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01


あたしはごく普通のOL。

朝8時にマンションを出て、片道30分のオフィスビルに向かう。
主な仕事は、伝票入力にコピー取り、そしてお茶酌み。
たまに外でランチを食べて、また午後は定時まで同じ仕事。
残業があればさっさと片付けて家路に着く。

職場の人間関係は悪くない。
寧ろ友達の話を聞いていると、うちの会社は良い方みたい。
俗にいうイビリもないし、みんな優しいし。

不満はない。


ただ、不安はある。


毎日毎日同じことを繰り返すだけ。

そう、同じことを繰り返して行くはずだったのに、今日という日にガラッとあたしの生活が変わるなんて…!


***


『別れて欲しいんだ』

「…ぇ?今、なん、て…?」

『だから、別れて欲しいんだよ』

「ちょ、ちょっと待ってよ…!あたし達3年も付き合ってきたのに!
 しかも今日バレンタイ『他に好きな女が出来たから。今までありがとう。じゃぁな』」


プツ!ツー、ツー、ツー、ツー、ツー……

非情な言葉に続き、通話終了を告げる電子音が耳に響く。
あたしは携帯を耳に当てたままロッカー室に呆然と立ち尽くした。

あー、ちょっと訳分かんない。
仕事終わって、着替えも終わって。
さぁこれから彼氏とデートだわ、なんて浮かれて同僚と笑顔で話してたところに電話がかかってきて……
え?今あたし3年も付き合ってた男に振られた…?
しかも今日バレンタインデーだよね?
昨日まで今日のディナーは何処にしようかと二人で計画してたのは何だったの…?!
直接逢って言われるなら兎も角、電話で別れ話済まされた……っ

未だ携帯を耳に当てたまま固まっているあたしの顔を、隣で着替えていた同僚の遥が怪訝そうに覗き込んできた。


「ど、どうしたの…?昴琉?」

「ふ…ふ、ふ、ふ…」

「ふ…?」

「振られ、たぁ……!!!ぅ、うぅぅ…っ」

「はぁ?!え、あ、ちょっと!泣かないで!ね?」


オロオロする遥の顔が涙で滲んで、視界がぐにゃぐにゃになる。
この日あたしは今までの人生で、一番惨めな振られ方をした。

あたしの3年間を返せぇぇぇぇぇ!!!!!


***


フラフラと右に左に揺れながら、所々街灯に照らされた暗い夜道を歩く。
あの後遥が飲みに誘ってくれて、不幸のドン底に落っこちたあたしを一生懸命励ましてくれた。
元々あまりお酒に強くないんだけど、あたしは勢いに任せて自分の許容量をかなりオーバーして飲んでいた。
千鳥足のあたしを心配して優しい遥はマンションまで送ると言ってくれたけど、そこまでしてもらうのは流石に気が引けた。
いざとなったらタクシーで帰るからと、ここまで帰って来たのだけれど。


バレンタインデーというクリスマスに次ぐ恋人達のイベントの日に彼氏に振られ、自棄酒呷って酔っ払い、住宅街をフラフラ歩く自分が急に酷く情けなく思えてきた。


左手にはついさっきまで彼氏だった人にあげるつもりで会社に持っていったチョコレート。
手作りではないけれど有名な高級ブランドのトリュフ詰め合わせ。
本命やら義理やら自分用チョコを求める人混みと格闘して買ってきたけど、無駄になっちゃったなぁ。


世の中思うようにはいかないもんだね、本当。


悲しくて切なくて仕方がないけれど、涙を堪えながら千鳥足で自宅マンションの玄関前まで何とか自力で辿り着いた。
ガサゴソとショルダーバックを漁って鍵を取り出す。

この扉を開けたら今日一日の辛い事全部無かったことにならないかな。
そうだ、犬か猫でも飼おうか。
前から飼いたかったけどアイツが嫌がって飼えなかったし、女の一人暮らしの淋しさも潤うかも。
例えペットでも誰かに迎えられるのって嬉しいだろうなぁ。
なんて考えながら、あたしはドアを手前に引いて中に入った。
否、入ろうとした。


………何この黒い物体。


ドアを開けたまま固まっていたあたしは、そのままゆっくりドアを閉める。
隣の家と間違ったかと思って表札を見たが、そこにはしっかり自分の名字が書いてある。
酔って幻覚でも見たかしら…?

うん、そうだ。そうに違いない。

もう一度音を立てないようにゆっくりドアを開けた。
そこには奥の部屋とあたしの間を遮るように、やっぱり見慣れない黒い物体が横たわっていた。
普通だったら怖いんだろうけど、相当酔っていたあたしは恐怖心まで麻痺していたようだ。
薄暗い部屋に目が慣れると、黒い物体の輪郭がハッキリしてきてその正体が分かった。


黒い学生服、所謂学ランと呼ばれるものを着た黒髪の少年だった。


全身真っ黒な彼は廊下の壁に背を預けて両の腕を組み、片膝を立てた格好でスヤスヤ眠っている。
これまた音を立てないように注意してドアを閉め、荷物をそっと下ろす。
そして大胆にもあたしは四つん這いになって彼に近付いてみた。
顔を覗き込んでみるが、知らない人だった。
生憎親戚にもこの年頃の従兄弟はいない。

……それにしても綺麗な顔。

見惚れていたその時、寝ていた彼の目が不意に見開かれた。
無意識に結構近寄っていたあたしの心臓は、至近距離で視線がぶつかったことに驚き飛び跳ねる。
少年は軽くあたしを睨むと誰何の声を発した。


「…誰」

「へ?」

「ここ何処」

「あたしんちだけど…」

「何で僕ここにいるの」

「それこっちの台詞なんですけど…」


きょろきょろと辺りを見回した彼はスクッと立ち上がると「邪魔したね」と呟いて外へ出て行ってしまった。
あたしは気が抜けて廊下にぺたんと座り込んだ。
い、一体何だったの…?
やっぱ今日は飲み過ぎたんだわ、うん。
きっと彼に振られたショックで幻覚見たんだ。
あれは幻だ。
勝手にそう納得してひとりでうんうん頷いていたが、再びガチャッとドアが開いて先程の少年が入ってきた。


「ねぇ、並盛町に行きたいんだけど、ここからどう行けば……何で泣いてるの」


え、あたし泣いてる…?
言われてる意味が分からなくて一瞬きょとんとしてしまったけれど、頬を触ってみると確かに濡れている。
ポタポタと太股に雫が落ち、見る見るスカートに水玉模様を作っていく。
いけない。家に帰ってきて気が緩んだ。
ゴシゴシと服の袖で涙を拭いて、怪訝そうにあたしを見下ろす少年の問いかけに答える。


「ははは、何でもない!ゴミ入ったみたい。
 えっと、並盛町だっけ?うーん、ちょっと分からないなぁ…。
 あ!ネットで調べてみるよ。そこじゃ寒いでしょ?中入って」

「…そう。じゃぁ、邪魔するよ」


あたしは警戒することもなく部屋に少年を招き入れた。
何度も言うようだけど、やっぱりあたしは精神的に相当ヤられてたんだね。
そうじゃなきゃ知らない人を家に上げるなんて、普通しない。
もうひとつ要因があるとすれば……少年がカッコよかったことかも。
振られたばかりで現金かもしれないが、如何せんルックスの良い男に弱いのは女の性だから。

リビングにあるソファに少年が腰掛けるのを横目で見ながら、あたしはパソコンの電源を入れた。
まだ酔いが醒めず視線が定まらない状態で字を読むのは辛いが、それでも迷子の少年を放っておけない使命感からネットで彼の言っていた町を探す。

探すが―――出てこない。


「うーん、少年!本当に町の名前合ってる?全然見つからない…」

「…自分で調べる」


そう言うと彼はソファから立ち上がって、あたしの方に移動してきた。
あたしは横にずれてパソコンを彼に譲る。
地図を調べ出した彼の表情が徐々に険しくなっていった。
15分位経った頃、彼は上を向いてはぁと溜め息を吐いた。


「見つかった?」

「いや、見当たらない。携帯も圏外だからおかしいと思ったけど…」

「えぇ?!あたしの携帯使えるのに。どうやってここに来たか覚えてないの?
 第一なんで鍵が掛かってたのにうちの中で寝てたのよ」

「僕が知りたいよ。確かに学校の屋上で寝ていたはずなのに」

「うーん…何か身元が分かる物とか、手がかりになりそうな物持ってないの?」


少年が上着やズボンのポケットに手を突っ込んで、持ち物をテーブルに並べていく。
ハンカチ、お財布、生徒手帳、トンファーetc…

は?!トンファー?!

なんて物騒なモノを持ってるのこの子……!
こんな綺麗な顔して実は不良なの?!
訊くのもちょっと怖くて敢えてそれに触れず、あたしは生徒手帳を見せてもらう。
並盛中学校とちゃんと書いてあって、住所や電話番号、校歌、校則なんかも記載されている。
偽物には見えない立派な作りだった。
一体どういうことだろう。
同じ言葉は通じるし、生徒手帳も日本語だから外国人じゃなさそうだし…。
酩酊した頭で考えるには内容が難し過ぎる…。
何よりさっきから眠くて仕方がない。

色々あり過ぎて今日は疲れた。


「あのさ、少年。あたしもう起きてるの限界。
 今晩泊めてあげるから、並盛町だっけ?明日また探そうよ…。
 お腹空いてたら適当にある物食べて、いい、から…」

「少年って呼ぶの止めてよ。雲雀恭弥って名前があるんだから。
 貴女さっき僕の生徒手帳見たでしょ?」

「…ん、そうだね…ひば、り、くん……」

「ちょっと、僕を放っておいて寝ないでよ…」


溜め息混じりに呟いた少年、もとい雲雀くんの声が遠くで聞こえるけど、あたしはそのままテーブルに突っ伏して深い眠りに落ちてしまった。


アイツに振られたことも、隣にいる少年のことも。


寝て起きたら全部夢で、今日起こったこと全部無かったことにならないだろうか、なんて淡い期待をしながら。



2008.2.14


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