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39


幸せは長続きしないと言っていたのは誰だっただろう。
いつか、こんな日が来るって分かっていたのに。


あたしを背後から抱き締めて眠る彼の口から、夜の静寂を乱す苦しげな声が漏れている。
雲雀くんが魘されるようになったのはいつからだろう。
思えば出逢った翌日から魘されてはいなかったか。
今までも寝室が別々の時は気が付かなかっただけで、そうだったのかもしれない。

だからあたしのベッドに忍び込んでいた…?

嫌な夢を見て、不安になって…。
まぁ、あんまり雲雀くんと『不安』という感情が不釣合いでしっくりこないんだけど。
背後で彼が身動ぎして大きく息を吐いた。どうやら目を覚ましたらしい。
初めのうちはあたしも心配で一緒に起きていたんだけど。
あたしの睡眠を自分のせいで妨げていると逆に心配されてからは、目が覚めても寝た振りをしている。
勿論心配な気持ちに変わりはないんだけど、苦しんでいる彼に余計な負担はかけたくなかった。

雲雀くんはあたしの存在を確かめるように腕にそっと力を込めた。
首筋に彼の柔らかい唇が触れて、ビクッと身体が反応しそうになるのを堪える。
暫くするとまた眠りに落ちたらしく、規則正しい寝息が聞こえてきた。
ホッとしてあたしも再び訪れた睡魔に意識を委ねた。
―――暗く深い闇に落ちるように。


***


あー、またこの夢。
あたしは何度目かも忘れてしまうほど見た同じ光景に溜め息を漏らす。
初めに見た時こそ魘されて雲雀くんに心配かけてしまったけれど、今はもう慣れたもんで。
移動もせずに、ただ真っ暗な闇の中で立っている。
もうすぐ彼がここを通る。……ほらね、来た。
紅い腕章をつけた学ランを羽織って颯爽と歩く雲雀くんは、今夜もあたしに気付かず目の前を通り過ぎていく。
手を伸ばせば、やはり彼の身体をすり抜けた。
そしてほの暗い水の底に引き摺られるように落ちる。
いつもならここで目が覚めるのに、あたしの身体はどんどん落ちて。
『こっちですよ』と水の底から声がする。
…あたしを呼んでいる?
時折気泡が下から上へと昇っていく音に紛れて、その声は耳を擽っていく。
声に引き寄せられ落ちていったその先に、何か影が見え始め、近付くにつれてそれが拘束された人だと気付く。
その前まで辿り着くと、ピタリと落下が止まった。
雁字搦めに鎖で拘束され、右目には管が繋がれ、口も管の繋がったマスクで覆われていて殆ど顔が見えない。

……男の子?

雲雀くんと同じ位の年頃かな。
一体どうしてこんな所にこんな姿でいるのだろう。
水の中はとても暗くて、寒い。
あたしを呼んだのは君なの…?
眠っているのか目を閉じたままの彼の頬に何となく手を伸ばし、指先が触れたと思った瞬間光が弾けて目が眩む。


視力が戻った時には蓮の花が咲き乱れる池のほとりに座っていた。


「ここは…」

「夢の中ですよ」


全く見覚えの無い光景に戸惑っていると、背後から声をかけられた。
振り返ると黒いパンツに白いシャツを纏った背の高い少年が立っていた。


「クフフ。やっと逢えましたね、桜塚昴琉」

「えーっと、どちら様でしょう…」

「おや、冷たいですね。僕の声に聞き覚えはありませんか?」


座ったままにこやかに笑う彼を見上げ、首を捻る。
特徴のある笑い方に個性的な髪型とオッドアイ。
こんなに印象に残る少年と何処かで会っていたら憶えていそうなもんだけど…。
ひとつひとつ記憶を辿っていく。
…んん?まさか初めてあの夢を見た時に聞こえた声と、さっきあたしを呼んだ声の人?
その容姿は拘束された少年にも似ている。


「思い出して頂けたようですね」

「あたしを呼んだのは君なの?以前にも『やっと、見つけた』って…」

「えぇ、違う世界の夢を渡り歩いて貴女を探すのは骨が折れました」


夢を渡るなんて…それこそそんな夢みたいなこと出来るの?
オッドアイの少年はあたしの隣に腰を下ろすと、顔をこちらに向けてまじまじと見てきた。
まるで値踏みをするような視線にたじろぐ。


「クフフ…貴女が雲雀恭弥の想い人ですか」

「!!!」


思いも寄らない彼の言葉に、あたしの心臓は飛び跳ねて早鐘を打ち始めた。
雲雀くんを知っている…!
それに『違う世界』の夢って言った。
胸の奥に押し込めていた不安が首をもたげて、どんどん心を侵食していく。


「…君は雲雀くんを知っているの?…お友達?」

「そんな良い関係ではありませんよ。寧ろ僕は彼に嫌われていますから。
 さっきも彼の夢から追い出されてしまったところです」

「もしかして雲雀くんが魘されてる原因って…君?」

「確かに彼の夢にもお邪魔していますが…クフフ、彼でも魘されるんですね」


何故か愉しそうに彼はクフフと笑った。
この少年も雲雀くんに負けず劣らずサディスティックな性格の持ち主のようだ。
…この少年は雲雀くんをあちらの世界へ連れて行ってしまうのではないか。
そう思うとただでさえ早鐘のような鼓動が激しくなって、心臓が壊れてしまいそう。
雲雀くんのこと、目の前の少年のこと、あちらの世界のこと。
訊きたいことは沢山あるのに、頭の中がグチャグチャで何を訊いたらいいのか分からない。
絶対あたし今、すっごい情けない顔してる。


「そんなに怖がる必要はありませんよ。
 僕はただ、何ものにもとらわれないあの雲雀恭弥を虜にした貴女に逢ってみたかっただけですから。
 ―――それに、今日は少々力を使い過ぎたようです」

「大丈夫?顔色悪いわ。さっき暗い水の底で拘束されていたのは君だよね?
 誰かすぐに来てくれる?あたしに出来ることある?」


額に手を当てて少し顔を歪めた彼を覗き込むと、彼は驚いたように目を見開いた。
その後何かに納得したように頷いて、突然笑い出す。


「クハハハ!貴女の方が余程倒れそうな顔をしていますよ。
 面白い人ですね、昴琉。何故彼が貴女に惹かれたのか、分かった気がします」


そりゃ夢とはいえ、いきなり雲雀くんの知り合いが現れて気が動転してるけどさ。
そんなに笑われるほど突拍子も無い発言はしてないわよね?
具合が悪い人を気にかけるのは普通だと思うんだけどな。
口元に手を当てて笑う彼に困惑していると、突然顎を掬われた。
次の瞬間目の前に彼の顔があって、唇に何か柔らかいモノが押し当てられた。
一瞬何をされたか分からなかったが、我に返って彼から慌てて離れ手の甲で口を拭う。
き、キスされた…!


「な゛!何?何なの?!」

「無防備だったので、つい」

「そんな理由で…っ?」

「クフフ、勿論冗談ですが。
 違う世界の貴女を見つけるのは苦労するんですよ。ですから道標代わりです」


そんな爽やかな笑顔向けても絆されないわよ…!
そっちの世界の青少年達の間じゃ大人をからかうのが流行ってるの?!
抗議しようと口を開いた時、辺りの景色がぐらりと揺れて大きく歪む。


「そろそろ限界ですね。それでは昴琉、Arrivederci」

「ぇ!ちょっと待って!まだ君の名前も聞いてない…!」


どんどん歪みが酷くなってあたしはまたいつものように暗く冷たい水の中に落ちた。
遠退く意識の中で『…くろ…六道、骸です』と彼の声が聞こえた気がした。


***


ハッとして目が覚めると、カーテンの隙間から夏の朝陽が零れていた。
いつもの起床時間より1時間早い。
珍しく雲雀くんの眠りは深いらしく、あたしが上体を起こしても身動ぎしただけで目を覚まさなかった。
昨夜も魘されてたもんね。
彼を起こさないようにそーっとベッドを脱け出して、キッチンに向かい冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してグラスに注ぐ。
それを一気に飲み干して、手の甲で口を拭おうとして思い出す。

夢の中の出来事とはいえ、まだ唇に感触が残っている気がしてゴシゴシ拭う。

六道、骸くんか…。
たとえ夢でも雲雀くん以外の人に容易く唇を許してしまった事に罪の意識が湧く。
散々無防備だって雲雀くんに怒られてるのに…。
キスされたなんて絶対言えない。

―――――それに彼は雲雀くんを知っていると言った。

雲雀くんの夢を覗いているなら、あたしの名前を知っていてもおかしくはない。
でもどうしてあたしに接触する必要があったのかが分からない。
第一何も訊けなかったし。

……きっと、雲雀くんを連れ戻しに来たんだ。

自分の考えにゾッとして、全身が粟立つ。
いつかこんな日が来るって分かっていたのに。
覚悟していたつもりだったのに。
手が震え出し、脚にもそれは伝染して、あたしは冷蔵庫の前にへたり込む。



―――――雲雀くんと離れ離れになるなんて、嫌だ…っ



それが正直な気持ちだった。
いつかあたしの前から消えてしまう彼に、自分の出来る精一杯のことをしようと心に決めていたのに。
あちらに帰れるのなら、彼が帰りたいと望むなら、協力しようと思っていたのに。
自分の決心の何と脆いことか。
いざ彼があちらに帰れるかもしれない可能性がちらついただけで、こんなに動揺している。
いつの間にか全身に回った震えを押さえつけるように、自分自身を抱き締める。

お願いだから、止まって。
あたしがいないことに気が付いて、彼が起きてきてしまう前に。
こんな姿、雲雀くんに見せられない…っ

…大丈夫、大丈夫。
まだ彼が居なくなると決まったわけじゃない。
雲雀くんはあたしをひとりにしないと誓ってくれた。
彼は嘘は言わない。
何度も何度も自分にそう言い聞かせて、ぎこちない深呼吸を繰り返す。

何とか落ち着いて立ち上がろうとした時、起き抜けのせいかムスッとした雲雀くんがやってきた。


「勝手にベッド脱け出さないでよね。…昴琉?どうしたの。顔蒼い」


彼は片膝を付いてしゃがみ、あたしの頬に手を添え心配そうに覗き込んできた。
このまま抱きついて泣いて縋るのは簡単だけど、彼を困らせることはしたくなかった。
どうにか笑顔を作って、あたしは彼に嘘を吐いた。


「ん、ちょっと貧血。大分落ち着いたから、大丈夫」

「……仕事休んだら?」

「大丈夫よ。もう立てるから」


立ち上がって「ね?」と笑って、何でもないとアピールする。
少し怪訝そうにしながら雲雀くんも立ち上がった。
そして小さく溜め息を吐く。


「なら、いいけど。朝食は僕が作るから貴女は休んでなよ」

「平気だって。朝食くらい…」

「昴琉、咬み殺されたいの?」


反論を許さない口調があたしの身を竦ませる。
うぅ、あの顔は怒ってる。
小さな声で「じゃぁ、お願いします」と呟き、すごすごその場を退散しようとするあたしを見て、彼はまたひとつ溜め息を吐いた。


「挨拶、忘れてるよ」

「あ、そだね。おはよ、雲雀くん」

「おはよう、昴琉」


いつものように近付く彼の唇に、夢の光景がフラッシュバックして。
触れ合う瞬間、思わず顔を逸らしてしまった。
彼の唇はそのまま頬に触れて、離れる。
雲雀くんは一瞬眉を顰めたけど、今度は額にキスを落として朝食を作る準備を始めた。

どうか、調子が悪いからだと思ってくれますように。

ゆっくり洗面所に向かい、徐に顔を洗う。
あの少年が別れ際に言った言葉はどういう意味なのか分からないけど、キスを「道標代わり」と言った。
ということは近いうちに彼は、六道骸くんはまた現れる。
隠し事はしたくないが、雲雀くんにこれ以上不審に思われないようにしなきゃ。
タオルで雫を拭き取り、パンパンと両頬を叩き、真正面から鏡の中の自分を見据える。
それからにっこり笑顔を作ってみる。



……よし、大丈夫。あたしはまだ笑っていられる。



もう一度頬を叩き気合を入れて、ゆっくりドアを開け、あたしは雲雀くんの待つキッチンへ向かった。



2008.8.19


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