裂いて彼女の頭に被せ、わしゃわしゃと乱暴に髪を拭く。


「ひゃっ、ちょ、ちょっと!拭いてくれるならもっと優しくしてよ…っ髪絡まっちゃうっ」

「嫌だね」

「雲雀くん…!」

「僕を怒らせた貴女が悪い」


昴琉に悪気がないのは分かってる。
好いてくれていても、彼女にとっては僕はまだ保護すべき子供。
そう思うと情けないやらムカつくやらで、彼女の髪を拭く僕の手に力を籠もらせた。
小さく悲鳴を上げながら僕の所業に耐える昴琉に宣言する。


「今晩から1週間、夕食ハンバーグね」

「えぇ?!」

「文句あるのかい?」


僕はより一層強く彼女の髪を拭く。
すると流石に耐えられなくなった昴琉は、頭をかくかくさせながら了承した。


「あんっもうっ痛いっ分かったから止めて…!」

「毎日ちゃんとアレンジしてよ」

「……了解」


不承不承頷く昴琉の様子に一先ず溜飲を下げ、僕は彼女の髪を拭く手を緩めてやった。
この時に感じていた悪い予感が、近い未来違う形で実現してしまうことも知らずに。




2011.6.18



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