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45


墓参りの日以来昴琉は何か吹っ切れたようで、よく笑う彼女に戻った。

『元の世界に…並盛に帰りたい?』

そう僕に訊いた彼女の身体は少し震えていた。
それは秋口の海に足を浸したからではなくて、僕の答えが怖かったから。
ひとりにしないと何度言い聞かせても、貴女の不安を拭い切れてなかったことに僕は軽くショックを受けた。
どうしたら貴女は安心してくれる?
昴琉に逢うまで誰かを好きになったり、その相手に好かれたいと思ったこともなかった。
いつだってトンファーの一振りで相手を服従させてきた僕には、好きな人を安心させる方法なんて分からない。
想いを伝えて、沢山キスをして、この腕に強く抱き締めても、きっとまた彼女は不安に思う。
一緒にいる限り続く不安を取り除く為に、僕は彼女に何をしてあげられるだろう。


***


「それじゃ、行ってくるね」

「いってらっしゃい」


仕事に行く彼女を送り出す玄関で、僕は彼女の頬を両手で包んで軽くキスをする。
毎日してるのにいつまでも慣れずに顔を赤らめる貴女が可愛くて、何だか胸がふわっと温かくなる。
本当は帰ってくるまで触れられないから濃厚なのをしたいんだけどね。
口紅が落ちるって昴琉が嫌がるから大人しく触れるだけのキスで我慢してる。

彼女を送り出し軽く背伸びをしてリビングに向かいがてら、午前中は読書、午後は町の巡回をしようと一日の計画を練る。
ソファに座ってテーブルの上を見ると、読みかけの小説の隣に昨晩彼女が読んでいた雑誌が置かれたままだった。
以前昴琉が心理テストの掲載されていた雑誌を、僕が風呂に入っている間にコッソリ読んでいたのを思い出す。
大人の彼女がああいった類のモノを読んでいるのが不思議だった。
けど僕を知りたいと思って読んでいたのなら、それはとても可愛らしい行為に思えて妙に嬉しくなったのを憶えている。
テーブルの上にあるのはあの時とは違う雑誌だったが、彼女が読んでいたという事実が僕の興味をそそった。
手に取ってパラパラ捲るとひとつの特集が目に留まる。

それは自分の彼氏から贈られて嬉しかった物のランキングだった。

他と大差をつけて堂々の一位は指輪。
その隣に書かれた投票者のコメントには『俺のモノだって束縛される感じいい!』とか『結婚を意識してくれてる気がして嬉しい』とか書かれている。
…ふぅん。やっぱり女の人って結婚に興味あるんだ。
ふと後輩の結婚式に出席した彼女を迎えに行って、帰りの車で泣かせてしまった事が脳裏を過ぎる。

『…なん、で…そんなこと、言うの…?!
 あたしと君じゃ、無理だって……分かってる、のに…ッ』

あの時僕は連絡のつかない彼女のことが心配で、僕だけが昴琉に夢中みたいで悔しくて、傷付けると分かっていて意地悪なことを言った。
僕は彼女がずっと自分の傍にいてくれたらそれでいい。
だけど彼女だって結婚適齢期の女性だ。結婚に憧れないわけないんだ。
結婚なんて紙切れ一枚に名前を書いて判を押すだけなのに。
そんな簡単なことも僕が相手じゃ叶わない。

―――――酷く、もどかしい。

僕は雑誌を閉じてテーブルにバサッと放り投げた。
ソファの背に凭れて天井を何となく見上げる。


……昴琉に指輪をあげたら喜ぶかな。


書類上の結婚は無理でも事実婚って言葉もあるし、昴琉を僕のお嫁さんにすることは出来るよね。
まぁ、式は僕がもうちょっと大人になるまで昴琉がダメって言いそうだけど…。
先に指輪をあげてはいけないということはないはずだ。
未来の彼女の横に僕がいると約束することで少しは不安が解消されるだろうか。
それを指輪という形あるモノで証にすれば、彼女は安心して僕に全てを委ねてくれるだろうか。
あのオルゴールボールじゃ彼女を独占するには曖昧なんだ。

左手の薬指に嵌める指輪じゃないと。

彼女を狙う愚かな男共も追い払えるしね。
そこまで考えて、改めて自分の独占欲の強さに苦笑が漏れた。
何てことはない。自分も彼女を失うのが不安なだけだ。
彼女を自分に縛り付けておきたくて仕方がない。
同時に貴女になら束縛されてもいいと思っている自分に驚いてるんだ。

昴琉がいつものように笑顔を浮かべているのに、何故か僕の心はざわつく。

天井を仰いだまま、自分の右手を翳して見る。
この腕からするりと抜け出して僕を好きだと叫んだ昴琉。
夕陽を背に振り返った貴女の笑顔が綺麗過ぎて、あの時僕は違和感を覚えたんだ。

それは喪失感にも似て。

しっかり捕まえていないと、あの時のようにまたするりと僕の腕を抜け出して行ってしまいそうな気がする。
これまで自分の年齢をどうこう思ったことはなかったが、今は早く大人になりたいと思う。
貴女が安心して寄りかかれる大人の男に。

さっき仕事に送り出したばかりだというのに、もう貴女が恋しくて。
昴琉にはどんな指輪が似合うだろうと思いながら、午前の予定を変更して出掛ける準備をする為にソファから立ち上がった。


***


……どうしてあんなに沢山あるの。

幾つかアクセサリーショップを回ってみたが、デザインの多さと営業スマイルで商品を勧めてくる女店員に僕はうんざりしていた。
それでも昴琉の為だ。妥協して選びたくない。
軽く頭を振って決意も新たに次の店に足を踏み入れ、値段もデザインも正に色取り取りのショーケースを覗いていると携帯が鳴った。
今自分のいる場所としている行動に少し躊躇ったが通話ボタンを押す。
携帯から流れてきた貴女の優しい声が僕を呼ぶ。


『あ、雲雀くん?今外?』

「うん。どうかしたの」

『遥がさ15時から観たい番組があって予約するの忘れちゃったんだって。
 家にいるなら雲雀くんにお願いしようかと思ったんだけど…』

「………僕を使おうなんていい度胸じゃないか、楠木遥」

『いやいやいや!あたしが聞いてみるって言ったのよ。遥は悪くないから』


携帯を耳に当てて、手を振りながら焦って否定する昴琉の姿が目に浮かぶようだ。
電話をかけてきた理由は気に入らないけど、彼女の声が聞けるのは、嬉しい。
気が向いたら家に帰って録画してあげようかな。
ふとショーケースに視線を落とすと、ひとつの指輪に目が留まる。


「…ねぇ、昴琉」

『ん?』

「貴女は可愛いモノ好き?」

『可愛いモノ?うん、好きだよ』

「そう」

『急にどうしたの?』

「いや、何でもないよ。それより仕事中じゃないの?」

『う、うん。お茶淹れに給湯室来てるの。あ、お湯沸いたからそろそろ切るね。
 そうだ、面倒くさがらずにちゃんとお昼ご飯食べるんだぞ?』

「分かってるよ。貴女こそちゃんと仕事しなよ。またね」

『うん、またね』


ヒトの心配ばかりする彼女に苦笑しつつ、携帯を切って上着のポケットにしまう。
それから昴琉のジュエリーボックスから拝借した指輪を反対側のポケットから取り出して、店員を呼ぶ。


「お決まりですか?」

「そこの指輪、これと同じサイズある?」


僕は陳列された沢山の指輪の中から控えめなダイヤの指輪を指した。
昴琉はあまり派手なモノは好まないし、いつもつけていて欲しいから、敢えて控えめなデザインを選ぶ。
小さいけれどピンク色のダイヤが添えられたそれは、可憐な彼女に似合う気がした。
昴琉の指輪を受け取りサイズを確認した店員が在庫を探すのを、僕は妙に浮つく気持ちを抑えながら待っていた。


***


「ただいま、雲雀くん」

「おかえり、昴琉」


いつもの場所で柱に凭れていると、改札をすり抜けて彼女が笑顔で駆け寄ってきた。
僕達はお決まりの挨拶を交わして家路につく。
隣を歩く彼女が笑顔で今日あった出来事を話してくれるのも、いつものこと。
夕飯のメニューを決められなくて僕を見上げてくるのも、それに僕がハンバーグと答えてまたかと貴女が苦笑いを浮かべるのも。

ただいつもと違うのは、上着のポケットに潜ませた僕の決意の証。

彼女が楽しそうに話すのを聞きながら、いつ渡そうかと考えているうちに、あっという間にマンションに着いてしまった。
僕は思わず小さく溜め息を漏らした。
先に玄関に入っていた昴琉は、それに気が付いて振り返り不思議そうに首を傾げた。
そして僕の額にそっと触れて、顔を覗き込んでくる。


「…?」

「さっきからずっと溜め息吐いてるし、顔も赤いから熱でもあるのかと思って」

「……気のせいだよ」

「んー、ならいいけど」


明らかにしっくりこないという顔で、着替える為に昴琉は寝室へ行ってしまった。
……普段ボーッとしてるクセに、こういう時だけ勘が鋭いな。
渡すだけなのにタイミングを掴みかねている自分に、またひとつ溜め息が漏れた。


夕食の後片付けを終えた昴琉がコーヒーを持ってきて本を読む僕の隣に座る。
彼女は急いでテレビをつけて、毎週観ているドラマにチャンネルを変えた。
「間に合ったぁ〜」と呟いた彼女はすぐにドラマに釘付けになる。
その様子に暫く話を切り出せないなと僕はまた心の中で嘆息した。
指輪は彼女が食事を作っている間にクッションの陰に隠してある。
そのうち僕も読書に没頭し始めて、彼女の淹れてくれたコーヒーを飲もうと、本から目を離さずにカップに手を伸ばした。
それがいけなかった。
持ち手に指をかけ損ね、カタンッという音と共にカップが倒れる。
まだ熱いコーヒーがテーブルや絨毯に広がり、僕の足にもかかる。
何やってるんだ、僕。
本が無事だったのは不幸中の幸いだが、らしくない失態に少々凹む。
ドラマに夢中だった昴琉も驚いて、キッチンから布巾と濡らしたタオルを持ってきてくれた。
テーブルや絨毯に零れたコーヒーを拭くよりも先に、跪いて僕にかかったコーヒーを拭き取る。


「大丈夫?火傷してない?」


心配そうに僕を見上げ労るようにコーヒーを拭き取る彼女の姿に、ドキッとして胸が苦しくなる。
一番に僕を心配してくれる昴琉の優しさが素直に嬉しくて、愛しく思えて。

気が付いたら僕は跪いていた貴女を絨毯の上に押し倒して唇を奪っていた。

思えば今日はずっと昴琉のことばかり考えていて、募った想いはもう止められなくて。
性急な口付けについて来れずに貴女が漏らす吐息が僕を更に煽る。
狂おしいほどに貴女が欲しくて。
より深く口付けて気の済むまで彼女を蹂躙してから、ゆっくり唇を解放してやる。
苦しさからか恥ずかしさからか、顔を真っ赤に染めた昴琉は大きく息を吸い込み乱れた呼吸を整える。


「…ん、はぁ…今日の雲雀くん…変…」

「………そうだね。やっぱり僕は病気みたいだよ」

「風邪…?」

「昴琉欠乏症」

「へ?」

「貴女しか僕の病気は治せない」

「……雲雀くん?」


僕を映す彼女の潤んだ瞳が、不思議そうに瞬きを繰り返す。
貴女に見つめられて、戦い前の高揚感に似た胸の高鳴りが僕を支配する。
クッションの陰に手を伸ばすと、指先に指輪の入った箱が触れた。


「だから…」


今こそ貴女に僕の揺るがない想いを。


「だから僕と…『結婚してください!』」


………え?
一瞬僕と昴琉は見つめ合ったまま固まった。
ゆっくり横を向くと、つけっ放しのテレビの中で男が花束片手にプロポーズしていた。
「あぁ!いいとこ見逃した!今日最終回だったのよね、このドラマ」と僕に押し倒されたままの格好で彼女は残念そうに呟いた。

―――――何、このタイミング。

ドッと押し寄せてきた疲労感に押し潰され、プロポーズの機会を失った僕は崩れ落ちるように昴琉の上に倒れ込む。
彼女は苦笑しながら僕の背中に手を回して、あやすようにぽんぽん叩いた。
そして一言。


「一瞬雲雀くんが言ったのかと思ってビックリしちゃった」


言うつもりだったんだよ…!
ただの天然なのか、気が付いていてそう言ったのかは分からないけど、僕の邪魔をしたテレビと鈍い彼女に段々腹が立ってきた。
今日一日の僕の苦労も知らないで。


「……咬み殺す」

「あぁ!壊しちゃダメ!」


上体を起こして仕込みトンファーをテレビに投げつけようとする僕を、昴琉が慌てて下から抱きついて止める。


「それなら貴女が代わりに咬み殺されてよ」


不機嫌さを隠す気にもならなくて、そのまま彼女を睨んだのに。
何故か昴琉は再び頬を赤くして視線を逸らした。何なの、その反応。


「あのね、あたしも雲雀くん欠乏症みたい。
 だからトンファーじゃなくて、こっちで咬み殺して…?」


そう言って昴琉は僕の首に腕を回し、躊躇いながら唇を重ねてきた。
予想外の彼女の行動に僕は一瞬呆けてしまった。
恥ずかしそうに触れた唇を離し「…ダメ?」と上目遣いで訊かれてしまっては、再び萎えた気持ちに火が点かないわけがない。
しかも昴琉が自分から誘ってくるなんて…。
愛しい人からの願ってもない誘惑に、自然と自分の口角が上がるのを感じた。


「それじゃ僕達はお互いが特効薬ってわけだ」

「……薬だって過剰摂取は身体に毒よ?」

「それなら大丈夫だよ。僕はまだまだ貴女が足りない。
 貴女だって自分から誘ってくるくらいだ。僕が欲しいんでしょ?」

「……ホント意地悪よね、雲雀くん」

「何を今更。さぁ薬の時間だよ、昴琉」

「ん…」


彼女の気持ちが変わらないうちに、優しく唇を重ねる。
プロポーズはまた別の機会に仕切り直すとして、今は僕を求めてくれる彼女を思う存分咬み殺そう。


―――――この時の僕は本当にどうかしていて。


繰り返される彼女との日常に埋もれてゆく、小さな変化を見落としていたんだ。



2008.10.10


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