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「私達は先に京子達のところへ行っているわ。心配しているといけないから。
貴女達はちゃんと二人で話してからいらっしゃい」
ドアの前で振り返ったビアンキさんは、穏やかな笑みを浮かべてあたしの肩をポンッと叩いた。
肩を叩かれたあたしの方は、苦笑いが浮かんでしまった。
京子ちゃんとハルちゃんには先にビュッフェに行ってもらっていた。
いくら心配かけたとはいえ、こんな痴話喧嘩を純粋な彼女達に聞かせたくなかったからね。
勿論二人には後でちゃんと報告するつもり。
大切な友達だから。
あたしはビアンキさんの気遣いに感謝して頭を下げる。
「ありがとうございます、ビアンキさん。
それから、ごめんなさい。こんなことに巻き込んでしまって…」
「いいのよ。それより言いたいことはちゃんと言っておいた方がいいわ。
想い合っているのに擦れ違うなんて、馬鹿げてるもの」
「はい」
「それじゃ、また後で。行きましょう、リボーン」
「あぁ。またな、昴琉」
「はい、また。…なるべく早く合流します」
ビアンキさんは優しく微笑んで頷くと、その腕に黒いスーツに着替えたリボーンくんを愛おしそうに抱きかかえて部屋から出て行った。
―――――あぁ、京子ちゃんが心配要らないって言っていた理由が分かった。
密会を目撃する前にこの二人の姿を見ていたら、きっとあたしも雲雀くんとビアンキさんの仲を疑うなんてバカなことしなかったわね。
それくらいビアンキさんとリボーンくんは仲睦まじく見えた。
…まぁ、誰も彼らが愛人関係だとは思わないと思うけど。
あたしは閉まりかけたドアを押えて二人を見送り、後ろ姿が消えてからそれをゆっくり閉める。
さて、どうしたものかしら…。
これからのことを思って、ドアノブを握ったまま短く溜め息を吐く。
「怒ってるの?」
いつの間にかあたしの背後に立っていた雲雀くんが訊く。
彼の方から切り出してくれたのは有り難いが、その口調に反省の色は見られない。
ビアンキさんがいなくなったからか、先程までのどうしようもないくらいの不機嫌さは治まったようだが、それでも未だ彼の機嫌が悪いのには変わりない。
それはあたしも同じだった。
理由が分かって納得したとはいえ、そう簡単に気持ちを切り替えられない。
あたしはクルリと振り返り、自分の腰に手を当てて彼を見上げた。
「怒ってるわよ。あたしには隠し事するなって言うくせに、君がしてたんだから。
しかもその内容が、あたし達の結婚式についてだなんて」
雲雀くんも不満そうな顔と声で答える。
「昴琉だってまた隠してたじゃないか。
大方、僕が浮気してるとでも思ったんでしょ」
「だって…」
言い訳をしつつ彼の横をすり抜けようとしたあたしの行く手を、雲雀くんは傍の壁に片手をついて遮った。
もう一方の手も壁についてあたしを囲み、逃げられないように閉じ込める。
そして彼は意地悪な微笑を浮かべ、たじろぐあたしの顔を覗き込んできた。
「ねぇ、僕が他の女と一緒にいるのを見てどう思った?」
「どうって……」
「嫌だった?」
「…そりゃぁ、嫌だったわよ」
「どのくらい?」
そう訊く雲雀くんの口元には殊更意地悪な微笑。
端整な彼の顔の作りがまたそれを引き立てて、ちょっぴり癪に障った。
あたしは大きく息を吸い込み、雲雀くんをキッと見上げる。
「ものすっごくよっ!!不安で、怖くて…ムカついた!!!」
この際だからね。
あたしは後腐れのないよう、素直に、そして簡潔に溜まっていた自分の気持ちを吐き出した。
思っていたより大きな声が出てしまったのは誤算だったけれど、我が強い雲雀くんにはこれくらいで丁度いい。
雲雀くんは一瞬毒気を抜かれたようにきょとんとしたが、すぐにまたいつもの意地悪な笑みを浮かべる。
「それってヤキモチ焼いてくれたってこと?」
「ぁ…!」
「疑われたのはムカつくけど…嬉しいな。ヤキモチを焼くのはいつも僕の方だったからね」
そう言って雲雀くんは壁から手を離し、それであたしの両頬をぐぃぐぃ引っ張った。
―――――本当に嬉しそうに。
彼の笑顔にきゅぅっと胸が狭くなる。
ヤキモチを焼いた時はこの行為で仲直りをする。
それは自然と二人の間で決め事になっていた。
正確には雲雀くんの気持ちが離れてしまうことが怖かったんだけど、妬かなかったと断言すれば嘘になる。
んもう…調子狂うなぁ。
君はいつもどんな気持ちであたしに頬を引っ張られていたんだろう。
あたしは雲雀くんがあんまり嬉しそうに笑うから、悔しさと恥ずかしさが混じった変な気持ちだよ。
あ…後ね、少しだけ幸せ。
解放された頬を摩りながらあたしは上目遣いに彼を見る。
「…そういう言い方は、ずるい。怒れなくなっちゃう」
「そうだね」
やっぱり嬉しそうに微笑みながら、彼はあたしを抱き寄せて顎を掬い優しく口付ける。
何度も角度を変えて啄ばまれるうちに、さっきまで感じていた憤りや複雑な気持ちは何処かへ行ってしまった。
……我ながら現金。
色々なことが重なってこんな事態になってしまったけれど、これで良かったんだと思う。
揺るがない自分の雲雀くんへの想いも確認出来たし、雲雀くんがあたしのことをちゃんと想ってくれているのが分かったから。
それが何よりも、嬉しい。
熱い吐息を漏らしながら、触れるか触れないかギリギリのラインで唇を離した雲雀くんが真っ直ぐあたしを見つめる。
「……このまま泊まっていかない?
今夜は僕と昴琉、二人の未来について厭きるまで話そう」
「雲雀くん…」
「勿論その後たっぷり可愛がってあげる」
「か、可愛がってあげるって…!」
「ねぇ、いいでしょ?」
紡がれた台詞はお願い口調なのに、覗き込んでくる情熱的な漆黒の瞳は拒否を許してくれない。
あぁ、もうっ
拒否権を与えてくれないのなら、いっそ訊かないで欲しい。
君の望みをあたしが断れるわけがないのだから。
ドキドキする胸を押えてこくりと頷けば、雲雀くんは満足そうに艶っぽい笑みを浮かべた。
そして髪に、頬に、唇にと、キスを落し始める。
「ん…そろそろ行かないと。みんな待ってるわ」
「うん。でももう少し…」
甘い声色でせがむように囁いて、雲雀くんは再びあたしの唇を塞いだ。
2010.9.25
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