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32


誤算だった。
悪い虫がつかないように従兄弟の振りをして彼女の旅行について来たのはいいけど、親戚である以上草食動物達の前では昴琉に必要以上に触れられない。
……まぁ、さっきは我慢出来なくて連れ出したけど。
取り敢えず傍に僕がいれば遠慮の気持ちが働いて、彼女に寄ってくる草食動物は減ると思ったのに…。

牧場から今晩泊まるホテルに着いてやっと群れずにゆっくり出来ると思えば、昴琉は引っ切り無しに誰かに声をかけられ、その度に愛想良く笑って答えていた。
部屋に辿り着くまでに何回足を止めたか分からない。
彼女がお人好しのせいか、僕が思っていた以上に会社の人間に好かれているらしい。
声をかけてくるのが女の人ならまだいいよ。
でもそれと同じくらい彼女は男からも声をかけられていた。会社の上司とか、同僚とか、後輩とか、ね。
どいつもこいつも僕の昴琉に馴れ馴れしくて腹立たしい。
全員咬み殺してしまいたいけど、彼女が職を失うのは可哀想だからね。
この僕に我慢させるなんて、本当に貴女の影響力は恐ろしい。
でも、どうしても顔には出るみたいだ。ムスッとしてる僕を見て、貴女は困ったように笑った。


「そんな顔しないでよ、ひば…じゃない、恭弥」

「…貴女は普通に僕の名前呼べないの?」

「だ、だって、呼び慣れないんだもの」

「不愉快だよ」

「ぜ、善処します…」


また彼女は困ったように笑って、「とっとと荷物部屋に置いて、夕食食べに行こう?」と僕を誘った。
……八つ当たりだなんてこと、自分でも分かってるよ。

大広間に向かうと楠木遥が居て、僕達を見つけると手招きした。
幹事補佐の仕事で先に来ていた彼女は、ついでに場所を確保しておいてくれたらしい。
…あの目障りな男は別の席だ。
僕は昴琉と楠木遥に挟まれて座る。
こんな群れの中で食事をするのはいい気分じゃないけど、彼女が僕を名前で呼んでくれる以上は、約束守って従兄弟の振りしてあげないとね。

昴琉の会社は随分景気がいいようで、配膳されている食事の内容が豪華だ。
たらば蟹から雲丹、鮑まである。
鮑はまだ生で、どうやらその場で焼くらしい。『踊り食い』ってヤツだね。ちょっと楽しみだな。
食事くらいゆっくりしたい。
きっと彼女もそうだろうと思っていたのに、乾杯の後も「ごめんね」と申し訳なさそうに言って昴琉は僕を置いてお酌をしに行ってしまった。
仲居が端から順々に固形燃料に火を入れて行くのを横目で見ながら、僕は貴女の後姿を目で追う。
そんなおじさんに笑顔でお酌なんて、しないでよ。
…あぁ、またお酒飲んでる。
勧められて断れない彼女は、日本酒をお猪口でくいっと呷っていた。強くないくせに。
……見ていられない。だけど気になって見ずにはいられない。
その時僕の横で昴琉とは正反対に食べることに専念している楠木遥が不意にクスリと笑った。


「何?」

「恭弥くん、昴琉のこと大好きだねぇ」

「……」

「あの子が席立ってから、ずっと目が追いかけてるよ」

「そんなことない」


いや、見てたけど。
仲居が火を入れていった鮑に視線を落とす。
自分の身を焦がす熱から逃れようと、鮑は必死にその身体を動かしていた。

今の僕はこの鮑と一緒かもしれない。

嫉妬の炎が僕自身を焦がしているみたいな気がしてきた。
嫉妬?僕が?……らしくないな、本当に。
並盛にいた頃はこんなこと無かったのに。昴琉と出逢ってから調子を崩されてばかりだ。
楠木遥は僕から視線を昴琉に移すと、ちびちびビールを飲みながら話し出した。


「あの子人当たりいいから、結構会社では人気あるのよね〜。
 君がこの旅行に参加出来たのだって、昴琉の人柄のお陰なんだよ?」

「どういうこと?」

「役職についてるわけでもないアタシらが、家族連れて社員旅行参加するのって普通有り得ないのよ。
 社則で認められていてうちがフランクな会社だとしても、会社側が全額旅行費負担してくれるわけだしさ。
 中には若いのに生意気だなんていう人だっているんだよね。
 でもあの子は仕事もちゃんとこなすし何より好かれてるから、従兄弟の君を連れて来ても皆は歓迎してくれるのよ」

「確かに彼女はバカじゃないかと思うくらいお人好しで頑張り屋だね」
 
「そうねぇ。でも、アタシはあの子のそういうとこ好き。
 ああやってお酌して回ってるのも、結局恭弥くんの同行を認めてくれたお礼みたいなもんなんだよね。
 だからさ、そんな怖い顔しなくてもいいと思うよ?
 君が楽しめてないんじゃないかって、昴琉心配すると思うな」

「…分かってるよ」


昴琉は、優しい。
それが僕にだけ向けられたものなら、こんな気持ちにならなくて済むのに。
誰に対しても彼女は優しい。だから常に彼女の周りには人が集まる。
ほら、また群れてる。
再び彼女に視線を戻せば、屈託なく笑う貴女がそこにいた。
目障りなあの主任という男と話している。全く、さっき注意したばかりなのに。
早く僕のところに戻っておいでよ。

鮑に火が通って食べ頃になった時、彼女はやっとお酌を終えて戻ってきた。


「おっかえり〜!お酌お疲れ〜」

「ただいま!遥ったらもう酔ってるの?…あれ?ひ…恭弥、ご飯食べてないの?
 もしかして戻ってくるの待っててくれた?」

「そんなんじゃ…鮑見てただけ」

「そっか。鮑の踊り食いなんて普段出来ないもんね。さ、温かいうちに食べよ、食べよ!」


彼女はにっこり微笑んだ。
……貴女のその笑顔は、反則だと思う。
あんなにイライラモヤモヤしていた気持ちを一瞬で吹き飛ばしてしまうのだから。
貴女が傍にいるだけで、こんなにも僕の心は凪いだ海のように穏やかになる。
―――やっぱり僕は貴女を手放せそうにない。
美味しそうに鮑を口に運ぶ昴琉に頬が緩むのを感じながら、僕はそう思い知らされていた。


***


まだ飲み足りない連中だけ残って、宴会は一旦お開きになった。
部屋は僕と昴琉と楠木遥が同室だった。
昴琉と二人きりじゃないのは残念だけど、楠木遥は彼女の親友だから仕方ない。
まして僕は急な参加だ。部屋も取れなかったのかもしれない。

今二人は大浴場に行っている。
僕は彼女達を待っている間に見ていたホテルの案内で、貸し切り風呂を見つけたからさっき予約しておいた。
風呂まで群れたくないからね。

窓際のソファに座って外を眺めていると、ドアの開く音がした。やっと長い風呂から帰ってきたらしい。
しかし戻ってきたのは楠木遥ひとりだった。


「…昴琉は?」

「あー…、まぁ修学旅行とか社員旅行に有りがちなイベントというか。
 すぐ帰ってくると思うから、心配いらないよ」


言葉を濁して苦笑いする彼女の反応が不自然で、酷く不愉快だ。
修学旅行に有りがち…地元の草食動物と喧嘩とか?
いや昴琉がそんなことするわけないし、第一ここはホテルだ。
僕はハッキリしない楠木遥を無意識に睨んでいたらしい。
彼女は空中に視線を彷徨わすと、頬を人差し指でかきながらポツリと言った。


「だから、さ。こういう時って雰囲気で告白気分が高まるじゃない?」

「…!」

「あ、昴琉は告白される方ね」

「…彼女は何処にいるの」


聞き捨てならない。僕の昴琉に手を出そうとする輩がいるなんて。
恐らくあの男だ。咬み殺す…!
彼女を探しに行こうと、僕はソファから立ち上がってドアの方へ向かう。
僕の気迫にたじろぎながらも、楠木遥は「ちょっと待って」と僕を引き止めた。


「…ねぇ、少しアタシとお話しない?」

「そんな暇はないよ。貴女は昴琉が何処にいるか言えばいい」

「恭弥くん、本当は昴琉の従兄弟じゃないんでしょ?」


彼女の突然の言葉に思わず身体がピクッと反応してしまった。
楠木遥は「やっぱりね」と笑って、窓際のソファに座ると僕に向かい側のソファに座るようにと指差した。
その真剣な眼差しに仕方なく彼女の前に腰を下ろした。
昴琉のことが気になるが、このまま楠木遥を放っておける雰囲気でもない。
僕が座るのを確認すると、ほんの少し躊躇うように話し出した。


「あの子の過去、知りたくない?」

「過去…?」

「うん。ちょっと苦労しててさ。小さい頃に両親亡くしてるんだよね。
 母親が病気で亡くなった後、父親も後を追うように身体壊してそのまま…。
 ひとりっ子で小さかった昴琉は当然親戚に預けられたんだけど、厄介者扱いで親戚中たらい回しにされたんだって。
 あの子は言わないけど、結構酷い目に遭ってたんだと思う」

「……それで?」

「結局昴琉は自分から施設に入ることを望んだの。
 自分のせいで親戚が喧嘩したりするの見たくなかったんだろうね。
 その頃からあの子は優しかった。
 それから何年かして、そんな彼女を養女にしたいって老夫婦が現れてその人達に貰われたの。
 今のあの子の名字はその老夫婦の名字なんだ。とっても優しい老夫婦で昴琉を大事にしてくれてた。
 勿論あの子も引き取ってくれた老夫婦に感謝してたし、大好きだって言ってた。
 けど、5年前の秋にお爺さん亡くなっちゃってね。一昨年お婆さんも。
 あの子は既に人生の中で二回家族を失ってる」

「………」

「悲しい経験があの子の根底にはあって、それでも捻くれずに優しいままでいられたのは昴琉が強いからだと思う。
 酸いも甘いも知っているあの子の行動は、ただ自分がして貰って嬉しかったことを他の人に返しているだけ。
 でもやっぱり普通の女の子なんだよね。アタシにはひとりになることを心のどこかで恐れているように見えるんだ。
 ここからはアタシの勝手なお願いだし、アタシが出来ることならこんなこと君に頼まないんだけど…。
 恭弥くん、昴琉の傍にいてあげて。あの子をひとりぼっちにしないで。
 ……もし君まで失ってしまったら、あの子は…壊れてしまうかもしれない」


楠木遥は真っ直ぐに僕の目を見て言った。
いつも緩い印象の彼女が、真剣に僕に頼んでいる。
目の前の彼女は僕よりも昴琉との付き合いは長い。そして僕以外で一番昴琉に近いところにいる。
だからこそ僕と昴琉の関係に気付き、僕が彼女を傷つけるんじゃないかと心配して、釘を刺すようなマネをしてきたというところか。
彼女もまた、昴琉を好いているということなんだろう。
思わず口角が上がる。


「彼女にどんな過去があろうと、そんなの関係ないよ。
 言われなくても、僕は昴琉から離れるつもりはないしね」

「…そっか。ありがとう。
 あの子ね君と暮らすようになってから、益々笑顔が明るくなってさ。
 何ていうか幸せ滲み出ちゃって、こっちが恥ずかしくなるくらいよ」


僕の答えを聞くと彼女は安心したようにクスクス笑った。
本当に昴琉は皆に好かれているんだね。
そんな貴女に好かれている僕は、幸せ者なんだろうか。


「まぁ、この話はアタシと恭弥くんの秘密ね!
 で、二人は付き合ってるんでしょ?しかも一緒に暮らしてるなんて、ラブラブよねぇ〜。
 ……二人の仲はどこまで進んでるのよ。第一何処で出逢ったの?ちょっとお姉さんに言ってごらん?」

「……下品だよ、楠木遥」


さっきまでの雰囲気は何処へやら。一瞬でいつもの緩い楠木遥に戻ってしまった。
それにしても昴琉が戻ってこない。
すぐに帰ってくると言っていたけど、やっぱり迎えに行こうか…。
暫く逡巡していると部屋のドアが開き、胸にジュースを抱えた昴琉が戻ってきた。


「ただいま〜。ひば…恭弥、いい子にしてた?はい!お留守番のご褒美」

「……子供扱いしないでよ」

「ごめんごめん」


そう言って昴琉は僕の頭を撫でた。だからそれが子供扱いなんだってば。
貴女が触れてくれるのは悪い気しないから、我慢するけど。
名前、ちゃんと言えてないし…。
何事も無かったように微笑む貴女に、思わず溜め息が漏れる。
お風呂上りの貴女はとても色っぽくて、目のやり場に困る。

そんな格好で誰と話してきたの?なんて訊けない。

楠木遥との約束もあるし、第一そんなことを訊くのは僕が貴女を信じていないような気がするから。
今日は気を揉み過ぎて疲れたな…。
僕は予め昴琉が準備してくれた風呂セットが入った袋を持った。


「ジュース飲まないの?」

「帰って来てから飲むよ。楠木遥、昴琉頼むね」

「任せといて〜」


怪訝そうな表情の昴琉を背にして、僕はちょっとだけ憂鬱な気分で貸し切り風呂に向かった。
彼女の生い立ちを知ったからといって、独占欲や嫉妬が消えるわけじゃない。
頭冷やさないと、また八つ当たりしてしまいそうで怖かった。

部屋に戻ると既に布団が三組敷いてあった。
ドア側に楠木遥が寝転がって陣取り、真ん中に昴琉が腰を下ろしてテレビを観ていた。
必然的に僕は奥か。
昴琉が冷蔵庫に入れておいてくれたジュースを飲み終わると、23時を回っていた。


「ふぁ〜、明日も早いしそろそろ寝よっか」

「そうだね〜、二人ともおやすみ〜」

「「おやすみ」」


楠木遥が灯りを消す。三人とも素直に布団に入った。
暫くするとスースーとドア側から寝息が聞こえてきた。
……寝付きいいな楠木遥…。
僕の眠りは浅いから、きっと今夜は眠れない。昴琉を抱いて眠れないしね。
何故か彼女だけは傍にいても眠れる。
寧ろ普段より深く眠れるから、寝起きもスッキリしていて気持ちがいい。
目の前に貴女がいるのに、別々の布団で寝るのはしっくり来ない。
天井を見つめて溜め息を吐きかけた時、布団の中の手をそっと握られた。
驚いて横を見ると、薄闇の中で昴琉がにっこり笑って僕を見ていた。
彼女は声を出さずに口だけを動かした。


(これで眠れる?)


多分、そう言ったんだと思う。
彼女の意外な行動に驚きながらも頷けば、昴琉はもう一度にっこり笑って再び目を閉じた。
頭を撫でてくれることはあるが、彼女から僕に触れることは少ない。
そんな彼女が自ら手を繋いでくれた。

布団の中でこっそり繋いだ手から貴女の温もりが僕に伝わる。

嬉しいことをしてくれる。
ねぇ、貴女も今僕と同じ気持ちなのかな。
いつも怒るけど本当は昴琉も僕に抱き締められて寝たいんだって思っていい?

仕方ないから今夜はこれで我慢してあげる。
繋いだ手にほんの少しだけ力を入れて、貴女の感触を確かめた。
おやすみ、僕の昴琉……。


………結局、楠木遥の寝返りが激しくて眠れなかったんだけどね。



2008.7.18


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