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よし、後は煮込むだけね。
お玉杓子で煮汁を掬って味見をしたあたしは、筑前煮の入ったお鍋に蓋をした。
キッチンのテーブルの上に置いていた携帯電話を手に取り時間を確認する。
煮込み時間と味を染み込ませる時間を考えると、雲雀くんの帰って来る時間ギリギリかな。
ま、大丈夫でしょ。煮込んでる間にお味噌汁とか他のおかず作っちゃお。
中断した夕食の準備を再開しようと携帯をテーブルに置きかけて、あたしはふとその手を止めた。
もう一度持ち直してデータフォルダを開く。
そこにはこの間撮った雲雀くんとのツーショット写真がいくつか保存されていた。

雲雀くんってばにこにこしちゃって。

愛しい彼の笑顔にあたしの頬も自然と緩む。
写真の中の彼は直前まで喧嘩していたのが嘘みたいに上機嫌だった。
雲雀くんってあんまり写真好きじゃないんだと思ってたから興味を示すなんて意外だったなぁ。
あちらで使っていた携帯にもカメラ付いてたけど撮らなかったし、社員旅行の時もまともに写ったのなかったような…。
神主さんに撮ってもらったのもあたしは引き攣り笑顔で、雲雀くんは口をへの字に曲げた不機嫌顔だったしね。
今回は二人とも笑顔で映れている。

それにしても…シャッターを切る直前、不意打ちで頬にキスをされ撮ってしまったこの写真は流石に恥ずかしい。

見事に鳩が豆鉄砲を食ったような顔だよ、あたし。
嫌なら消せばいいんだけど、雲雀くんの横顔が素敵過ぎて消せない…。
携帯の小さな画面の中であたしの頬に口付ける雲雀くんをそっと指先で撫でる。


―――――もうすぐ、こんなカッコいい人の奥さんになっちゃうんだ。


って、やだ!ひとりでニヤついて気持ち悪っ
誰かに見られているわけじゃないけど、急に恥ずかしさが込み上げてあたしは慌てて携帯を閉じた。

んもう…雲雀くんがカッコいいのが悪いのよ。

火照った顔を軽く叩いて気合を入れ、携帯を元の場所に戻す。
さて他のおかず作ろっと。
そう思って冷蔵庫を開けた時だった。
玄関の方からガチャッと音がして、「入るなら早く入ってよ」と雲雀くんの不機嫌な声が聞こえてきた。

んん?珍しい。雲雀くん誰か連れて来たのかな。

不思議に思いながら冷蔵庫を閉めて玄関に向かう。
「お帰りなさい」と言いかけて、あたしは自分の目に飛び込んできた光景に声を呑み込んでしまった。
そこには雲雀くんの他に背の大きな男の人が三人立っていた。
ディーノさんと、雲雀くんのお屋敷でちらりと見かけた部下の人。
草壁くんも一緒だ。
成人男性が四人もマンションの玄関に居ると、それはもう狭苦しい。
しかもディーノさんの部下の人と草壁くんは両手一杯に荷物を抱えているから窮屈さ倍増。
相変わらず端整な顔に爽やかな笑顔を浮かべて、ディーノさんは気圧されているあたしに向かってひょいっと片手を挙げた。


「よぉ、昴琉!元気にしてたか?」

「あ、はい。ディーノさんもお元気そうで何よりです。
 今日はどうなさったんですか?お仕事の打ち合わせ?」

「いや、遊びに来た。この間昴琉の手料理食いそびれたし。
 勝手に来ると恭弥に殺されるから一緒に来たぜ」

「一緒も何も。マンション前で待ち伏せて強引について来ておいてよく言うよ」


ネクタイを緩めながら廊下に上がった雲雀くんがムスッとした顔で言う。


「いーじゃねーか。ロマーリオと草壁が良い酒手に入れてきたんだ。
 どうせ飲むなら皆で飲んだ方が美味いだろ?」

「だからってうちに押しかけないでくれる?」

「だってお前、こうでもしねーと昴琉に会わせてくれねーじゃん」


ディーノさんの言葉に雲雀くんの表情が険しいモノに変わる。
彼は自分の家庭教師を怒気を孕んだ漆黒の瞳で睨め付けた。


「…狙ってるの?」

「だったらどうする?」

「決まってる。この場で咬み殺してあげるよ」


普通の人なら怖くて失神してしまうんじゃないかと思うくらい鋭い雲雀くんの睨みを、ディーノさんは不敵な笑みで受け止めた。
彼の背後でロマーリオさんは「やれやれ」と苦笑を浮かべ、草壁くんはハラハラ見守っている。
何だか話が変な方向に…。
っていうか雲雀くんの反応をディーノさんが楽しんでいるように見える。
狭い玄関で暴れられても困るし、何よりこのままでは血を見る事態が起こりかねない。
兎に角仲裁しておこう。
あたしは雲雀くんのスーツの袖をくぃっと引っ張る。


「雲雀くん、折角遊びに来てくれたんだしそんなに怒らないで?
 ディーノさんも。あんまり雲雀くんをからかわないで下さいよ」

「ハハ!お見通しか。昴琉が絡むと恭弥ムキになるから面白くてな」

「んもう…人が悪いです」

「わりぃ」


ディーノさんは軽く笑って頭を掻いた。
雲雀くんからかえるなんて流石彼の家庭教師だわ。
自分が遊ばれたのだと理解した雲雀くんは、これ以上ない程口をへの字に曲げて寝室に行ってしまった。
苛立ちの為かバン!と勢いよく閉められたドアの音に、思わず皆で顔を合わせて苦笑する。


「いつまでもこんな所で立ち話もなんですから、どうぞ上がってくださいな」


あたしは人数分のスリッパを廊下に並べて、まだ苦笑を漏らしているディーノさん達を招き入れた。


***


草壁くんとロマーリオさんはちょっとしたおつまみを買ってきてくれていた。
クラッカーとか、チーズとか、さきいかとか、ナッツ類なんかも。
お酒はそれと釣り合わないくらいの本数で、どれもこれも高級そうな銘柄だ。
これ全部飲んじゃうのかしら…。
雲雀くん皆の前では飲んじゃダメって言ってたし、きっとあたしの口には入らないわね。
残念…!

リビングのテーブルにそれらを広げている皆の所へ座布団代わりにクッションを持って行くと、ディーノさんが思い出したように口を開いた。


「そうだ、昴琉。ハンバーグ作ってくれよ」

「ハンバーグ、ですか?」

「恭弥がそこらのシェフが作るより美味いって自慢するから気になっててさ」

「えぇ?!雲雀くんそんなこと言ったんですか?」


あたしはぎょっとして抱えていたクッションを落しそうになってしまった。
ディーノさんは白い歯を見せて悪戯っ子のようにニッと笑う。


「おぅ。すげー自慢してたぜ」

「オレもそう聞いてます。是非御相伴に預かりたいですね」

「や、やだ、草壁くんまで…!普通ですよ、普通!」


あたしはいつの間にか貼られたレッテルを剥がそうと、慌てて顔の前で手を振った。
何てことを言ってくれたの、雲雀くん…!
謙遜しているわけではなくて、本当に普通レベルなの。
他の料理だって、頻繁に作るものならレシピ見なくても作れるって程度。
だからそんな期待に満ちた目で見られても困るっ
けれどディーノさんは優しく笑ってお願いしてきた。


「普通でもいいさ。作ってくれよ」

「う、うーん…じゃぁ、材料があったら作ります」


あたしはプレッシャーを感じつつも彼の頼みを受け入れた。
ここ2、3日買出しに行っていないから大した物は作れないけれど、簡単な料理を作っておもてなししようとは思っていたし、断る理由も無い。
というか、あんな綺麗な笑顔でお願いされて断れる女の子がいたら会ってみたいよ。
こうなったら肝を据えてハンバーグの材料確認しなきゃ。
クッションを草壁くんに渡してキッチンへ移動する。

んー、挽肉残ってたかなぁ…。

冷凍庫の中身を思い出しながら開けようとしたところを、後ろからふんわりと抱き締められた。
スーツから普段着に着替えた雲雀くんだ。
振り仰いだ彼の顔はさっきよりは幾分マシだが、やっぱりまだ不機嫌そうだった。


「急に連れて来て悪いね」

「ううん、平気よ。こういうの楽しくて好きだし。
 ディーノさんとロマーリオさん筑前煮は食べられるかな?」

「さぁ」

「ハンバーグはお願いされたか「作らなくていい」」


雲雀くんはぴしゃりと話を遮った。
あまりの勢いに面食らってしまったけれど、あたしは話を続ける。


「でもディーノさん達食べたいって…」

「絶対駄目。作ったら昴琉といえども咬み殺す」

「お、大袈裟な…一回くらいいいじゃない」

「嫌だ」


拗ねたように言って、雲雀くんはあたしを抱く腕にゆっくり力を込める。


「…貴女のハンバーグの味は、僕だけが知っていればいい」


鼓膜に直接響かせるかのように耳に唇を寄せて囁かれ、胸の奥がきゅぅっと狭くなる。
こちらに来てからよく美味しいって言ってくれるし、それだけ雲雀くんにとってあたしの作るハンバーグは特別ってこと?

―――独り占め、したいくらい…?

それは…凄く、嬉しいかも。
一番食べて欲しいのは雲雀くんだし、彼があたしのハンバーグを好きでいてくれるのなら、そんな独占も悪くないよね?


「…うん、分かった。雲雀くん以外には作らない」


あたしは雲雀くんを安心させるようににっこり笑って、彼の可愛いお願いを承諾した。
雲雀くんはその答えに満足そうに笑って、あたしの顎をそっと掬う。
そして唇を重ねようと肩越しに覗き込んできた。
わ、ちょっと!皆いるのに…!
見られちゃうよ…っ
身を硬くしたあたしに、彼は「駄目?」と熱っぽい瞳で訴えかける。
…魔力さえ感じるこの瞳に抗える術は、恐らく一生身に付けられない気がする。


―――――軽く、触れるだけなら…。


力を抜いてそっと瞼を閉じると、雲雀くんはクスリと笑って更にあたしを上向かせた。
自分の前髪に彼の黒髪が触れて、胸の鼓動を高める。
自然と誘うように薄く開いてしまった唇に雲雀くんのそれが近付いて……


「なぁ恭弥、グラス…っておわッ」

「「!!」」


正に寸前。
キッチンにディーノさんがグラスを取りに来てしまった。
慌ててあたしは顔を背けたが、バッチリ見られた!
し、してないけど…そういう瞬間の方が凄く気不味いし恥ずかしい。
火が噴き出しそうなほど顔を真っ赤にしたあたしを抱いたまま、雲雀くんは大きく溜め息を吐いた。
そして「わ、わりぃ」と呟くディーノさんに冷たい視線を向けて言う。


「貴方『跳ね馬』から『お邪魔虫』に改名したら?」


雲雀くんはあたしを解放すると不機嫌丸出しで食器棚からグラスを人数分取り出し、ディーノさんに押し付けるように持たせて彼をリビングへ追いやった。
そして短く息を吐いてから振り返り、こちらに戻って来る。
仕切り直そうと伸びてきた彼の両手にあたしは筑前煮を盛った器を持たせた。
流石にあんなところを見られた直後にもう一度という気分にはなれない。


「先に皆と始めてて。あたしはハンバーグ以外の何かを作るから」

「作らなくていいよ。哲に何か買いに行かせる」

「ダーメ。草壁くん今日はお客様なんだから。ね?」


彼らしい反応に思わず苦笑して諭すように言う。
雲雀くんは少しの間ムスッとあたしを見つめていたが、溜め息を吐いてリビングへ筑前煮を持って行った。
きっと言っても無駄だって思ったんだろうね。
あたしが一度言い出したらきかないのは、雲雀くんも分かっているから。

さーて、何作ろうかな。

久々の酒宴にちょっぴりうきうきしながら、あたしは近くに置いてあった料理本を手に取った。



2010.12.14
ハンバーグのお話は番外編「realize」をご参照下さい。


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