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「昴琉、昴琉…」


―――――誰…?もう少しこのままでいさせて…。

闇を引き裂いて届く自分を呼ぶ声。
何度も呼ばれて仕方なく目を開けると、心配そうに覗き込む漆黒の瞳と目が合った。
目先でさらりと流れた前髪も同色。
あたしの大好きなヒト。


「……雲雀、くん…」

「大丈夫かい?」


何故彼がそう訊いたのか分からず、ぼぅっと彼を見つめる。
雲雀くんの姿が歪んでよく見えない。
瞬きをすると少しだけ視界は晴れたが、またすぐに滲んでしまう。
年下の彼は少し困ったように眉根を寄せると、あたしの目尻に唇を寄せた。
そして何かをちゅっと吸い取る。


…あぁ、いけない。また泣いていたのね。


自分が泣いていた理由を思い出して、急に頭が冴え渡る。
カーテンの隙間から漏れる柔らかい光がキラキラ輝いて、今が朝だと教えてくれた。
きっと外は深呼吸をしたいほど清々しい晴天に違いない。
そんな爽やかな朝から雲雀くんを心配をさせてはダメ。
あたしはまだ残る涙の痕を手の甲でゴシゴシ擦って消した。


「平気よ」

「昴琉…」

「大丈夫だから。さ、もう起きなくちゃ。朝ご飯何がいい?」


出来る限り不自然にならないよう、自分を見下ろす雲雀くんに笑顔を作ってみせる。
けれど彼はあたしとは対照的に口をへの字に曲げた。
そして起き上がろうとしたあたしの上にそのまま覆い被さって一緒にベッドに倒れ込む。
彼は耳元で溜め息混じりに呟いた。


「もう少し寝る」

「寝るって…お仕事でしょ?」

「今日は1日貴女といる」

「でも…」


雲雀くんはムクッと上体だけ起こすと、枕元に置いてある携帯電話に手を伸ばした。
ピッピッとボタンを押すとそれを耳に宛てがう。


「哲?僕だけど。今日は行かないから。
 …あぁ、その件は君に任せるよ。じゃぁね」


パタンと携帯を閉じて元の場所に戻すと、雲雀くんは再びあたしの上に倒れ込んだ。
反動でギッとベッドが軋む。

こうなると雲雀くんは梃子でも動かない。

あたしのせいで眠れなかったのだとしたら、強く仕事に行けとは言えないし…。
それに不安で心細い今のあたしにとって、その申し出は縋り付きたいほどに嬉しくて有り難かった。
少なくとも一緒にいる間は、君が何をしているのか気にしないで済むもの。
身体全体でベッドに押さえつけられているから、唯一動かせる首だけを回して彼の方を向き、恐る恐る訊ねる。


「…いいの?」

「僕が一緒にいたいの」

「雲雀くん…」

「貴女の笑顔は好きだけど、たまに信用出来ない。
 ……上手く本音を隠すからね」


不機嫌な低い声。
あたしの薄っぺらい強がりなんて、雲雀くんには見え見えなんだ。
立派に成長した彼の重みがちょっと苦しい。
それなのにどうして心地好いと感じてしまうのだろう。
雲雀くんはベッドに手をついてまた少し上体を起こし、真摯な眼差しであたしを見下ろした。


「昴琉、僕に遠慮はしないで。
 貴女がどんなに寄りかかったって僕は潰れやしないよ」

「…雲雀くん?」

「いくらだって受け止めてあげる。
 ―――だからもっと僕に頼ることを覚えて」


あぁ…まただ。
彼の言葉に胸がきゅぅっと狭くなり、顔が火照る。
どうしてこう、雲雀くんはあたしの気持ちを掴むの上手いかな。


……カッコ良過ぎ。


このままぽっくり死んでしまっても構わないなんて、ちょっと思ってしまった。
あ、でも思っただけよ?
まだまだ雲雀くんと一緒にいたいもの。

雲雀くんの端整な顔が近付いて、意外と長い睫毛が下りる。
あたしはハッとして彼の口を両手で塞いだ。


「何」

「あ、えっと、その…寝起きで口カラカラだから」


あたしは苦しい言い訳をした。
本当は夢の中で骸くんに唇を奪われてしまったのを思い出したからなんだけど、そんなの…言えないし。
まだ口の中に鉄の味が残っているような気がして、今キスしたらそれを悟られそうで。
夢での出来事だしそんなはずはないと分かってはいても、気持ちが…ね。
苦笑いをするあたしを見下ろす漆黒の瞳が、スッと細められる。
雲雀くんはあたしの手首を掴むと、自分の口を塞ぐ手をゆっくり外してベッドに縫い止めた。


「ふぅん…それなら尚更さっき僕が吸い取った分、返さなきゃね」

「え?ぁ…ん…」


今度は逃げられるはずもなく。
不敵な笑みを浮かべた雲雀くんに優しく唇を塞がれる。
頭の隅に追い遣ろうとした骸くんとのキスが、否応無しに引っ張り出された。

柔らかい唇。
熱い吐息。

比べるつもりはないけれど、やっぱり好きなヒトとのキスは気持ちが違う。
ドキドキするのに安心して……凄く気持ちいい。
あっという間に翻弄されて息が上がる。


「好きだよ、昴琉」


愛おしむように下唇をちゅっと吸って離れ、濡れた唇で彼はそっと呟いた。
向けられる穏やかな微笑みに釘付けにされて。
普段より潤んだ扇情的な瞳と視線が絡めば、胸が張り裂けそうなほど急激に高鳴る。

こんなにも愛してくれる彼をどうして疑える?
今感じているこの気持ちが愛ではないとどうして言える?


―――――あたしの雲雀くんへの想いは、決して偽りなんかじゃない。


骸くんの誘惑に少しでも揺らいだ自分の不甲斐無さに、再び愛しい彼の姿が滲む。


「…あたしも好き。大好き。大好きよ」


喉が詰まり上手く出せない声は掠れてしまったけれど、あたしは雲雀くんの瞳を真っ直ぐ見つめて答えた。
大切なこの想いをちゃんと言葉にして伝えなければ、胸から零れ落ちて君に届く前に消えてしまいそうで、怖い。


「何泣いてるの。返した意味ないでしょ?」

「ん、ごめん」

「泣き虫」


雲雀くんはそう言って意地悪く笑いながら、また涙を唇で掬って優しく口付け始めた。
一見矛盾した相反する感情が彼の愛情を形作る。
骸くんの気持ちは嬉しいけれど、あたしはこのヒトから離れられない。

……ううん、離れたくない。


切なくて。
苦しくて。
でも愛しくて。


心も、身体も、あたしの全てが君を求めるから。


いつの間にか絡み合うように繋がれた雲雀くんの手。
あたしはそれを逃すまいと、絆される身体に逆らって縋るように指先に力を込めた。



2010.1.30


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