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70


仕事がお休みの雲雀くんを連れ出して、夕飯の買い物に並盛商店街へやって来た。
取り敢えず買い物に来たのはいいけど、今日は何にしようかなぁ。
特に食べたい物も思いつかなくて、隣を歩く雲雀くんに訊いてみる。


「今晩は何にしよっか。雲雀くん食べたい物ある?」

「昴琉」

「…真面目に答えてよ」

「僕はいつだって真面目だよ」


あたしに恨めしい視線を向けられても、彼はすまし顔でそう答えた。
…訊いたあたしがバカだった。
仕方ない…本屋さんでも寄って料理本見てみようかなぁ。
丁度傍にあった本屋に入って料理本を見て唸っていると、雲雀くんも本を覗き込んできた。


「これがいい」


彼が指差したのは、たまたま開いていたハンバーグの頁。
え…あたし読み飛ばす気満々だったんだけど。
だって、一昨日もハンバーグ食べたんだよ?
雲雀くんは男の子だし若いからお肉好きかもしれないけど、あたしとしてはそろそろカロリーが気になるお年頃。
少し眉を顰めて彼を仰ぎ見る。


「雲雀くん本当にハンバーグ好きだねぇ。
 たまには違うのリクエストしてくれないと参考にならないよ」

「いいじゃない。貴女のハンバーグ好きなんだから」


あ…
彼を送り帰す直前に食べた洋食店で、彼が言ってくれた一言がフラッシュバックする。

『…僕は貴女の作ったハンバーグの方が好きだな』

照れたように顔を赤くして褒めてくれた光景を思い出し胸がきゅっと狭くなる。
本を持つあたしの手がぴくりと動いたのに気が付いた彼は、少し眉を顰めて訊いてきた。


「…あちらのこと、思い出させてしまったかい?」

「あ、ううん…えっと…うん、少しだけ」


どうせ嘘を吐いてもバレてしまう。
彼は苦笑いして肯定したあたしの頬に手を伸ばし、労るようにそっと撫ぜた。
雲雀くんの温もりが心地好い。


「ごめん。深い意味はないよ。
 素直に僕は貴女のハンバーグが好きってだけ」

「うん、ありがと。あたしこそごめんね」


笑顔を向けると雲雀くんも微笑み返してくれた。
こういうちょっとした気遣いが嬉しい。
……嬉しかったから、今日もハンバーグ作ってあげよう。
どうもあたしは雲雀くんに甘くていけないわ。
そう心の中で苦笑しながら、彼が食べたいと言ったハンバーグのレシピが載った本をレジへ持っていった。

本当に雲雀くんは離れ離れの間にいい男になった。
背も伸びて、まだあどけなさが少し残っているけど顔立ちも男らしくなって。
スタイルだってスラッとしててモデルさんみたいだし。
ちょっとヤキモチ焼きで独自の世界観を持っているけど、それでも優しくて、あたしを一途に想ってくれて。
―――本当に素敵な男性になった。

お肉屋さんに向かう道すがら、不意に視界に入ったショーウインドウ。
それに映るあたしと雲雀くんの姿にハッとする。


カッコよく成長した彼と変わらないあたし。


彼にあたしは相応しいのだろうか。
そんな想いが突然湧き上がってきて、あたしの胸をキリキリと締め付けた。


***


「ねぇ昴琉、何か用?」

「へ?」

「だって買い物の途中からずっと僕をチラチラ見てるじゃないか」


夕食後。
ソファに座って本を読んでいた彼は、それから視線を隣に座るあたしに移して溜め息混じりに言った。
どうやら無意識のうちに彼のことを目で追ってしまっていたらしい。
だって、一度考えてしまったから気になって…。
あたしは訝しむ彼の視線から逃れるように、手の中のマグカップに視線を落とした。


「何でもない」

「そういう顔には見えないけど。…あぁ、分かった」


雲雀くんはパタンと手に持っていた本を閉じると脇に置いた。
そして徐にあたしを抱き寄せて、顎を掬う。
な、何?


「遠慮なんかしなくていいのに」

「へ?」

「もうすぐホワイトデーだ。お返しに何か欲しい物があるんでしょ?」

「そ、そんなんじゃ…」

「言ってごらんよ」


目の前の彼は漆黒の瞳を細めて、優しく微笑んであたしを促した。
……雲雀くん勘違いしてる。
ネクタイピンはバレンタインのプレゼントというより指輪のお返しのつもりだったから、彼から何かもらおうなんてはなから思っていない。

あ、でも実は欲しい物はあったりする。

本当なら自分で働いて手に入れればいいのだけれど、働くのは雲雀くんが嫌がるし…。
この間アルバイトで稼いだお金は全部雲雀くんへのプレゼントに消えちゃったしなぁ。
…この際、思い切って彼に強請ってしまおうか。


「えっと…それじゃぁ、ひとつだけ」


彼はあたしの欲しい物を聞いて不思議そうに首を傾げた。
やっぱり変だったかな…。


「ふぅん…昴琉が欲しいのなら構わないけど。
 いいよ、次の休みに一緒に買いに行こう」


雲雀くんはそう言って、あたしの額にキスを落とした。


***


バスルームのドアが閉まる音を確認すると、あたしはソファの脇に置いておいた紙袋に手を伸ばした。
中から今日雲雀くんに買ってもらったプレゼントを取り出す。
掛けられたリボンと包装を解くと箱が現れ、更にその蓋を開けて中身を取り出す。

あたしが彼に頼んで買ってもらったのは、普段はあまり履かないハイヒールだった。

雲雀くんがお風呂に入っている今のうちにこっそり履いてみる。
わわ、やっぱり視界変わるなぁ。
仕事の時でさえ高くても5センチくらいのモノしか履いていなかったから、倍くらい高いわけで。
こ、こんなので歩けるかな。
ジッと自分の足を見ていると、不意に後ろから抱き締められた。


「何してるの」

「ひ、雲雀くん…!お風呂に入ったんじゃ…」

「挙動不審だったからね。入る振りして様子を見に来たんだよ」


しれっと言った彼にソファに連れて行かれ座らされる。
雲雀くんはソファに座らず、向かい合うようにあたしの前に片膝を付いた。
そしてあたしの足首を掴んでちょっと持ち上げ、ハイヒールを一瞥した後あたしの目を真っ直ぐに見る。


「どうしてハイヒールなんて欲しがったの?
 似合うけど、明らかに貴女らしからぬ要求だよね」


彼の口調は穏やかだけれど、「言わないと咬み殺す」と言わんばかりで。
雲雀くんは何でもお見通しなのね…恥ずかしいけど、白状するしかないか。
観念したあたしは短く溜め息を吐いてから口を開いた。


「だって…雲雀くんカッコいいんだもん」

「…は?」


あたしの唐突な発言に彼はちょっと面食らったようだった。
頬を少し染めて目をパチパチさせる。
う、うぅ…そんな顔しないでよ。
あたしは恥ずかしさから俯き、それでも話を続けた。


「…離れてる間にお世辞抜きに君はカッコよく成長してて…だけどあたしは何も変わっていなくて。
 この間ショーウインドウに映る雲雀くんと自分を見たら身長差凄いし。
 それが今の雲雀くんとあたしの差なんじゃないかと思ったら、何だか自分が君に釣り合ってないような気がしたの。
 中身は少しずつ頑張るとして、せめて身長だけでもバランス取りたくて…」

「だからハイヒールなんて欲しがったのか……」


恥ずかしくて俯いたままこくんと頷くと、雲雀くんは掴んでいたあたしの足をそっと下ろし、額に手を当てて溜め息を吐いた。

―――雲雀くん、呆れてる。

外見ばっかり変わったって仕方ないのは分かってる。
だけど、君に相応しくなりたくて。
我ながらバカなことをしたとしゅんとしていると、彼は徐にソファに手を付いてこちらに身を乗り出してきた。
そして、


「咬み殺す」


と一言呟いて、噛み付くようにあたしの唇を塞いだ。
えぇ!何でそうなるの…?!
性急なキスの嵐に息が上がる。
一瞬唇が離れた隙に酸素を求めて仰け反るが、彼の唇は追従して深くあたしを求めた。
ソファと雲雀くんに挟まれて身動きが取れない。
観念して背凭れに頭を預けると、彼は思うようにあたしの口内を蹂躙した。
も、ダメ…苦し…。
苦しさから涙目になり始めた頃、まるであたしの限界を知っているかのように彼はそっと唇を離した。
綺麗な漆黒の瞳と至近距離で目が合って、妙に胸が高鳴る。


「どうして貴女は僕が喜ぶことばかりするの?」


あ、あれ…?
怒っているのかと思ったのに、彼の表情と言葉はそれを否定していた。
雲雀くんは荒く息を吐くあたしの頬を両手で包み込んだ。


「昴琉。貴女僕によく言ってたよね?ありのままの僕が好きだって。
 それは僕だって同じなんだよ」

「雲雀くん…」

「無理して変わる必要なんてない。
 どんな姿でも僕は貴女が好きなんだから」


彼の真っ直ぐな告白に胸を貫かれる。
―――喜ばせるようなことばかり言うのは、雲雀くんの方じゃない。
これ以上ないほどに真っ赤になったあたしを優しく見つめて、雲雀くんは言葉を続けた。


「…信じられないっていうのなら、二度とそんなこと思えなくなるまで愛してあげる」


あ、愛してあげるって…!
何でそんな恥ずかしい台詞照れもせず言えるのよ…ッ
雲雀くんは軽く口付けると、不敵な笑みを浮かべてソファからあたしを抱き上げた。
迷うこと無く寝室へ歩き出した彼に、あたしは慌てふためく。


「ちょ、雲雀くん…!お風呂入るんでしょ?!」

「後でいいよ。どうせまた入ることになるんだから」

「!!!」


意味ありげに笑う彼がこの時ばかりは悪魔に見えた。

だ、誰か助けて…!

そんなあたしの願いも空しく、寝室のドアはバタンと音を立てて閉じた。



2009.4.4


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