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「わ、もうこんな時間」
「はひ!きっとヒバリさん心配してますね」
「そろそろ帰りましょうか」
気が付けばもう午後6時。
いつもならばマンションのキッチンで夕飯の支度をし始める時間だ。
やっぱり話すのが好きな女同士。
あれからも雲雀くんのことやツナくん達のこと、並盛のことと話題に事欠かず、あっという間に時間が経ってしまったようだ。
お陰ですっごいストレス発散になったし、何よりも二人と話すのは楽しかった。
お会計を済ませようとレジに向かうと、「お代は雲雀様に貰ってるよ」と店長さんに言われてしまった。
どうやら雲雀くんってばここも予約していてくれたらしく、その際に前払いしていってくれたんだって!
手回しの良さに心の中で苦笑しつつ、店内に備え付けられた公衆電話から彼の携帯にコールする。
少しの雑音と聞き慣れた低めの声がすぐに受話器から流れて来た。
『昴琉かい?』
「あ、うん。遅くなってごめんね。雲雀くん今何処?」
『店の前』
「え!」
驚いて受話器を持ったまま傍の窓ガラスから外を覗き見る。
するとそこには愛車に寄りかかって携帯を耳に当てている彼の姿。
『見えた』
こちらに気が付いた雲雀くんは、柔らかく微笑んで軽く手を振った。
やだ。映画のワンシーンみたい。様になり過ぎ。
……カッコいいって、思ってしまったじゃないの。
一瞬見惚れてしまったあたしは、出来る限り平静を装って「今行くね」と告げて受話器を置いた。
ハルちゃんと京子ちゃんと一緒にお店を出て彼の元に駆け寄る。
雲雀くんは寄りかかっていた車から身体を離すと、あたしを先程の笑顔で出迎えた。
「おかえり」
「ただいま。ずっと待っていてくれたの?」
「いや。用事があるって言ったでしょ?」
「あぁ、そっか」
そういえばそんなこと言ってたっけ。
ずっと待たせてしまったのではないかと思っていたから、少しホッとして胸を撫で下ろす。
それを見て雲雀くんはクスッと笑う。
「その様子だと楽しめたみたいだね」
「うん、とっても!ありがとう、雲雀くん」
「どういたしまして」
二人がいるというのに、彼は何の躊躇もなくあたしの腰を攫って自分の方へ引き寄せた。
そして頭にひとつキスを落す。
ほんの少し離れていた時間さえ惜しいと言わんばかりに。
抗議したって無駄なのはもう分かっているから、彼のしたいようにさせる。
勿論恥ずかしくて顔が火照って仕方ないんだけれどね。
あたし達の様子を傍で見ていたハルちゃんと京子ちゃんは顔を見合わせてクスクスと笑った。
「それじゃ私達はこれで」
「あ、車だし送っていこうか?いいかな、雲雀くん」
あたしのお願いに雲雀くんが頷く前に、ハルちゃんがそれを止めた。
「大丈夫です!ラブラブなお二人の邪魔はしません!」
「ちょ、ちょっとハルちゃん…!茶化さないで…!」
「そうしてくれると助かるよ」
「ひ、雲雀くんまで…!」
「ふふ。本当に仲がいいんですね。
あ、そうだ!昴琉さん、はいこれ。後で見て下さい」
そう言って京子ちゃんはあたしに小さな封筒を握らせた。
何だか分からないけれどお礼を言うと彼女はにっこり笑い、今度は雲雀くんにペコリと頭を下げた。
「ヒバリさん、ご馳走様でした」
「あぁ」
「昴琉さん、またお茶しましょうね!」
「えぇ。本当に今日はありがとう」
「それじゃ、また!」
二人は手を振って歩き出すと、少し闇の色が濃くなった夕暮れの商店街の雑踏に消えてしまった。
元気な二人がいなくなって少し淋しい気持ちになる。
心にぽっかり穴が開いたような、そんな感じ。
彼女達が消えた方向から目を離せないでいるあたしに、雲雀くんはそっと「帰ろう」と呟いた。
***
マンションに併設された駐車場に、雲雀くんは切り返すこと無く一発で車を停めた。
何度見ても見事な駐車。
あたしだったら絶対切り返さないと入らないのになぁ。
その技術に感心しつつ車から降りようとドアに手をかけたところで、雲雀くんに「昴琉」と呼び止められる。
「ん?どうしたの?」
雲雀くんはシートベルトを外すと、首を傾げるあたしの手に胸ポケットから何かを取り出し持たせた。
不思議に思って手の中に視線を落す。
それは携帯電話だった。
彼の持っているのと同じ機種で、あちらの世界であたしが使っていたのと同じシャンパンゴールド。
あたしは雲雀くんを見上げる。
「用事って…これのことだったの?」
「まぁね。本来ならもっと早くに渡すべきだったんだろうけど…」
雲雀くんは珍しく少々気落ちした表情を浮かべ、あたしの頬に大きな手を当てた。
まるで硝子細工でも扱うかのようなその手つき。
あたしを愛おしむ視線に、きゅっと胸が狭くなるのを感じる。
「僕は自分のことばかりで、貴女の気持ちを考えてやれなかった。
貴女が不安がっていることを分かっていたのに」
「雲雀くん…」
「でもね、今何が起こっているのかは言えない。
だから昴琉が不安な時はいつでも電話しておいでよ。
夕食のメニューの相談とか、ただ声が聴きたいってだけでもいい。必ず出るから」
「…必ず?」
「うん。どんな状況でも、必ず」
「…大事な会議中でも?」
「うん」
「……トンファー振り回して戦っている時でも?」
「勿論。僕はすると言ったことは必ず実行するよ。
それは貴女が一番よく知っているだろう?」
「…うん」
確かにあたしはこの身をもって知っている。
あたしが今ここにいるのが何よりの証拠。
頬に当てていた手で顎を掬い上向かせ、彼は真剣な眼差しであたしの目を覗き込んだ。
「貴女の不安が軽減されるなら、今日みたいに草食動物と群れても許してあげる。
その携帯で電話なりメールなり、好きなだけしても構わない。
僕に出来ることなら何だってしてあげるから、昴琉…気持ちを隠さないで」
群れるのを嫌う彼の最大限の譲歩と懇願にも似た言葉。
あたしを映す雲雀くんの漆黒の瞳が心なしか潤んで見える。
いつだって自信に溢れ何だってお見通しなはずの彼が、眉根を寄せて切ない顔をしているのが不思議だった。
それだけ強く想われているのだろうか。
あたしが君を心配するように、君もあたしを心配してくれていたのだろうか。
…きっと、最近のあたしも今の彼と同じ様な顔をしていたに違いない。
「…バカね」
「昴琉…?」
あたしは本当にバカだ。
勝手な想像して不安に駆られて。
ちょっと骸くんに揺さ振られたくらいで混乱して。
京子ちゃんやハルちゃんの言う通り、あたしはこんなにも彼に愛されているというのに。
短く息を吐いて、あたしは運転席に身を乗り出した。
そして怪訝そうにあたしを見つめる雲雀くんの柔らかな唇に、自分のそれを重ねる。
そっと離れ、驚きに目を見開いている彼の首に腕を回してぎゅっと抱きつく。
「ごめん、雲雀くん。あたしの不安が君にも伝染しちゃったね。でももう大丈夫」
「だからそういう気遣いは…」
「うん。でも本当に大丈夫なの。君がいっぱい甘やかしてくれたからね」
抱きつく腕を緩めてもう一度彼の唇を奪い、あたしはわざと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「でも今回はあたしも何を悩んでいたかは教えない」
「どうして」
ムスッとした年下の彼に、あたしもちょっと口を尖らせて答える。
「…あたしだって君を知りたいのに教えてくれないんだもの。
雲雀くんばかりが知っているのはズルイ」
「昴琉…」
「ねぇ雲雀くん。あたしを甘やかすのなら、君もちゃんと甘えてね?」
一方的に寄りかかるだけの関係なんて欲しくないの。
あたしも君に頼られる存在でありたい。
―――――これからもこの世界で共に歩むのだから。
口角を上げた刹那、今度は彼の方から見上げるあたしにキスをした。
雲雀くんはあたしの後頭部に手を添えて少し長く口付ける。
他のマンションの住人が来ないかとヒヤヒヤしたけれど、あたしは素直に彼の熱を受け入れた。
だって優しく甘い彼の口付けに逆らえるはずがないもの。
雲雀くんはそっと吐息を漏らしながら離れ、嬉しそうに言った。
「やっぱり貴女は最高だね。僕をドキドキさせてくれる」
…その台詞にこっちの方がドキドキするんですけど。
口付けで赤みを増したあたしの唇を雲雀くんは人差し指でなぞる。
「許可が出たからね。早速今晩甘えさせてもらうよ」
「…うん」
「ワォ、大胆。僕は貴女と違って遠慮なんてしないよ」
殊更悪戯っぽく笑みを浮かべた雲雀くんは、紅い舌を覗かせて自分の唇をペロリと舐めた。
―――ん?あ、甘える…?!
彼の言っている意味を理解したあたしは、顔から火を噴くんじゃないかと思うほど一気に赤面した。
それを見た雲雀くんは「覚悟しなよね」と呟いて、喉の奥でククッと笑った。
2010.5.16
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