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真っ暗な闇の中に浮かび、沢山の花弁を辺りに撒き散らしながらも美しく咲き誇る桜。
その下で毎夜繰り返される惨劇。
あれ以来あたしは毎晩のように同じ夢を見ていた。
―――――雲雀くんをこの手で撃つ、あの夢を。
何度見ても慣れないし、寝覚めも悪い。
心配させたくないから雲雀くんには言わない。
今何かが起こっているのは間違いなさそうだし、夢という不確かなもので忙しい彼の手を煩わせたくはなかった。
彼には笑顔で居て欲しい。
きっとこんな夢を見るのはあたし自身の問題。
心の弱さが、あの夢を見せるのだ。
……そう思っていた。
***
今夜もあたしは夢を見ていた。
いつもなら撃たれた彼の瞳に映るニィッと笑う自分を見て目が覚めるのに、今夜は違った。
突然足元の地面が水面に変わる。
支えを失ったあたしの身体はバシャンッと音を立ててほの暗い水の中に引き摺り込まれた。
こ、これって…!
ヒヤリと冷たい水。
コポコポと耳を擽る空気の泡。
―――――そしてあたしを呼ぶ声。
久々の感覚にまさかと思っているうちに意識が遠くなる。
そして次に目を開けた時、あたしは蓮の花が咲き乱れる池のほとりにぽつんと座っていた。
この池って…!
「クフフフ…お久し振りです。昴琉」
聞き覚えのある声に慌てて振り返る。
予想通り赤と青の綺麗なオッドアイを持つ青年が、端整な顔に微笑を浮かべて立っていた。
「骸くん!どうして…」
「言ったでしょう?近いうちに必ず逢いましょうって」
そういえばスケート場にクロームの身体を借りて一瞬だけ現れた彼は、去り際確かにそう言っていた。
にっこり笑って目の前まで歩み寄ってきた彼を、あたしは立ち上がって迎える。
今の骸くんの姿は並盛神社で会った時の、ちょっと大人びた彼の姿。
再開の喜びと同時に、自分だけが雲雀くんと幸せに暮らしているという引け目の思いが込み上げてくる。
眼前の彼の肉体は、未だあの冷たい牢獄に囚われたままのはずなのだから。
穏やかに微笑む骸くんを見上げ、あたしは少し躊躇って口を開いた。
「あの…神社ではごめんなさい。
骸くんがいなかったらこちらの世界に来られなかったのに、ちゃんとお礼も言えなくて」
「構いませんよ。あの時は雲雀恭弥というお邪魔虫がいましたから」
お、お邪魔虫って…。
少々棘のある彼の言い回しに思わず苦笑いが漏れる。
そういえば二人はあまり仲が良くないんだったわ。
二人の過去を思うとあたしも複雑だ。
一方は最愛の人。
もう一方はその最愛の人に再び逢わせてくれた恩人なのだから。
きゅっと表情を引き締め、あたしはその恩人を見つめなおす。
「こうして夢で会えるならもっと早くに会いたかったわ。
ずっと君がどうしているのか気がかりだったのよ?
…もしかしてあたしのせいで力を使い過ぎてしまったんじゃないかって」
「おや、心配してくれていたのですか?」
「当たり前じゃない」
あたしの言葉に一瞬呆けた骸くんは、口元に軽く握った手を当てると小さく笑った。
「クフフ、本当に貴女って人は…。
大丈夫ですよ。確かにあちらの世界へ渡るのはかなり力を消耗しますが、今までこうしてお逢い出来なかったのは昴琉のせいではありません。
僕も囚われの身とはいえ色々忙しいんです」
「そ、そうなの?」
「えぇ。それに神社で逢った後、貴女はすぐに雲雀恭弥の屋敷に運ばれてしまいましたからね。
あそこは思念であってもおいそれと侵入出来ないよう特殊な結界が張り巡らされているのですよ。
貴女と彼が一緒に住んでいるあのマンションにもね」
それは初耳。
用意周到というか何というか。
雲雀くんってば、本当に骸くんのこと嫌いなのね…。
あたしを外に出したがらない理由もそこにあるのかしら。
自惚れかもしれないけれど、独占欲の強い彼なら自分の与り知らぬところで接触を持たれるのは嫌に違いない。
「並盛神社で昴琉に逢った時『道標』を残せれば、結界など障害にならなかったのですが。
…全く以て忌々しい。
けれどクロームのお陰で貴女に接触出来ましたから、良しとしましょう」
あ、あの時のキス…!
どうしてキスなんてと思っていたけれど、それで得心がいった。
あれは『道標』だったんだ。
徐に骸くんは片手であたしの腰を攫うと、もう一方の手で驚きに固まるあたしの頬を優しく撫ぜた。
「…逢いたかったですよ、昴琉」
優しく微笑んでそう呟いた、彼の声色にドキッとする。
並盛神社でも骸くんは同じ台詞を言った。
その時から感じていた違和感。
どうしてそんな顔をしてあたしを見るの…?
まるで雲雀くんがあたしに向けてくれるような、その表情で。
頬を撫でていた手で顎を掬うと、骸くんはオッドアイを細めた。
ともすれば吸い込まれてしまいそうな綺麗な瞳。
「昴琉、僕のところへ来ませんか?」
「……ごめんなさい。クロームにも言ったけど、それは出来ないわ」
あたしは拒絶の意味を込めてやんわりと骸くんの胸を押した。
けれど彼の身体は少しもあたしから離れなかった。
寧ろ腰を抱く腕に力が込められる。
骸くんは眉を顰めてあたしに訊ねた。
「そんなに彼を愛しているのですか?」
包み隠さずストレートに質問をぶつけられて、顔が火照る。
でもあたしは躊躇わず頷いた。
雲雀くんへの気持ちだけは自信が持てるから。
けれど骸くんはその口元に不敵な笑みを浮かべる。
「本当に?」
「…ぇ?」
「本当に昴琉は雲雀恭弥が好きなのですか?」
「…どうしてそんなこと訊くの?」
「だって、ほら…」
まるで悪戯を思いついた子供のような顔をした骸くんは、腰に回していた手を肩に移動させあたしの身体をクルリと反転させる。
するとそこにあるはずの蓮の池が消え、いつもの夢に戻っていた。
どうしてこの夢が…!
何処までも続く闇の中で儚く咲き誇る桜。
その下で雲雀くんに銃を突きつけている自分の姿。
あたしはそれを直視出来なくてぎゅっと目を瞑った。
直後に銃声が鼓膜を襲う。
条件反射のようにあたしの身体は小刻みに震え出す。
骸くんはあたしの身体を背後から抱き寄せると、耳元に唇を寄せて囁いた。
「こんなに震えて…可哀想な昴琉。
気丈に振舞っていても何度も夢に見てしまうのは、あの時の行為を悔いているからです」
「後悔なんてしていないわ…!」
「いいえ、昴琉。貴女は罪悪感を抱いている」
「やめて…!」
声が、震える。
このまま骸くんの言葉を聞いてはいけない気がした。
聞いてしまっては何かが壊れる、そんな微かな予感。
耳を塞いでしまいたい。
けれど、腕ごと彼に抱き締められていてそれも叶わない。
心拍数がドンドン上がっていくのが分かる。
―――――怖い…!助けて雲雀くん…!
ガッチリと自分を拘束する腕から逃れようと身を捩る。
弱々しいあたしの抵抗を意に介さず、骸くんはゆっくりと続きの言葉を吐き出した。
「…貴女は雲雀恭弥への罪悪感から、彼を愛していると思い込んでいるのではありませんか?」
ドクンッ
彼の言葉に心臓が大きく跳ね、あたしは全身から血の気が引くのを感じた。
2009.11.18
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