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蛇口を捻ると上からひんやりとした雫が僕に降り注ぐ。
シャワーから放たれたそれはすぐに熱を帯び、ザーッという音を響かせてバスルームを白い湯気で満たした。
雫に打たれる心地好い刺激に瞼を閉じると、優しく微笑む昴琉が浮かぶ。


年上だけど可愛い僕の婚約者。


あちらの世界でもこちらの世界でも、その愛らしい笑顔は変わらない。
けれど近頃その笑顔が曇り物思いに耽る時間が長くなった。
夜もあまり眠れていないようだ。
眠っているのに泣くような夢を見て、熟睡出来ているはずがない。
あちらにいた時にも同じ様なことがあった。
恐らくあの時は僕を並盛に帰すかどうかで悩んでいたのだと思う。
あの男に僕を並盛に帰す方法を告げられて。


それなら一緒に暮らしている今、彼女は何を悩んでいる?


面と向かってそれを訊ねたところで、僕を信じると言った昴琉が素直に答えてくれるとは思えない。
僕に心配をかけまいと本心を隠し明るく振舞っているけれど、今の状況が彼女に不安を与えているのは明白だ。

だからといって昴琉が僕以外の男の、しかもあの男のことを考えるだなんて…想像しただけでムカつく。

骸から遠ざけたい一心で彼女に外出を控えさせ、籠の鳥のように閉じ込めている。
念を入れてこの部屋全体にも思念を通さない特殊な結界を施してある。
それらは僕が安心する為の手段であって、昴琉を安心させる手段ではない。


どうしたら昴琉の不安を取り除いてやれる?


今朝の昴琉は明らかに様子がおかしかった。
夢見が悪く寝起きのせいかもしれないが、涙を零す彼女の瞳に僕は映っていなかった。

そこには不安と深い哀しみが見て取れて。

やはり隠し通すには限界がある、か。
秘密にしておくことで彼女を苦しめてしまうのならば、気は進まないが話してしまった方がいいのかもしれない。
知っているのと知らないのとでは対応に大きな差が生まれる。
自己防衛が出来るのならば僕の杞憂も減る。
それでも彼女があの男のことを考えるのは、嫌だ。


―――――昴琉には僕だけを見て欲しい。


それが僕の自己満足であっても。
大体、あの男が狙っているから気をつけろなんて言うのは、彼女が心変わりするのを怖がっているみたいじゃないか。
あんな男に僕が劣るわけがないし、昴琉が惚れるわけがない。
それに、二度とこの並盛であの男に好き勝手させるつもりもない。
昴琉に六道骸のことは話さない。


彼が何を企んでいようと僕が全て排除する。


シャワーを止めて気持ちを入れ替える為に軽く頭振ると、短くなった髪先から水滴が飛ぶ。
不意に視界に入ったシャンプーとリンスのポンプ。
それはとても甘く優しい香りがして、ここ最近の昴琉のお気に入りだ。

これを買う時でさえ彼女は「値段が高い」と躊躇した。

それは彼女の性格上、当然僕への遠慮。
勿論自活していた経験も手伝ってはいるだろうが、贅沢というほどの金額でもない。
試しに買ってみればと言った僕に、昴琉は「君が頑張って稼いできてくれたお金だから、大事に使いたいの」と言って結局買わずに帰った。
後日僕がそれを買って帰ると「あんまり甘やかさないで」と彼女は困り顔で笑っていた。
シャンプーひとつとったって、彼女の遠慮癖が見え隠れする。


……本当に、バカが付くほどお人好しだよ。


僕は短く息を吐いて、そのシャンプーを手に取り髪につけて泡立てる。
途端に甘い香りが広がり、僕の鼻腔を擽る。
今だっていい香りだとは思うけど、昴琉の髪に顔を埋めた時に感じる高揚感や安心感はない。
同じ香りのはずなのに、自分で使っても彼女から香るものとは違う気がするから不思議だ。


僕としては昴琉を甘やかしているつもりはない。
逆に彼女は僕に甘えなさ過ぎると思う。
それは彼女が早くから大人にならなければいけなかった幼少時代に起因しているのだろうか?
遠慮すること自体は悪いことじゃない。
ただそれも度が過ぎると、年上の昴琉にとって僕は頼りない男なのかと思ってしまう。
そこまで考えて洗髪していた手が止まる。


まさか今彼女が落ち込んでいる原因がマリッジブルー…なんてことないよね?


あれから5年経って、中学生だった僕は大人になった。
経済的にも十分余裕はある。
プロポーズも二つ返事でOKしてくれた。
毎日指輪も嵌めてくれている。

でも本当は僕と結婚なんてしたくなくて、あちらの世界に帰りたいと思っていたら?
こちらに来た直後は再会の喜びで余裕がなくて考えなかったかもしれないが、幾分慣れた今冷静になって考えたら…。
無理矢理こちらに呼び寄せたんだ。
そう昴琉が望んでいたっておかしくない。

ふと湧き上がってしまった疑念に、僕の胸はじわりじわりと侵食されていく。

だが、その考えを僕はすぐに打ち消した。
…あり得ない。
彼女の僕に向けてくれるあの視線を、あの微笑みを疑うなんてバカげてる。
昴琉の深い愛情を一番感じているのは自分だ。


それでも彼女が落ち込んでいるのは事実だから、どうにかしてやりたいと思う。


彼女の不安を軽減する方法か…。
僕に遠慮して言えないのならば、僕以外の誰かになら胸の内を吐き出せるだろうか。
哲ともそれなりに懇意にしているようだが、悩みを打ち明けている様子はない。
あれは僕に近過ぎる。
昴琉もそれが分かっているから、僕に関する悩みなら話さないに違いない。

昴琉と歳が近く、彼女に危害を加える可能性のない人物……

跳ね馬?

彼も一応上に立つ人間だから相談事には慣れているだろう。
現に彼を慕う者は多く、ファミリー内だけでなく住民からの信望も厚い。

でも気掛かりがひとつ。

親しみを持たれ易いあの気質が、お人好しの昴琉と変にシンクロして必要以上に仲良くなられても面倒だ。
教え子の婚約者に手は出さないって言っていたけど、口では何とでも言える。

それに出来れば同性の方がいい。

一瞬赤ん坊の愛人である毒サソリが思い浮かんだが、彼女と昴琉を今引き合わせるのは不味い。
万が一にでも彼女の口から秘密裏に進めている計画が洩れては困る。

毒サソリ以外…。

ふと心当たりの人物が思い浮かぶ。
彼女達なら昴琉と面識もあるようだし……うん、適任かもね。

その身一つでこちらへやって来て、僕と一緒にいることを選んでくれた昴琉。
家族こそ失っていたが、あちらの世界で彼女は多くの人間と係わりを持っていた。


―――昴琉には友人が必要なのかもしれない。


この世界で彼女の頼れる存在は僕だけであって欲しいけど、ね。
彼女の気持ちが少しでも晴れていつもの笑顔が戻るなら、ちょっとくらい譲歩してもいいかな。

善は急げって言うし、この後早速連絡を取ってみよう。

僕はそう決めて蛇口を捻り、シャワーで少しだけ悔しい気持ちを泡と共に洗い流した。



2010.2.28


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