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93


僕はトイレのドアに手を付いて、小さく溜め息を漏らす。
そして中の人物の機嫌がこれ以上損なわれないよう、出来る限り優しい声で呼び掛けた。


「昴琉、そろそろ機嫌直して出てきなよ」

「嫌」

「こんな子供みたいなマネ、貴女らしくないよ」

「だって、こうでもしないと雲雀くんあたしの話聞いてくれないじゃないっ」


珍しく不機嫌そうな声。


「昴琉…」

「君が条件を呑んでくれない限り、ここから出る気ないからね!」


ドアの向こうで彼女が息巻く。
いつもなら年上の彼女は折れてくれるのに、今回ばかりは頑なだ。
まさか昴琉があんなことでこんなに怒るなんて思わなかった僕は、トイレのドアに手を付いたまま何度目かも知れぬ溜め息を漏らした。


きっかけは些細なことだった。


早めに仕事を切り上げてマンションに戻ると、それを予想していなかった昴琉はソファで転寝をしていた。
無防備であどけない寝顔があまりにも可愛いくて、僕はこっそり携帯のカメラでそれを写した。
思ったより眠りの浅かった昴琉はシャッター音に驚いて跳び起きた。
自分の寝顔が撮られたと瞬時に理解して、昴琉は顔を真っ赤にして写真を消すよう必死に懇願してきた。

勿論そんな願いを聞き入れるつもりはない。

僕は頼み込む彼女の唇を自分のそれで塞いで強制的に黙らせた。
いつものように翻弄すればなあなあに出来ると思っていたし、昴琉ならまた「しょうのない子」と許してくれると思ったんだ。
でも今回ばかりは僕の考えが甘かったようだ。


昴琉は一瞬の隙を突いて僕の腕から逃げ出すと、唯一この部屋で施錠可能なトイレに駆け込んだのだ。


彼女が立て篭もって彼此30分。
一向に出てくる気配は無い。
鍵を壊し昴琉を引き摺り出すのは容易いが、それを察した彼女に「そんなことしたら本当に許さないからね」と先に釘を刺されている。
僕は携帯電話を開いて先程撮った彼女の写真を眺める。
画面に映し出された彼女の寝顔は、今の状況とは似つかないほどに穏やかだ。

どうして昴琉は嫌がるんだろう。
つい頬が緩んでしまうくらい可愛い寝顔なのに。


彼女の要求は写真の削除。
それに応じたくない僕。


平行線を辿る二人の望みを解決する糸口は既に思い付いている。
しかし僕は出来るならその手は使いたくなかった。
彼女に小さな嘘を吐くことになるから。

けど…仕方ないな。

写真も大事だが実物に勝るモノはない。
ドア一枚隔てた向こうに昴琉がいるのに、触れられないなんて本末転倒だからね。
僕はトイレ前の廊下に腰を下ろし、この焦れったい局面を打開する為の準備を始めた。


***


あたしは彼に踏み込まれないよう念の為にドアノブを押えながら、湧き上がる怒りと羞恥心に耐えていた。
こっそり寝顔撮るなんて…雲雀くん酷いっ


しかもスッピンの!!!


そりゃ寝る時とか外出しない時は肌のことも考えてノーメイクでいるから、今更雲雀くんに見られたって平気だよ?
でもそれが形に残るとなったら話は別。
女にとってそれがどれだけ恥ずかしいことか、雲雀くん分かってないんだわ。
消してって頼んでも彼は首を縦に振ってはくれなかった。
あまつさえキスで誤魔化そうとするなんて……!
許さないんだからっ
あたしはドアの向こう側にいるであろう雲雀くんに声をかけた。


「ねぇ、雲雀くん」

「何」

「もしかしてさっきの写真の他に隠れて撮ったの、ないよね?」

「……」

「…あるんだ」


押し黙った彼にあたしは頭を抱えたくなった。
まさかとは思ったけど、さっきのが初めてじゃないのね。
益々性質が悪いっ
彼の携帯電話の中に、自分の知らない恥ずかしい写真が一体どれだけ入っているのやら。
そう思うと汗顔の至りでその場をのた打ち回りたくなる。
是が非でも消してもらわなくては気になって落ち着けないわ。
けれどそんなあたしの気持ちなんて知るもんかと、雲雀くんは開き直ったように口を開いた。


「いいじゃない。写真の一枚や二枚」

「普通の写真だったらね。でも自分の知らない間に撮られたモノは嫌」

「可愛いのに」

「―――ッ」


ぬけぬけと言われた褒め言葉にあたしの顔はより一層熱を持つ。
だ、ダメよ。
嬉しいけどダメっ
これもきっと雲雀くんの作戦なんだから。
あたしは頭を軽く振って、崩れかけた決意を持ち直す。


「君がそう思ってくれても、あたしはすっごく恥ずかしいのっ」

「どうあっても出てこないつもり?」

「だから。雲雀くんが削除してくれれば出るって言ってるでしょ」


再び彼は口を噤んだ。
時計が無いから分からないけど、両者一歩も譲らないこの攻防は30分以上は続いている。
ドアの向こうにいるはずの雲雀くんは物音ひとつ立てない。

―――――雲雀くん、いるよね…?

訪れた長い沈黙に、あたしは少々不安な気持ちになる。
もしかしていい加減疲れてリビング行っちゃったとか。
天邪鬼な彼の性格を考えればそういう事態も起こり得る。
ドアを開けて確認したいけど、そこを捕まえられては立て篭もった意味が無くなっちゃうし…。
だからといって彼が相手にしてくれない状態でこのままここに居ても結局意味が無い。
うぅ…どうしよう。
何か声かけてみようかな。
不安に駆られてあれこれ悩んでいると、ドアの向こうで雲雀くんが短く息を吐くのが聞こえた。


「分かったよ。貴女の要求を受け入れよう」

「本当に?」

「あぁ、全て削除する。何なら貴女自身が消してくれても構わない。だから出てきてよ、昴琉」


つまらなそうな、それでいて淋しそうな雲雀くんの声。
本当の意味で彼があたしの不満を理解しているとは思えないけれど、削除すると言っている以上もう立て篭もって抵抗しても仕方ない。

……雲雀くんを信じて、出よう。

少し迷ったけれどそう決め、ドアノブをゆっくり回して少しだけドアを開ける。
こっそりその隙間から廊下の様子を窺うと、壁に背を預け廊下に座っていた雲雀くんと目が合った。
あたしを見つめる雲雀くんは、想像していたよりも途方に暮れた表情をしていて。
―――ドキリとしてしまった。
何て切り出そうか迷ったのも束の間、彼は弾かれたように腰を浮かせ、素早い動きで外側のドアノブを掴み勢いよく開ける。


「ひゃっ」


内側のドアノブを掴んだままだったあたしは支えを失い、体勢を崩して雲雀くんの胸に飛び込むように倒れ込んでしまった。
彼はしっかりあたしを抱き留めて、逞しい両腕で優しく包む。


「捕まえた」


ホッとしたように頭上で呟く雲雀くんの声が、あたしの胸を締め付けた。

…彼の言うとおり、ちょっと大人気なかったかな。

好きなヒトの写真を持っていたいと思うのは当たり前な欲求だと思う。
あたしだって雲雀くんの寝顔は可愛いと思うし、こっそり撮りたくなる気持ちも…分からなくもない。
恐る恐る上を向くと、雲雀くんは漆黒の瞳を細めて穏やかに微笑んでいた。
あたしが出てきて嬉しいの、かな。
そろそろ見慣れてきてもいいはずなのに、どうしてこんなにドキドキしちゃうんだろう。
綺麗な笑顔に射抜かれて動けないでいるあたしに、彼は「ごめん」と小さく囁いて唇を重ねようとした。
あたしはそれを慌てて制止する。


「ま、待って!ひとつ提案があるの」

「何だい?」

「提案っていうかお願いなんだけど。
 えっと、その…携帯のカメラでいいから一緒に写真撮らない?」


あたしの言葉に雲雀くんがきょとんとする。
消せ消せ騒いでた直後にこんなこと言われたら、そりゃ訳が分からないよね。
あたしは照れ笑いを浮かべて取り繕うように話を続ける。


「メールも電話も出来るけど、君がお仕事に行ってる間はやっぱり少し淋しいし…。
 それにほら!ドレス選ぶのにも写真あった方がイメージし易いでしょ?
 この間言いそびれちゃったんだけど、雲雀くんが作ってくれるドレスに合わせて、あたしも君のタキシード選んであげたいし。
 だからね、一緒に写った写真が欲しいな」

「昴琉…」


綺麗な漆黒の瞳を驚きに見開いた彼は、あたしの名を呟いて再び口角を上げた。
そして何処からともなく携帯電話を取り出しカメラを起動すると、あたしの身体をくるりと反転させ肩を抱き寄せた。


「今すぐ撮ろう」

「だ、ダメ!お化粧してから!それにさっきの写真消すのが先!」


これ以上恥ずかしい写真が増えては堪らない。
彼の手に握られた携帯電話を両手で掴まえると、雲雀くんは軽く舌打ちをした。


***


風紀財団の雑務を片付けていると、不意に胸ポケットに入れた携帯が鳴った。
取り出して確認すると先に帰った恭さんからのメールだった。
急用だろうかと思い、メールを開いたオレは愕然とする。

こ、これは…!

オレの目に飛び込んできたのは、彼の婚約者である桜塚さんの写真だった。
気持ち良さそうな寝顔からキッチンに立つ後姿まで。
何枚も添付されたそれらに写る桜塚さんの視線はどれもこちらを向いていない。


つまりこれは恭さんの隠し撮り?!


きょ、恭さん…オレにこんな写真を送って一体貴方は何がしたいんですか…。
まさか何かの事件?
いや、ただ惚気たいだけなのか?
だが何かの暗号だとしたら…。
判断に困ってひとり唸っていると、再び恭さんからメールが届いた。


『さっきのメール間違いだから削除して。
 見たら元が哲だって分からなくなるくらい、グチャグチャに咬み殺すから』


ぐ、グチャグチャって…自分で間違えておいてそれはないですよ、恭さん…!
オレは額に浮かんだ冷や汗を手の甲で拭う。

しかしこれで大体の察しは付いた。
恐らく恭さんは桜塚さんにこの写真の削除を要求され、メールに添付して一時避難させようとしたのだろう。
自分の持つ他のアドレスに。
間違えてオレのところに送ってくるなんて、余程慌てていたんだな。


―――――それだけ桜塚さんにゾッコンということか。


何だか二人の睦ましさが滲んでいるようで、この間違いメールを消すのは少々勿体無い気もする。
だが、それと引き換えに恭さんに咬み殺されるのは頂けない。
オレは苦笑を漏らしつつ、送られてきた間違いメールを削除した。



2010.11.23


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