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あたしは再び蓮の咲き乱れる池のほとりにいた。
ゆらゆらと揺れる水面を佇んで眺めていると、「また逢えましたね、昴琉」と声をかけられる。
振り返れば青と赤の瞳を持つ少年が立っていた。
「六道、骸くん…」
「骸で構いませんよ。
……道標を残したのにこんなに探すのに苦労するなんてね」
隣まで歩いてきた彼は「ちゃんと寝ていましたか?」と苦笑しながらあたしの顔を覗き込んだ。
ふるふると首を横に振れば、彼はまた困ったように笑った。
あれから数日、いつもと変わらない日常を過ごした。
少なくとも雲雀くんの前ではそう振舞うように心掛けた。
あの子は聡い。
生来の勘の良さも手伝って、ちょっとしたあたしの変化を見逃さない。
彼を相手に日常を演じるのは骨が折れたけど、何も言ってこないからきっとまだ気付かれてはいない。
そう…気持ちを隠して演じることには慣れている。
…ただ夢を見るのが、眠るのが怖かった。
骸くんに会うのも怖かったけれど、寝ている間に雲雀くんが居なくなってしまうような気がして。
夜中に不意に目が覚めて、彼の腕がいつもと変わらず自分を抱き締めてくれていることに安堵してまた眠る。
そしてまた不安に駆られて目が覚める。
そんな短時間の眠りと覚醒を繰り返していた。
きっと今長く眠ってしまったのは、身体が限界だったからだろう。
「随分嫌われたものですね」
「そういうわけじゃ…君のことは嫌いじゃないよ」
「雲雀恭弥について、『知る』ことが怖かったのですか?」
こくりと小さく頷くと骸くんは「そうですか」と呟いて池のほとりに腰を下ろした。
あたしも彼に倣って腰を下ろして膝を抱える。
骸くんは真っ直ぐあたしの目を見つめる。
「もう貴女は気付いているようですし、単刀直入に言いましょう。
僕は雲雀恭弥を元の世界に連れて帰る為に夢を渡ってこちらに来ました」
心臓が大きくドクンッと脈打つ。
あぁ、やっぱり。
膝を抱えた手に力が篭る。
あたしにとって残酷な宣告に、覚悟していたとはいえ、勝手に心拍数は上がっていく。
夢なのに、感覚がヤケにリアル。
小さく深呼吸をして、あたしは情けない笑顔を彼に返した。
「…そうだと、思ってた」
「すみません」
「君が謝ることじゃないわ。……大丈夫。全て、話して」
「いいのですか?昴琉。貴女にとっては辛い話になりますよ?」
「それでもいいの。聞くってもう決めたから。
それに君が苦労してまであたしの夢に入り込むからには、それなりの事情があるんでしょ?」
出来る限り毅然とした態度で骸くんの目をしっかり見つめる。
あたしの視線を受けた骸くんは、少し目を見開いた後「貴女は強い女性ですね」と微笑を浮かべて呟いた。
「分かりました。少し長い話になりますが構いませんか?」
しっかりとあたしが頷くのを確認すると、骸くんはゆっくり話し出した。
***
「えーっとつまり、雲雀くんがこちらの世界にやって来たのは『10年バズーカ』とかっていうのの故障だっていうこと?」
「えぇ、そうです。本来『10年バズーカ』は現在の自分と10年後の未来の自分が5分間だけ入れ替わるという代物なのですが…。
今回の故障は10年後の未来ではなく、こちらの世界へ道を繋いでしまったようです」
それが本当なら、まるでSF小説か漫画じゃない。
自分の理解を超えた突拍子もない話に頭が混乱する。
しかも中学生の彼らがボンゴレファミリーと呼ばれるマフィアで、挙句にボスを守る守護者だなんて。
なまじこちらの世界と共通点が多いだけに、素直に信じられない。
…いや、でも…雲雀くんの異常なまでの強さや、トンファーを持ち歩く理由がそこにあるのなら、納得がいかないこともない。
骸くんがあたしに嘘を吐くメリットもないし…。
「仮にそうだとして、あの雲雀くんがうっかり『10年バズーカ』に当たるかしら…」
「…それは、僕にも少し責任がありまして」
「え?」
「実はあの日、僕は情報収集の為に屋上で昼寝をしていた彼の夢に、少々お邪魔していたんです。
そのせいで彼の意識は深いところに沈んでいて。
丁度そこへボンゴレに追われた『10年バズーカ』の持ち主が現れ、自身に向けてそれを撃ったんですが…。
彼、撃った拍子に転びましてね。
その拍子にロケット弾の軌道が反れてこちらに飛んできて…まんまと雲雀恭弥に当たってしまったわけです。
僕はすぐに彼の夢から退散したので、こちらまでは来ませんでしたがね」
骸くんは少しバツが悪そうにしながらそう言った。
寝たまま飛ばされたから、雲雀くん自身どうしてこちらに来たのか知らなかったのね。
なんか…この事実を知ったら、彼猛烈に怒りそうなんですけど…。
それにしたって夢を渡るだの、タイムトラベルだの、違う世界に渡るだの、人智を超えた話にあたしの頭は混乱するばかりだ。
「信じられない、という顔ですね」
「正直、ピンと来ないわね」
「…それでは少し僕の記憶を見せましょうか」
骸くんは膝を抱えているあたしの手を取った。
その途端眼前に広がっていた蓮の池は消え、薄暗い室内に風景が変わる。
そこは室内にも拘らず、天井は薄紅色の桜で埋め尽くされていた。
その部屋の中心で骸くんと雲雀くんが戦っている。
戦っているというよりも、何故か身体の自由が利かないらしい雲雀くんを一方的に骸くんが傷め付けていた。
痛々しいその姿に思わず口を押えて息を呑むのと同時に、『ちょっとね、嫌なこと思い出すだけだよ』とお花見の時に言った彼の言葉を思い出す。
ここまで一方的では負けず嫌いな彼のトラウマになっても仕方ない。
雲雀くんが骸くんを夢から追い出したというのも頷ける。
そこから次々と走馬灯のように場面が入れ替わる。
たまにノイズのように他の場面も紛れ込むが、主に雲雀くんが出てくるものばかりだった。
それは風紀委員の仕事をしていたり、黄色い鳥と戯れていたり、喧嘩をしていたり様々で。
トンファーを振るい、微笑さえ浮かべて戦う雲雀くんの姿は雄雄しくもあり、少し怖くもあった。
あたしの知らない雲雀くんがそこにはいた。
いくつもそういった映像が繰り返され、最後は髪がもじゃもじゃな牛柄の服を着た子供が学校の屋上に駆け込んできた。
彼はバズーカを持ったまま派手に転び、その拍子に発射されたロケット弾が寝ている雲雀くんの所へ飛んでいった。
『ひいぃぃぃ!ヒバリさんに当たっちゃったぁ!』と後から駆け込んだきた男の子が頭を抱えて叫んだと思ったら、元の蓮の池の風景に戻っていた。
「な、何…今の…」
「僕の知る、あちらの世界での雲雀恭弥ですよ。あの後彼の姿が消え5分経っても戻って来ない。
後に『10年バズーカ』の故障だと判明し、修理したけれどもやはり彼は戻って来なかった。
恐らく違う世界に飛ばされてしまった為に、『10年バズーカ』の力も及ばなかったのでしょうね」
骸くんはクフフと笑いながらあたしの手を離した。
確かにあれは雲雀くんだと思うけれど、益々頭が混乱してきた。
「僕の目的を成し遂げる為には正直雲雀恭弥は邪魔なので、こちらの世界に居たままでも構わないんですがね。
…最後に叫んだ小さな彼、ボンゴレファミリー10代目沢田綱吉は彼を必要としています。
僕は彼に頼まれてこちらまで来たのです」
「えぇ?!あのひ弱そうな男の子がマフィアのボス?!!」
意外なボスの正体に思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
だ、だって、言っちゃ悪いけど雲雀くんの方が余程ボスっぽいし…。
益々話が胡散臭くなってきた。
あれこれ考えを巡らせるあたしに、骸くんは何度目かの苦笑を漏らした。
「こちらの世界の貴女にとってみれば信じ難い話でしょうが、全て事実です。
見たでしょう?トンファーを振るい、喜び勇んで戦う彼の姿を。
何者にもとらわれず、己が道をゆく孤高の浮雲。あれが彼本来の姿なのですよ」
「だ、だけど…」
「彼はより強い者と戦う事を求める生粋の戦闘マニアなんです。
ボンゴレの守護者であればそれは必然的に叶えられる。
守護者をしていればボンゴレを狙う敵が勝手に寄って来ますからね。
彼にとってこちらの世界は本来なら脆弱で安穏とし、つまらない世界だったはずです。
恐らく貴女と出逢わなければ、彼は僕の申し出をすんなり受け入れてあちらの世界に帰っていたでしょう」
「!!」
「クフフフ…まさかあの雲雀恭弥が恋をするとは、ね」
……あたしのせい?
別れが来ると分かっていたのに、彼の想いを受け入れてしまったから?
彼を好きになってしまったから?
ひとりにしないと、彼に約束させてしまったから?
―――――だから、雲雀くんは元の世界に帰れない。
あたし自身色々なものを捨てられずにいるのに、雲雀くんは自分の住んでいた世界すら捨ててあたしを選んでくれた。
あたしは縛られる事を嫌う彼を約束という鎖で繋いでいるんだ。
負の感情が、ギリギリと胸を締め付ける。
あたしを心配させまいとして口にしないだけで、本当は元の世界へ帰りたいと望んでいたら?
神社で雨に打たれて天を仰いだ、あの時の彼の気持ちはどうだった?
少なくとも懐かしんではいなかったか。
どう考えたって元の世界に戻る方が彼の為じゃないの?
あたしとの生活は今まで彼が積み重ねてきた人生をふいにする程価値のあるものなの?
―――あたしにそれを奪う権利なんて…。
いつの間にか吸い過ぎてしまった息を大きく吐き出し、隣に座っている骸くんに問う。
「……骸くんは、あたしにどうして欲しいの?」
「これを使って、雲雀恭弥をあちらの世界に帰す手助けをしてもらえませんか?」
彼はそう言うとあたしの方へ手を差し出す。
その手には鈍く光る銃が握られていた。
「これは?」
「ボンゴレファミリーとボヴィーノファミリーの協力の下、彼の為に作られた帰還用の銃です。
まぁ『10年バズーカ』の小型版だと思って下さい。
……貴女にはこれを使って雲雀恭弥を撃って頂きたい」
「!!」
「本当は僕がそちらに実体化するか、彼が自身を撃つのが確実ですが…。
事情があって力を制限されている今の僕ではこの銃を具現化するのが精一杯ですし、貴女の存在がある限り雲雀恭弥が自ら使うことは無いでしょう。
何度か彼を説得しようと夢に入り込んだんですが、ことごとく拒まれました。
まだ彼は僕と貴女の接触を知らない。
そうなれば、昴琉。貴女に託すしか方法が無いんですよ」
「…この手で、雲雀くんを送り帰せって言うの?」
「どれだけ酷なことをお願いしているか、分かっているつもりです。
彼を撃てば死にこそしないが、貴女達に訪れるのは死にも等しい永遠の別れ。
…ですから強要はしません。昴琉が選んでください」
銃と骸くんから視線を逸らし、抱えた膝にあたしは顔を埋める。
息をするのも苦しいくらいに、胸が、痛い。
もし彼が居なくなるのなら、それは唐突に彼が『消える』のだと思ってた。
自分自身で雲雀くんとの関係を断ち切るなんてこと、考えてなかった。
震えそうになる声を押さえつけて、胸の奥から言葉を搾り出す。
「………あたしには、選べない…っ」
「すぐに答えを出さなくても結構です。よく考えて。
ただあちらの世界で雲雀恭弥を必要とし、待っている人がいるということは忘れないで下さい。
……顔を上げて、昴琉」
あたしの正面に移動した骸くんにそっと両手で頭を包まれ、上向かされる。
そのまま近付く彼の唇を、あたしは慌てて指を押し当てて止めた。
ヒトが混乱してるのをいいことに自然な流れでキスとか…。油断大敵だわ。
それにさっき見た彼の記憶が本当ならば、骸くんは雲雀くんの敵だ。
同じボンゴレの守護者らしいけど、だからといって彼を信用していいのかどうか判断するには早計だ。
「おや?」
「そう簡単にキスされたんじゃ堪らないわよ」
「案外隙がない女性ですね。ではこちらに…」
骸くんは押し当てられた指を掴むと少し自分の方に引き寄せ、手の甲に口付けた。
し、しまった…!
慌てて手を引っ込めると、彼は悪戯っぽく笑った。
「貴女の心に強く僕が刻まれれば、それだけ見つけ易いのでね」
本当に道標が目的なのか、イマイチ見分けがつかない。
この子の言っていることは真実なの?敵?味方?
訝しんで見つめるあたしの視線を微笑で返し、骸くんはスッとその場に立ち上がった。
「貴女の決心がつくまで、この銃は僕が持っていましょう。彼に見つかっても厄介ですし。
…そろそろ限界か。昴琉、今日はこれでお別れです」
「う、うん。またね、骸くん」
「えぇ、また…」
彼が呟いた瞬間ぐらりと視界が揺れる。
次の瞬間にはひんやりとした水に全身が包まれていた。
知ってしまった真実が重石となって、あたしの身体は急速に深く暗い水の底に落ちていった。
―――――まるで出口のない思考の海に溺れるように。
2008.9.2
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