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48


闇を照らす青白い月光は、許されないあたしの裏切りをも照らし出す。

驚きに見開かれた漆黒の瞳に映るのは、銃を構えて残酷に微笑む自分の姿。

愛しい彼の瞳はあたしの裏切りを悟った刹那、哀しみに揺れて。

彼の唇が『嘘吐き』と呟いて煙に掻き消される。


ごめんなさい…!ごめんなさい…!!ごめんなさい…!!!
離れたくなんてない…帰したくなんてないの…っ


『昴琉なんて嫌いだよ』


氷のように冷たい彼の声が、落葉の舞う境内に低く響いた。


***


ピピピピピ……

枕元の目覚まし時計の音でハッとして夢から覚めた。
涙が目尻から零れ、枕に吸い込まれるように流れていく。
…また、か。
あたしは気だるい身体を起こして涙を拭った。
雲雀くんと別れたあの夜から1ヵ月以上が過ぎたけど、未だにあの光景を夢に見る。
あれはあたしの罪悪感が生み出した夢。
だって彼が実際何と言ったのかは分からなかったんだもの。

ひとりで寝るには広過ぎるダブルベッドを脱け出して、キッチンへ向かう。
タオルを濡らしてリビングのソファに移動して腰を下ろす。
それを目に当てて落ちないように背凭れに頭を乗せて上を向く。
熱を持った瞼に濡れタオルの冷たさが心地好い。
彼と朝食を取っていた時間は、今は目が腫れないように冷やす時間に取って代わっていた。

―――――あの夜に涙は枯れたと思ったのになぁ。

実際起きている時は孤独感や罪悪感に駆られても、涙は出なかった。
自分で決めてしたことだもの。
泣くのは、卑怯だ。
けれど寝ている間ばかりは心も無防備になるらしい。
情けなくて自嘲的な笑いが漏れる。

溜め息混じりに温まったタオルを退けると、テレビの隣に飾ってあるフォトフレームが目に留まる。
神主さんに撮ってもらった雲雀くんとのツーショット写真。
けれどそこに映っているのは苦笑いを浮かべた巫女姿のあたしひとり。

一緒に映っていたはずの彼の姿は、あの夜から消えていた。

写真からだけではなく、こちらの世界で彼に係わった人々の記憶からも。
彼を憶えているのが何故あたしだけなのかは分からないけど、忘れたくないからそれでいいと思った。
彼の使っていた日用品もお揃いで買ったグラスも部屋もあの時のまま。
そうやって彼のいた形跡を残すことで幾度となく思い出して心の傷を抉ることになっても、捨てる気にはなれなかった。
寧ろ治らないほどもっと深く抉れてしまえばいいと思う。
傷を抉って雲雀くんを刻み付けている間は決して彼を忘れないから。

あたしが憶えている限り、こちらの世界の雲雀くんの存在はなくならない。

自分を痛めつけたいのとは違う。
ただ、雲雀くんを忘れたくないんだ。


***


仕事をしている時は大分気も紛れたが、それでもあたしの頭と心は彼のことでいっぱいだった。
何をするにも張り合いがなくて、気だるさが抜けない。
なるべく顔に出ないように努力していたけど、睡眠不足と食が細くなってしまったことで流石に顔色も冴えず、遥にも心配された。
悩みがあるなら相談してと言われたけれど、雲雀くんを忘れてしまっている彼女にどう説明していいのかも分からなくて。
ただ何でもないのだと笑うしか出来なかった。


―――――雲雀くん今、何してるんだろう…。学校行ってるかな。ちゃんとご飯食べてるかな。


「桜塚さん?」と声をかけられてハッとする。
話があると会社帰りに主任に夕食に誘われたその席で、彼のことを考えてボーッとするなんて。
失礼なヤツだな、あたし。
心配そうな顔をしている主任を安心させる為ににっこり笑う。


「すいません。ちょっとボーッとしちゃって。そうだ主任、お話って?」

「あ、あぁ」


コホンと小さく咳払いをして、彼は居住いを正した。
真っ直ぐに少し熱っぽい視線をあたしに向けて、けれど真剣な表情に変わる。
…あぁ、同じ様な主任をあたしは以前も見ている。


「しつこい男だと思われるの覚悟で言うよ。…オレと付き合ってくれないかな?」

「主任…それはあの時…」

「うん、断られた。それでも君を諦められないんだ。
 最近の桜塚さん元気がなくて…オレ見ていられないんだよ」

「お気持ちは嬉しいんですけど、あたし…」

「……あの時ははっきり訊けなかったけど、彼氏、いるんだね?」

「―――はい」

「その人は君を放っておいて何してるんだよ…!」


少しイラついた口調で吐き出すように言うと、主任は赤ワインの入ったグラスを口に運んでぐぃっと飲み干した。
直接会って言葉も交わしているのに、やっぱり雲雀くんのことは忘れているんだ。
主任は本当に良い人で、入社したての右も左も分からないあたしに、面倒がらずに仕事を丁寧に教えてくれた。
仕事も出来て、気配りもきめ細かくて、頼りになって、尊敬出来る年上の男性。
……もしも雲雀くんに出逢わなかったら、この人と付き合って将来結婚していたかもしれない。
だけど…それはあくまで『もしも』の話。
あたしは主任ではなく雲雀くんと恋に落ちたんだもの。


「彼は…この世界にはいないんです。あたしのせいでいられなくなっちゃったんですけど」

「…ぇ?それって…」

「忘れられたら楽なんでしょうね…。でも彼、『ここ』にいるんです」


あたしは自分の胸を右手で押えて笑う。
主任はあたしの想い人が亡くなったと勘違いしたみたいで、酷く痛々しそうにあたしを見た。
彼の存在を忘れてしまった主任にとっては『いない』のと『死』は同じことかもしれない。


「彼が『ここ』にいる限り、誰かと特別な関係になるつもりもありません。
 あたしは彼を忘れたくないんです。一生忘れるつもりもありません。
 主任のことは嫌いじゃないし尊敬もしてるけど、気持ちを受け入れることは…申し訳ないけど出来ません」


「ごめんなさい」と頭を下げる。
主任は口元に手を当てて少し考えている様子だった。
暫くの逡巡の後、彼はゆっくり口を開いた。


「……オレじゃ彼の代わりにはなれないの?」

「主任…。そんなことあたしに出来ると思いますか?」

「君ならそう答えると思ったよ。だからオレは君が好きなんだけど。……決意は固いんだね?」

「はい」


きっぱり答えたあたしに主任は「残念だよ」と切ない笑顔を向けた。

……ごめんなさい、主任。
雲雀くんはもうあたしの一部なんです。
彼を忘れることは、彼が愛してくれた『あたし』を捨てることみたいな気がするんです。
こうやって頑なに雲雀くんへの想いを貫くことでしか、騙し討ちで送り帰してしまった彼に罪滅ぼしをする方法をあたしは知らないんです。


***


主任と別れて地元の駅に戻ってきたけれど、真っ直ぐマンションに帰る気にならずフラフラと駅前をうろつく。
あたしの気持ちとは裏腹に夜の街のネオンは嫌味なくらい陽気だった。
ひとりで街中を歩くのは怖くはないが、酷く淋しかった。
擦れ違うカップルを見ては、雲雀くんと一緒に歩いていた頃を思い出して溜め息が漏れる。
いつまでも落ち込んでいるつもりはないけれど、どう気分転換していいのか分からなかった。
そんな時ふと『漫画喫茶&ネットカフェ』という看板が目に留まった。
雲雀くんと行くのは図書館が多くて、借りてくるのも小説とか実用書が多かったから、暫く漫画なんて読んでない。

……ちょっと入ってみようかな。気分転換になるかもしれないし。

今まで利用したことがなかったから、少しドキドキしながら店内に足を踏み入れた。
受付を済ませて、さて最近はどんな漫画があるんだろうと棚を見て回る。
沢山あって装丁も凝ってるモノが多くて目移りするなぁ…。
『人気のコミックスTOP20』と書かれた棚の前で足を止める。
順々に何となく視線で追って……一度通り過ぎた視線が一冊のコミックスの表紙に釘付けになる。
人間本当に驚くと二度見するのね。

そこにはよく見知った人物が、彼の愛用するトンファーを構えている姿が描かれていて。

慌てて他の巻の表紙を見るとやっぱり見覚えのある人物が描かれている。
段々激しくなる動悸を抑えながら、並んでいる巻全てを抱えて個室の席に着いた。
一番最初に目に留まった巻の表紙を見る。
黒髪に同色の切れ長の瞳、『風紀』の紅い腕章をつけた学ラン姿……!


間違いない…これは雲雀くんだ…!


漫画のタイトルは『家庭教師ヒットマンREBORN!』。
パラパラ速読していくと、骸くんに見せてもらった場面と一致する頁がちらほら出てきた。
やっぱり、間違いないんだ…!
震える手で個室に設置されていたパソコンを使ってネット検索してみる。
漫画のタイトル、彼の名前、彼の住んでいた町の名前、学校……全て検索がヒットする。
雲雀くんがこちらにいた時は決して検索に引っ掛からなかったのに。
どういう法則でそうなったのか分からないけど、彼が帰ったからこの漫画はこちらに現れた…?
コミックスの発行年月を見てみると雲雀くんがこちらに来るより前に発行されている。
凡人の与り知らない力が関与して、雲雀くんが自分の未来を知ることのないように消えてたとか…?
考えれば考えるほど理解を超える。
頭の中を色んな可能性が廻るけど、そんな理由なんかもうどうでも良かった。

一番の気がかりは君がちゃんと元の世界に戻れたのかどうかで。
骸くんとも逢っていないし、見る夢は最後の光景ばかり。
開いた頁の君はいつもの小生意気で不敵な笑みを浮かべている。


―――――雲雀くんは無事なんだ…っ無事に元の世界に戻れたんだ…!


良かった…本当に、良かったよぉ…ッ

そう思った瞬間、ツーッと熱い雫が頬を伝った。
彼が無事だったこととこちらの世界と全くの無関係じゃないと分かって、ホッとしたのかもしれない。
たとえ漫画の世界の人でも構わない。
もう二度と君の姿を見ることはないと思っていたのに。
あたしの好きな人がここにいる……!
触れられないし言葉を交わすことも出来ないけれど、雲雀くんが存在していることが嬉しかった。
確か駅の反対側に遅くまでやっている書店があったはず。
帰りに寄って全巻買って帰ろう…っ
描かれた彼の輪郭を指でそっとなぞる。
……嬉しくて、切なくて、涙が止まらない。


『おやおや、泣いているのですか?』


……え?!この声…!
突然耳に飛び込んできた聞き覚えのある声に驚いて個室を見回すと、骸くんが表紙のコミックスが目に留まる。
ま、まさか…今喋ったのって……


『可哀想な昴琉。今、楽にして差し上げますよ』


やっぱり、絵の骸くんが喋った……!!
こ、こわ!!!
そう思って驚いたのも束の間、絵の中の彼は綺麗な微笑を浮かべ、こちらに銃口を向けて…引き金を引いた。

…ぇ。

絵から飛び出した銃弾はあたしの胸を真っ直ぐ貫いて。
痛みを感じる間も無く大量の煙があたしを包み込む。
自分の身に起こった突然の出来事に思考が追いつかないまま、見えない力でぐっと引っ張られた。
浮いているような落下するような、でもどこかに向かって高速で移動しているような感覚の中、あたしはいつの間にか意識を手放していた。



2008.11.11


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