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あたしを抱いて廊下を歩く雲雀くんの歩調は普段と変わらない。
だけどその身に纏う雰囲気が違う。
彼の怒気は真夏の午後の日差しのようにあたしの肌をチリチリと刺し焼く。
彼の表情を覗き見るが口はへの字に結ばれたままで、怒りを孕んだ視線は真っ直ぐ前を見据えていた。

何でお礼言ったくらいでこんなに怒るの…?
それとも叩いてしまったことを怒ってるの…?

彼はあたしをどうするつもりなんだろう。
あたしも叩いちゃったし、愛用のトンファーでガツンと一発…?い、いや二発?
大好きな雲雀くんに触れているのに、怖さから身体が強張り心臓がバクバクと血液を送り出している。

部屋へと続く廊下がヤケに長く感じた。

部屋の前まで来ると、彼は器用に足で襖を開けて畳の上にあたしを下ろした。
雲雀くんから逃げるようにあたしは反対側の壁に走り寄る。
彼は後ろ手に襖を閉めながら、その綺麗な顔に冷たい笑みを浮かべた。


「僕が怖いの?」


いつもより低い声にビクッと身を竦ませるあたしを見て、雲雀くんはフッと笑う。


「…怖いんだね」


まるで獲物に狙いを定めた肉食獣のように切れ長の目を細めた。
そりゃそんな目で見られたら誰だって怖いわよ…!
雲雀くんはゆっくり、けれど一歩一歩力強く歩み寄りあたしとの距離を縮める。


「昴琉、僕が怒っている理由が分かるかい?」

「…叩いちゃったから?」

「違うよ」

「…勝手に部屋を出たから?」

「当たり」


迫ってくる雲雀くんが怖くてあたしは彼に背を向け、最後の抵抗とばかりに壁に縋りつく。
退路の無いあたしの両脇に彼は腕をついて、更に逃げ場を無くした。
そして身を屈めあたしの耳元まで唇を近づけ妖しく囁く。


「言ったでしょ?勝手に部屋から出たら咬み殺すって」


そして彼は本当にそのまま、あたしの耳を…噛んだ。
決して強く噛まれたわけじゃない。
けれどあたしの恐怖心を煽るには十分過ぎる刺激で。
再びビクッと身体を震わせたあたしの反応に気を良くしたらしい彼は、耳元でクスリと嗤った。


「こんなに震えて…可愛いね、昴琉は」


こ、怖い…っ
これならまだ怒鳴り散らされた方が気が楽だ。
時折見せる雲雀くんの意地悪な黒いオーラに、じわっと涙が込み上げてきた。
でもここで泣いたらあたしが全面的に悪いみたいになってしまう。
ダメよ、昴琉。向き合って話し合わなきゃ。
思い切って振り向くと、鼻が触れそうなくらい近くに雲雀くんの顔があった。
思わずゴクリと唾液を嚥下する。
触れたら切れそうなほど鋭い視線に負けじとあたしは真正面から彼を見返した。


「酷いよ雲雀くん…っみんなの前であんな…」

「…酷いのは昴琉だよ。僕が独占欲強いの知ってて目の前で他の男と群れるなんて」

「群れるって…!ちょっとお礼を言っただけじゃない」

「分かっていないようだね。もっと自覚を持った方がいい。
 昴琉は自分が思っているよりずっと魅力的なんだよ」

「そ、それは雲雀くんがあたしを贔屓目で見てくれるから…」

「そうかも知れない。けど、そうじゃないかも知れない。
 …少なくとも貴女はこんなにも僕の心を掻き乱しているんだからね」


そう言うと彼はジッとあたしの目を覗き込んだ。
心の奥の奥まで見透かすような強い光を宿した瞳に息を呑む。
 

「貴女の無意識な優しさは自然と人を惹き付けるんだよ…僕が貴女を好きになったようにね。
 だからこそ他の男への牽制の意を込めて、こちらに来てすぐの貴女に指輪を贈った」

「雲雀くん…」

「それなのにあんな綺麗にあの草食動物に笑いかけて、あまつさえ手まで握るなんて。
 僕がヤキモチを焼くと嫌がるクセに……あぁ、それともわざと僕にヤキモチを焼かせて愉しんでるの?」

「!!!」


…ちょっと。何よ、それ。
あたしがわざとヤキモチを焼かせている?
勝手に過剰なヤキモチ焼いといて君がそれを言う?!
至近距離で意地悪な笑みを浮かべあたしの前に立つ男につい先程まで感じていた恐怖は、今の一言で何処かへ飛んで行ってしまった。
代わりにあたしを支配したのは猛烈な怒りとやり場のない哀しさだった。


「心外だわ!おかしいよ雲雀くん!
 いくらなんでも会った人みんながみんな、あたしを好きになるわけないでしょ?!
 あたしは大好きな君が苦しむ時間を減らしてくれた沢田くんにお礼を言っただけじゃない!
 そりゃ、勢いで手を握ってしまったあたしも悪いかもしれない。
 だけど君を大事に思ってくれる人に感謝して何が悪いの?!
 しかも彼はあたし達をこうやってまた逢わせる為に協力してくれたんでしょ?!
 ヒトから親切にされたらお礼言うのが当たり前じゃないの?!」


雲雀くんは激変したあたしに驚いて目を見開いた。
雲雀くんがひとりで過ごした5年間は、きっとあたしが想像しているよりも凄く…辛かったと思う。
だけど同じように沢田くんだって辛かったはず。
あたし達を引き裂いたと責任を感じている彼が、あたしをこちらに呼ぶ研究をしている君を傍で見ていたのよ?
それが優しく多感であろうあの少年の心に黒い影を落としていたのは明白で。


「第一、この間君はあたしを信じてるって言ったばかりじゃないっ
 それなのに、ちょっと手を握ったくらいで…っ
 信じてないからヤキモチ焼くんでしょ?あたしのこと好きなら、もっと、信じてよ…っ」


ダメだ。
堪え切れなくなった涙が零れそうになって、あたしは両手で顔を覆った。

こんな感情的な姿を雲雀くんに見せたくない。
これじゃ駄々を捏ねる子供と一緒。
あたしは雲雀くんよりも年上なのだから冷静でいなくてはいけない。
感情的な相手に感情的に返しても火に油を注ぐだけ。

だけど感情に任せて口をついた言葉は、勢い任せであるからこそ普段思っていることが出る。

あたしはこんなにも雲雀くんが好きなのに。
どうして信じてくれないの?

ヤキモチ焼いてくれるのだって嬉しい。
焼かれなくなったら終わりだとも思う。
だけど過剰なそれはあたしの想いが疑われているような気がして、凄く哀しいし…悔しい。 

顔を覆った手の向こう側で戸惑っている雲雀くんの気配がする。


「昴琉……泣いてるの?」

「泣いてなんかいないわ」

「それなら顔を見せて」

「嫌…」

「昴琉…」


抗っても彼の力に勝てるわけもなく。
雲雀くんはあたしの手首を掴んで簡単に顔を覆っていた手を退かしてしまった。
泣き顔を見られたくなくて下を向く。
肩にかかっていた髪が流れるのと同時に、ぽたぽたと雫が落ちて畳を濡らした。
それを見た雲雀くんは大きく息を吐いて、あたしを抱きすくめた。


「……ごめん。泣かせるつもりじゃなかった」

「…泣いてなんかいないったら」

「貴女の言うことはいつだって正しい。悪いのは僕だよ」


そう言って雲雀くんはあたしを抱く腕に力を込めて、頭上にキスを落とした。
抱き締められているのに縋られているような不思議な感覚。


「―――昴琉…愛してる。貴女を愛してるんだ」


搾り出すような切ない告白が二人しかいない部屋に響く。


「…昴琉のことが好き過ぎて、自分でも上手く感情がコントロール出来ないんだ。
 可笑しいでしょ?この僕がだよ?」


雲雀くんは自嘲的に小さく笑った。
先程までの荒々しい怒気は、もう感じない。
彼の言葉にきゅっと胸が狭くなる。
好き過ぎて感情がコントロール出来ないのはあたしも一緒。
募り過ぎた想いは、時に大切な人や周りの人を傷付ける。
意識無意識にかかわらず。
彼はそっとあたしの身体を離すと、今度はあたしの手を掬い上げて自分の頬に持っていく。


「…雲雀、くん?」

「ほら、ヤキモチ焼いたら思い切り頬引っ張るんでしょ?」

「…うん」


あたしは彼の頬を掴んで引っ張った。
痛そうに顔を歪める彼の頬をぐぃぐぃ遠慮なく引っ張ってから放す。
雲雀くんは頬を摩りながらすまなさそうに微笑んだ。


「許して、くれる?」

「…あたしのこともっと信じてくれる?」

「うん」

「…さっきみたいなこともうしない?」

「…努力する」

「……もう、いいわ。
 きっとあたしも雲雀くんの立場ならヤキモチ焼くと思うから」

「…ありがとう、昴琉」


ホッとしたように息を吐き、雲雀くんはあたしの涙に濡れた頬を指で拭った。
そしてあたしの頬を両手で包み込むと上向かせる。


「キス、してもいい?」


いつも自信に満ち溢れた彼の漆黒の瞳が、不安げに揺れている。
…んもう、ずるい。
君にそんな顔されたら応えずにはいられないじゃない。


「…してくれなきゃ許さないんだから」


何だかちょっと悔しくて少し頬を膨らませて言う。
すると雲雀くんは少し頬を赤くして「これだから貴女は手放せない」と優しくあたしの唇を塞いだ。



2009.1.29


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