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「ど、どうしてあたしの名前を…」
「骸様が、教えてくれた」
彼女のその一言で記憶の断片が蘇る。
…この娘、骸くんの記憶を見せてもらった時に何度も現れてた娘だ。
それに確かこちらに来る直前に読んだコミックスでも見たっけ。
何より独特のヘアースタイルに、右目の眼帯……間違いない。
彼女はあたしにしがみ付いたまま、頬を赤らめ潤んだ大きな瞳で見つめてきた。
「昴琉様にお逢い出来るなんて…」
正に感極まれりといった感じの彼女に少々気圧される。
まるで想い焦がれる人を見つめるような…。
いやいやいや、あたし女だし。
それはない。
ジッと見つめてくる彼女にどう声をかけていいか悩んだが、このままじゃ埒が明かない。
一先ず口を開いてみる。
「え、えっと…」
「クローム。クローム髑髏」
どう呼んでいいのか困っているのを察した彼女が名乗った。
「あ、うん。クロームさん」
「どうかクロームと。骸様もそう呼ぶから…」
「じゃぁ…クローム。どうして貴女がここに?」
「昴琉様がここにいるって、骸様が」
「……骸くんは一緒なの?」
あたしの質問に彼女は顔を曇らせ、首を横に振った。
それじゃぁまだあの暗く冷たい牢獄に囚われたままなのだろうか…。
浮かれていた気持ちが急速に萎んでいく。
骸くんのことを忘れていたわけじゃない。
ツナくん同様感謝してもし足りない人物のひとりだ。
彼がいなければあたしはこちらに来ることも出来なかったし、雲雀くんと再会を果すことも出来なかったのだから。
だけどそうするとあの神社で会った彼は一体…。
「骸様、今はまだ実体化出来るほどの力は回復していないみたい…」
「実体化…?」
こくんとクロームは頷いた。
う、うーん……理解の範疇を超えるんですけど。
あちらの世界で読んだコミックスも、雲雀くんの姿を追うように斜め読みしたみたいなものだったから、そういう細かいところは憶えていなくて。
一瞬拘束されて閉じ込められた箱から脱出し、他の場所に現れるという手品を思い出してしまった。
でもマジックの類じゃないのよね。
幻覚だけど幻ではなくて、実体があるってことなんだろうけど…。
理解に苦しみ悩むあたしにしがみ付いたままのクロームは、その手にぎゅっと力を込めた。
「お願い昴琉様。私と一緒に来て」
「…え?」
「骸様、凄く貴女に逢いたがってる」
「…あたしに?」
またこくんと頷くクローム。
うーん、突然そんなこと言われても…。
勿論彼に会いたい気持ちはある。
神社では驚きの連続で、挙句あたしは気を失ってしまって、骸くんにお礼を言っていないし。
だけど、雲雀くんが知ったら…。
骸くんを嫌っている彼が会うことを許すはずがない。
何より彼には心配をかけたばかりで、また我が侭を言うのは気が引ける。
「ごめんなさい…あたしも会いたいけど、一緒には行けないわ」
「お願い昴琉様…!骸様には貴女が必要なの」
「嬉しいけど、骸くん以上にあたしを必要としてくれている人がいるから」
「………雲の人」
「雲…?あぁ、雲雀くんのことね。
うん、そう。彼はあたしにとって特別で、大切で、必要な人なの。
それにあたしは、二度と彼の傍から離れないと決めたから……分かって、くれるかな?」
クロームは今にも泣きそうな顔をしてからしゅんと項垂れ、耐えるようにあたしの肩に頭を預けてきた。
雲雀くんと遭遇するかもしれない危険を冒してここまで来てくれた彼女には酷な返答だけれど、こういうことはキッチリしておかないと後々困ることになる。
あたしだって助けがいるのなら恩に報いる為にも、雲雀くんを説得して手を貸してあげたいと思う。
でもこちらに来たばかりの今のあたしでは何もしてあげられないことも分かっている。
せめてもう少し、雲雀くんとの生活と関係が落ち着けばいいのだけれど…。
あたしは彼女の頭をそっと撫でてやる。
「今すぐに会うことは出来ないけれど、いつか必ず会えると思うから。
ねぇ、クローム。骸くんと意志の疎通が出来るなら、伝えてくれるかな。
その時まで待って欲しいって」
クロームは徐に顔を上げきゅっと唇を結ぶと「分かった」と頷いた。
その姿にホッとする。
「さ、あまり長居すると雲雀くんに見つかっちゃう」
しがみ付いていた彼女の肩をそっと押しやる。
けれどクロームはあたしを離さなかった。
不思議に思って覗き込んだ彼女の表情は先程までとは違っていた。
―――何、この違和感。
口元に浮かぶ不適な笑みに思わずギョッとする。
「……クフフフ…昴琉は本当にお人好しですね」
口調が、変わった…?しかもこの独特な笑い方って。
ま、まさか…!
「近いうちに必ず逢いましょう・・・・・・Arrivederci」
「!!!」
愕然として固まるあたしの唇にクロームが素早くキスをした。
ちょ、ちょっと…!
こんなことをするのは、絶対骸くんだ…!
ありべでるち言ったし!
慌てて身体を引き離すと彼女(彼?)は「いずれ、また」と悪戯っぽく笑って、走り去ってしまった。
な、何なのよ…もう。
女の子と、き、キスしちゃった…。
あぁ、でも中身は骸くん…う、うわぁ…混乱するッ
突然の出来事に四肢の力が抜け、それでもされた行為に顔が火照る。
折角治まった動悸が再発してしまった。
あぁ、でも雲雀くんのところに帰らなきゃ。
きっと今頃帰りが遅いって心配してる。
スケート靴を履いたままということもあって、フラフラと歩いているとまた人にぶつかってしまった。
「あ…ごめんなさ…雲雀くん、どうしたの?」
「遅いから何かあったのかと思って様子を見に来たんだけど…」
「な、何にもない…!」
言えるわけがない。
クロームに遭遇して、あまつさえキスをされたなんて。
雲雀くんが彼女をどう思っているのかは分からないけど、一瞬とはいえ彼女の中には骸くんがいた。
それを知ったら目の色を変えて探しに行きかねない。
ブンブンと首を振るあたしを怪訝そうに見たけれど、雲雀くんは深く追求しないでくれた。
「そう…。さっきも思ったけど、昴琉、顔が赤いね。熱でもあるの?」
雲雀くんは大きな手であたしの前髪をそっと払い額に触れた。
少し冷えた手が心地好いが、心配そうに覗き込んでくる彼の瞳が余計にあたしの身体の熱を上げる。
何の為にトイレに駆け込んだのやら…。
あたしは彼の手をそっと外し、なるべく不自然にならないように微笑んだ。
「本当に大丈夫よ。久し振りに運動したから、ちょっと暑いだけ」
「ならいいけど。あ…缶コーヒーホット買ったけど、冷たい方がいいかい?」
彼はそう言ってコートのポケットから缶コーヒーを取り出し、軽く振って見せた。
……優しい子だなぁ、本当に。
小さな彼の気遣いが乱れた心を落ち着けてくれる。
乱されたり、落ち着かされたり、同一人物に反対の感情を感じるなんて何だか不思議。
―――それでもやっぱりあたしは雲雀くんが好き。
あたしはゆっくり首を横に振った。
「ホットの方がいいわ。休憩してるうちに身体冷えるもの」
雲雀くんと一緒に近くの椅子に並んで腰掛け、手袋を外してプルタブを押し上げ彼が買ってくれたコーヒーを一口。
缶コーヒー特有の甘さに疲れた身体と心が癒される。
胃に染み渡る感じがまた何とも言えない至福感をもたらす。
温かい缶コーヒーを両手で包むようにしてホッと一息吐いていると、「昴琉」と雲雀くんに呼ばれた。
「ん?」
「やっぱり家まで我慢出来ないんだけど、キス」
「だ、ダメ!絶対ダメ!」
だ、だって今君とキスしたら、クローム…いや、骸くんと間接キスになるわけで…!
クロームと考えると他の女の子と雲雀くんが間接キスなんて、あたしが嫌。
骸くんだと考えると同性で間接キス…いや、寧ろ雲雀くんが毛嫌いしている骸くんと…ダメダメダメ!
事情を知らない雲雀くんは拒絶されてむくれてしまった。
そしてスクッと立ち上がって一言。
「帰る」
「え、えぇ!」
「僕は我慢するのは好きじゃない」
「あっちょっと、雲雀くん…!」
彼に腕を掴まれて立たされたあたしは、出口に連れて行かれてしまった。
ど、どれだけ我慢出来ない子よ…っ
結局は帰りの車中で限界に達した彼に、抵抗空しく唇を奪われて。
…知らぬが仏。
絶対に自分の心の中だけに隠しておこうと、あたしは固く心に誓ったのだった。
2009.3.28
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