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「ここだよ」


そう言って雲雀くんはお屋敷から程近いマンションの前で車を停めた。
車から降りてそのマンションを見上げる。


「あたし雲雀くんと一緒ならアパートでも良かったのに」

「本当は一軒家にしようかと思ったんだけどね」


悪戯っぽく笑って、雲雀くんはあたしの方にやって来た。

不承不承ではあったけれどあたしの申し出を受け入れてくれた雲雀くんは、早速新居を見つけてきてくれた。
そこへ二人で下見に来たんだけど、お屋敷から十分歩いて来られる距離なのに車で来る必要あったのかしら…。
雲雀くんに手を引かれてマンションの中に入り、エレベーターに乗ってひとつの玄関前に辿り着く。
彼は上着のポケットから鍵を取り出し、それを鍵穴に差し込んでカチャリと回しドアを開けた。


「さぁ、入って」

「うん」


雲雀くんに促されて、少しドキドキしながら中に入る。
キッチン、リビング、バスルーム、寝室と順々に中を見て回る。
ガランとした部屋を想像していたのに、予想に反して既に家具が置かれていた。
家具付きマンション?
それにしては少しだけど食器類もあるし、変だよね。

あれ…?気のせいかな…何だかここって…。

雲雀くんは黙ったまま部屋を見渡すあたしの顔を覗き込んだ。


「……気に入らなかったかい?」

「ううん、凄く素敵。素敵なんだけど、ここ…」

「貴女のマンションに似てる?」

「う、うん」

「僕もここを見つけた時は正直驚いたよ」


雲雀くんはそっとあたしを抱き寄せた。


「…ここはね、緊急時の隠れ家にしようと思って確保したんだけど、あまりに貴女のマンションに間取りがそっくりでね。
 賃貸のつもりだったけどすぐに購入して、それ以来僕が住んでる。
 まぁ、仕事で飛び回っていたからなかなか帰って来られなかったけど」

「え…それじゃこの家具や食器は雲雀くんが?」

「街中で昴琉の部屋にあった家具に似てる物を見かけると、つい買ってしまってね。
 それを繰り返してたらこうなった」

「…バカね。そんなことしたら余計に辛いじゃない」

「それでも、僕は貴女を思い出したかったんだよ」


雲雀くんはほんの少し自嘲気味に笑って、あたしを抱く腕に優しく力を込める。
それに呼応するようにあたしの胸もきゅぅっと狭くなる。

―――――君も忘れたくないと思ってくれていたの?

5年の月日はヒトを忘れるには十分過ぎる時間だ。
あたしが君との思い出の品を捨てられなかったように、君もあたしを思い出す品を集めずにはいられなかったのだろうか。
薄れゆくあたしの面影を少しでも長く鮮明に憶えている為に。
ひとりでこの部屋であたしのことを思い出してくれていた?
1年にも満たない短い時間だったけれど、マンションで一緒に過ごしたあの穏やかで幸せな日々を。

それはどんなに切なく、苦しかっただろうか。

雲雀くんがここで過ごした時間を思うと居た堪れなくなって、あたしは彼の背中にしがみつくように腕を回した。
「忘れて」と言っておきながら、彼の学ランにオルゴールボールを忍ばせてしまったのはあたしの罪だ…っ
君がくれたオルゴールボールを返すことで、自分の決意を示したつもりだった。
けれどそれは「憶えていて欲しい」という気持ちの裏返しでもあった。

だって、あれは雲雀くんが「僕を思い出して」とあたしにくれたものだから。

結局君を縛ってしまう結果になってしまった。
きっとあたしが想像している以上に、この5年間、彼はあたしを想ってくれていた。
だから沢山ヤキモチも焼くし、傍から離れなかったんだよね。
今頃それに気が付くなんて…っ
あたしは零れそうになった涙を堪えて雲雀くんを見上げた。


「あたし、もう雲雀くんから離れないから。ずっと一緒にいるから…だから…っ」

「昴琉…」


目に溜まった涙が頬を伝う寸前に、雲雀くんは優しくあたしの唇を塞ぐ。
労るようなそれは罪悪感に支配され始めていたあたしの心を、瞬く間に幸福感で満たしてくれる。

あぁ、あたしも君を幸せにしてあげたい。

いつもあたしばかりが与えられている気がするの。
あたしの感じるこの幸せを雲雀くんも同じように感じてくれたらいいのに。
ゆっくり離された彼の唇が名残惜しくて、視線で追う。
そのまま視線を上げていけば、優しく微笑む雲雀くんの綺麗な漆黒の瞳と目が合った。
一滴だけ頬を伝った涙を彼は舌で掬い取る。


「泣いてる貴女も嫌いじゃないけど、どうしていいのか分からなくなるから笑ってよ」

「…気障。そんな台詞どこで覚えたのよ」

「内緒」


雲雀くんはククッと喉の奥で笑うと、じゃれるようにあたしの頬にちゅっとキスをした。
何だかくすぐったくて笑いながら首を竦めると、彼も楽しそうに笑う。


「それじゃ新居はここでいいかい?」

「勿論よ」

「なら昴琉の荷物を移すだけだし、貴女が望むならすぐにでも移れるよ」

「うん。ごめんね、我が侭言って」

「構わないよ。
 貴女と過ごす時間が減るのは不本意だけど、ここなら貴女を遠慮なく咬み殺せるしね」


不敵に笑ってあたしの頬を撫でる彼に思わず絶句した。
え、遠慮なくって…今まで遠慮してたつもりなの?!
きっと聞き間違いよね、うん。聞き間違いよ。
―――聞き間違いであって欲しい…!
苦笑いを浮かべるあたしを愉しそうに見下ろす雲雀くんは、とても冗談を言っているように見えなくて。
ちょっと気圧されながら話題を変える。


「そうだ、このマンション高かったでしょ?あたしも働くから足しにして?」

「その提案は受け入れられないな」


笑顔だった雲雀くんはあたしの言葉を聞くと急に口をへの字に曲げた。


「金銭面は心配要らないと言ったはずだよ。僕はあの財団のトップなんだ。
 貴女は働く必要はないし、外に出る必要もない。ここにいればいいんだよ」

「そんな…まさか雲雀くん買い物も行かせないつもり?」

「買い物なんて哲にでも行かせればいい」


とんでもない彼の言い分にあたしは呆気に取られた。
そりゃ確かにあたしの我が侭でマンションに移ったし、多少の条件がついても仕方ないかとは思っていたけど。

―――いくら何でも一歩も外に出るななんて、横暴だわ。

草壁くんには草壁くんの仕事があるのにそんなことさせられるわけないじゃない。
今までだって買い物に行ってもらってるの気が引けてたのに。
せめてものお礼にとご飯を多めに作って渡そうと思ったら、それも雲雀くんに怒られて結局あげられなかったし。
何より草壁くんに買い物に行ってもらってはあたしがマンションに移る意味が失われる。
恐らく草壁くんの話で彼を折れさせようとしても徒労に終わるだろうから、ここはひとつ別の切り口で攻めよう。
あたしは気を取り直して再び彼と向き合った。


「雲雀くん、人間日の光に当たらないと死んじゃうのよ?」

「ベランダで日光浴すればいいじゃない」

「あのねぇ…せめて買い物くらい行かせてよ。
 あたしは自分で選んで買い物をして、ご飯を作って好きなヒトに食べてもらいたいのよ」

「………」

「雲雀くん、君はあたしをお嫁さんじゃなくて籠の鳥にするつもり?」


ちょっと非難するように雲雀くんの瞳をジッと見つめると、彼は軽く形のいい眉を顰めた。
そして軽く息を吐くと上着のポケットから何やら取り出して、あたしの首につけた。
シャランという懐かしい音色に、あたしは自分の胸元を慌てて確認する。
それは雲雀くんが社員旅行で買ってくれて、あたしが送り帰す際に彼のポケットに忍ばせたオルゴールボールだった。
…まだ持っていてくれたんだ。
離れ離れの間、あたしを思い出す為に雲雀くんは何度これを鳴らしたのだろう…。
あたしはオルゴールボールを握って、彼を仰ぎ見た。


「雲雀くん、これ…」

「ひとりで外出する時は必ずこれを身に着けて。いいね?」

「じゃぁ、買い物行ってもいいのね?」

「うん。だけど意味もなく出歩くのはダメだよ」

「ありがと。毎日美味しいご飯作ってあげるからね」


行動を制限したがるのも若さのせいなのかな。
それでも譲歩してくれる雲雀くんは優しいと思う。
彼が大切に思ってくれてるのは十分分かるけど、あたしだって子供じゃないしね。
オルゴールボールを身に着ければ外出していいという条件は良く分からないが、それで済むなら万々歳よね。
感謝の気持ちを込めて雲雀くんにぎゅっと抱きついて擦り寄る。
そんなあたしを優しく抱き返しながら「やっぱり貴女には首輪が必要だね」と彼は以前と同じ台詞を呟いた。



2009.2.12


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