※57話後、帰り道でのお話。「足、疲れないかい?」
「うん、大丈夫」
穏やかな笑みを浮かべてそう訊かれ、あたしも笑顔を返す。
・・・本当は綺麗な漆黒の瞳に見つめられてドキッとしたのだけれど。
並盛神社からの帰り道。
お正月のゆったりとした時間が流れる住宅街を、あたしは雲雀くんと手を繋いで歩いていた。
神社にも財団の秘密基地に続く入り口があるが、流石にあの人混みで堂々と使うわけにはいかない。
折角振袖も着付けてもらって雲雀くんと外に出られたし、お散歩がてらちょっと遠回りをして別の入り口に向かっていた。
慣れない格好のあたしを気遣って歩調を合わせ、ゆっくりと横を歩く雲雀くんに声をかける。
「お雑煮何味にする?」
「醤油がいいな」
「具はどうしようかしら。小松菜と鶏肉と…」
「蒲鉾」
「ん、蒲鉾ね」
「楽しみだな」
「腕によりをかけて作るけど、あんまり期待しないでね」
「昴琉の作る料理、僕は好きだよ」
「…だから、さらりとプレッシャーかけないでよ」
ちょっぴり恨めしそうに見上げると、雲雀くんは喉の奥でククッと笑った。
んもう、意地悪だなぁ。
でもこんな他愛もない会話なのに、とても心が満たされるから不思議。
通り過ぎる家々の玄関には様々な形の注連飾りが飾られ、おめでたい雰囲気を殊更演出している。
何軒か庭先に南天も植えられていて、その真っ赤な実もお正月飾りに花を添えていた。
まさか雲雀くんとお正月を迎えられるなんて、思ってもみなかったなぁ。
数日前まで二度と雲雀くんと逢えないと思っていたし、今こうやって一緒にいるのも夢なんじゃないかと未だに疑ってしまう。
でも繋いだ手から伝わる温かな体温が、確かに彼が傍にいるのだと教えてくれる。
本当に、幸せ。
***
掌いっぱいに幸せを感じながら歩いていると、行く手に子供が飛び跳ねているのが見えた。
飛び跳ねていたのは男の子で、その手には羽子板が握られている。
そしてその横にはやっぱり羽子板を持った女の子が、今にも泣き出しそうな顔で立っていた。
何だか心配になって、通り掛かりに立ち止まって声をかける。
「どうしたの?」
「羽根、木に引っ掛かっちゃって…」
男の子は突然声をかけられて驚いたようだったが、上を指差し困り顔で教えてくれた。
見上げれば確かに色鮮やかな羽根が枝に引っ掛かっていた。
あらら…この高さじゃ自力でこの子達が羽根を取るのは無理だわ。
木は一般的な庭木よりも背が高く、よじ登って取るには細過ぎた。
近くの塀に上ろうにも木の側にあるのは鉄製の柵で、乗れないことはないが心許無い。
うーん。羽子板を借りてジャンプして…あたしならギリギリ届くかなぁ。
振袖だからどれくらい跳べるか分からないけれど。
男の子と一緒に上を見上げて思案していると、女の子が大きな瞳からぽろぽろと涙を零し始めた。
「うぅ、ひっく…お兄ちゃん、ひっく、ごめんね」
「バカ!泣くなよ。取ってやるから」
少し怒りながらも、男の子は女の子の頭をわしゃわしゃ撫でた。
そっか、兄妹だったのね。
女の子は唇を固く引き結んで泣くのを耐え、自分の服の裾を小さな手で握り締めている。
男の子はそれを見て、またピョンピョン飛び跳ね始めた。
妹思いの良いお兄ちゃんじゃないの。
―――――やっぱり家族っていいな。
お兄ちゃんの面子は潰してしまうかもしれないけれど、羽根取ってあげたいな。
助けを申し出ようとした瞬間、今まで涼しい顔で様子を黙って見ていた雲雀くんが小さな溜め息を漏らした。
そして何処からともなく愛用のトンファーを取り出し、ヒョイッとそれを上に向かって投げる。
ど、何処に隠してたの?!
トンファーはクルクルと回転しながら羽根の引っ掛かった枝に見事に命中。
乾いた音が響いたが枝は折れることなく衝撃でしなり、大きく二、三度揺れると捕まえていた羽根を宙へ放り出した。
雲雀くんは落下してきたトンファーと羽根を交互にキャッチ。
相変わらず悔しいくらいいとも簡単に難しいことをやって退けるわね。
雲雀くんは男の子の眼前に羽根を摘んで差し出し、パッと指を離した。
無駄の無い一連の動作に見惚れていた男の子は、慌ててそれを両手で受け止める。
「あ、ありがとう」
お礼を言われた雲雀くんはちょっとだけ口角を上げてそれに答えると、有無を言わさずあたしの手を引いて歩き出した。
ポカンと立ち尽くしている兄妹にバイバイと手を振って、あたしは足を速めて彼の隣に並んだ。
「優しいのね」
「優しい?僕が?」
雲雀くんは少し驚いたように瞳を大きくしてあたしを見た。
心外だと言わんばかりに。
「だって助けてあげたじゃない」
「結果的にそうなっただけだよ。
僕が手を貸さなくとも、お人好しの昴琉なら彼らを助けただろ?」
「うん、まぁ」
「僕はその代わりをしただけさ。
あの高さでは貴女が取るには時間がかかるし、その間僕もあの場に止まることになる。
早く雑煮が食べたかったし、無駄な時間を省いただけだよ。
だから優しさとは違う」
「そうなの?」
「そうだよ。強いて言うなら、小さいけれど彼らも並盛の住人だからね。
少しだけ情けをかけてやってもいいと思ったのさ」
彼は正面を見つめたまま飄々と言った。
雲雀くんの線引きの基準がイマイチ分からない。
彼にとって並盛がとても大事なのは知っているけど、優しいから情けをかけるんじゃないのかしら。
第一早くお雑煮が食べたいなんて、見え見えの嘘。
もし本当に早く食べたいんだったら、こんなに回り道してゆっくり歩いたりなんてしないはずだもの。
彼なりの照れ隠し…なのかな。
「理屈はどうあれ。
困っている人に手を差し伸べられる雲雀くんは、やっぱり優しいと思うわ」
歩きながら彼の顔を覗き込んでそう言うと、雲雀くんは切れ長の瞳を大きく見開いた。
「ね?」と微笑めば色白の顔が見る見る紅葉していく。
雲雀くん、可愛い。
彼は赤い顔をそのままに、けれど口をへの字に曲げて視線を正面に戻す。
そして、
「…僕が優しくしたいのはひとりだけなんだけどね」
と繋ぐ手に少し力を込めて、小さな声で呟いた。
トクン、と自分の心臓が跳ねる。
そのひとりは…あたしだって思っていいの?
あたしの為にあの子達を助けてくれたの?
―――――でも…きっとそんなの関係なくて。
あたしが助けようとしなくても、雲雀くんはきっとあの子達に手を貸していたと思うんだよね。
だって、君はあたしの大好きなヒトだもの。
素直じゃないし、不器用だけど……
「やっぱり君は優しいと思う」
もう一度だけそう告げて。
あたしは彼の優しさを閉じ込めるように、その手を握り返した。
優しいヒト。
2009.1.6
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