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31


風邪で休んでしまった分も重なって、仕事が溜まってしまっていた。
急ぎの仕事は遥が手伝ってくれたけど、あたしじゃないと分からない仕事もあって、結局業務時間内に終わらなかった。
残業すると雲雀くん心配するし、切りのいいところで仕事を終えて後は持ち帰ってきた。
夕食も済んで寛ぎたいところなんだけど、早速仕事に取り掛かる。
仕事といってもそんな大そうな物じゃなく、実は社員旅行のしおりの原稿のチェックだったりする。
パソコンにデータを移してチェックしていると、雲雀くんが後ろから覗き込んできた。


「珍しいね、仕事?」

「うん、大した仕事じゃないんだけど、明日には提出しなくちゃいけなくて」

「ふぅん…昴琉旅行行くの?」

「う、うん。社員旅行なんだ。うちの会社よっぽどの事がない限り強制参加だから」

「そう…どうしても行かないといけないの?」


画面を見てそれが社員旅行の日程だと気が付いた彼は、後ろから覆い被さるように抱き付いてきて、ちょっと拗ねたように耳元で呟いた。
鼓膜に響く彼の声にドキッとしながら、普段はあまりしない甘えた仕草を不思議に思う。
おやおや?もしかして、置いて行かれるのが嫌だとか…?
そういえば、雲雀くんと一緒に暮らし始めてから、顔を合わさなかった日は1日もない。
近頃は家族だって顔を合わさない日なんていくらでもあるのに、考えてみれば凄いことだよね。
うーん、雲雀くん群れるの嫌いだって言うし、どうしようか迷ってたんだけど、一応訊いてみますか…。


「実はうちの会社ね、勤続3年以上の社員の家族も一緒に行けるんだよね。
 あたし3年以上勤めてるから、お願いすれば従兄弟でも連れて行けると思うんだ。
 それに、主任も雲雀くんも是非一緒においでって言ってくれててさ」

「……へぇ。あの草食動物がかい?」


楽しそうな声色だけど、雲雀くんの声が一瞬鋭さを増した。
こういう時の彼の声や表情ってドキッとする。
獲物を見つけた猛禽類に似てるっていうか、そういう食物連鎖で上の方にいる存在を想像させる。


「草食動物って…ま、まぁいいけど…。どうする?一緒に行く?」

「勿論行くよ。僕がいないと貴女が淋しいだろうからね」

「はいはい」

「それで?目的地は何処」

「北海道!」


喉の奥で笑いながら彼は「……楽しい旅になりそうだ」と呟いた。
雲雀くんがそういう風に言うと何か怖いんだけど…。
その言葉に込められた意味を、この時のあたしは知らなかった。


***


無事雲雀くんも社員旅行参加の許可が下りて、旅行当日がやってきた。
社員旅行といっても、普通の団体旅行と変わらない。家族も来られるくらいだからね。
勿論ひとりで参加の人だっている。遥や主任なんかはそう。
集合場所で遥はあたしを見つけると手を振りながら「おーい!」と駆け寄ってきた。


「昴琉おはよ〜」

「おはよ、遥」

「お、黒猫くんもおはよ〜」

「やぁ、楠木遥。…その呼び方止めなよね。僕には雲雀恭弥って名前があるんだから」

「ごめんごめん!オッケ〜、恭弥くんね。旅行楽しもうね!」


遥は「また後でね!」とブンブン手を振って行ってしまった。
彼女はひとりで参加ということもあって、主任の幹事補佐を買って出ていた。
本当はあたしに回ってきてたんだけど、雲雀くんが参加するならと遥が代わってくれた。
最近迷惑ばかりかけてるから、今度ちゃんとお礼しなきゃ。
雲雀くんは「下の名前で呼ばれた」ってちょっとムッとしてた。年下だししょうがないじゃんね。
彼は何か思い付いたようにあたしの方を向いた。


「ねぇ昴琉、旅行中僕のこと名前で呼びなよ」

「へ?呼んでるじゃない」

「下の名前だよ」

「恭弥くん…?」

「『くん』いらない」

「……いきなりどうしたのよ」

「名前で呼ぶなら、旅行中皆の前で大人しく従兄弟として猫被ってあげてもいいよ。
 僕に暴れられると困るのは貴女でしょ?」

「くっ…!それは脅しですか…!」

「違う。提案だよ。それに従兄弟なのに名字で呼ぶ方が不自然でしょ?」

「わ、分かったわよ。その代わりちゃんと従兄弟の振りしてよね?
 そうじゃないとこの旅行の参加自体ヤバいんだから」


尤もなことを言われて反論出来ず、あたしは条件を呑むことにした。
しかし…今更下の名前呼ぶの、なんかすっごい恥ずかしいんですけど。
練習のつもりで、こっそり心の中で呼んでみる。

きょ、恭弥…

うわぁ…!は、恥ずかし過ぎる…っ
で、でも大人しく従兄弟を演じてもらう為だ。恥ずかしいなんて言ってる場合じゃない。
ひとりで残しておくのも心配で思わず雲雀くんを連れてきてしまったけど、無事に旅行が終わりますように…!
…というあたしの願いは脆くも搭乗前に通過する金属探知ゲートで打ち砕かれた。
見事に雲雀くんが引っ掛かった。原因は勿論愛用の仕込みトンファー。
あれほど置いてこいって言ったのにーーー!!!
女性の検査員に「これは何ですか」と訊かれた雲雀くんは、動じることなく笑顔で「孫の手」と答えた。
ない。いくらなんでもそれはないよ、雲雀くん。
検査員は「それじゃ仕方ないわね。次は除けておいてね」なんてちょっと頬を染めながら納得して通してくれた。
き、奇跡だわ。きっと雲雀くんがカッコいいから、信じてもらえたんだよ。美男子は得だね…!
……なんて思ってしまうあたり、あたしもかなり末期だわね。


***


羽田空港から千歳空港まで飛行機で行くとあっという間。
空港に着くとすぐに貸切バスに乗り込んで、初日の目的地である牧場に向かった。
そこは牧場といっても総合レジャー施設の要素が高くて、スポーツから森林浴、乗馬まで体験出来る。
着いたらまずは昼食なんだけどね。
これがまた北海道の牧場ならではのジンギスカン!しかも食べ放題!!!
天気も良くて旅行気分が盛り上がる。適当に席に着くと、遥が主任と一緒にやってきた。


「席空いてる〜?」

「勿論、遥の分取っておいたよ」

「ありがと!流石親友!」

「俺もお邪魔していいかな?あぶれちゃってさ〜」

「えぇ、どうぞ!」


雲雀くん、あたし、主任、遥の順で座って円形のテーブルを四人で囲む。
つまりあたしと遥、雲雀くんと主任が向き合っていることになる。
主任が席に着くと雲雀くんはちょっと眉を顰めた。
この間も思ったけど、雲雀くん主任のこと嫌いなのかな…。


「こんにちは、従兄弟くん」

「やぁ、主任」


猫被るんじゃなかったのかね、雲雀くん。『さん』くらいつけなさいよ…。
向かい合って座った二人の間に、見えない火花が散っている。二人とも笑顔だけにちょっと怖いんですけど。
遥も変な雰囲気に首を傾げている。
やっぱりあたしがマンションに送ってもらった時に何かあったとしか思えない。

……取り敢えずジンギスカン食べたいなぁ。
美味しそうに焼けた匂いにあたしのお腹が盛大にぐぅぅぅ〜と鳴った。
お陰でみんなに笑われたけど、変な雰囲気は消えた。
あたしは恥ずかしさを誤魔化す為にみんなに食べ頃になったジンギスカンを取り分ける。
羊肉ってクセがあるって聞いてたけど、結構美味しい。
雲雀くんも黙ってもぐもぐ食べているところを見ると、お気に召したらしい。
…こら、雲雀くん。お肉ばっかり食べないで野菜もちゃんと食べなさい。

昼食の後は夕方まで牧場内を自由行動。
何処に行こうかな〜ってパンフレットを見て考えていたら、「馬が逃げたぞーーー!」って遠くから叫び声が聞こえた。
顔を上げると全力疾走の白馬を、これまた全力疾走の牧場のスタッフが追いかけている。
更にその後ろには馬車の荷台が置き去りになっていた。
どうしたって馬の方が速いに決まってる。しかもどんどんこちらに近付いてくる。
え、あ、ちょっと、そのままこっち来たら直撃コースなんですけど…!!
その時横に座っていた雲雀くんがスクッと立ち上がり、そのまま何の躊躇もなく暴走する馬に駆け寄っていく。


「ちょ、ちょっと!ひば…じゃない、恭弥!」


彼はチラリと振り返り「まぁ見てなよ」と言わんばかりに不敵に笑うと、擦れ違い様に手綱を掴んで軽やかにジャンプし、なんと白馬の背に乗ってしまった!
しかも馬車を引かせる用の馬具だから、人が乗る為の鞍はついていない。
勿論馬はビックリして前脚を高く上げて嘶き、彼を振り落とそうと暴れ出した。
ところが彼は両足でしっかり馬体を挟んで片手で手綱を引き、「どう、どう」と落ち着かせるように首元をもう一方の手で叩く。
するとどうだろう、暴れていた馬が徐々に大人しくなっていくじゃありませんか!
何かもう、凄いよ雲雀くん…!
白馬の首筋を優しく摩っている雲雀くんは、まるで王子様。
細身で色白で、顔がいいから尚更。彼の黒髪と白馬のコントラストが綺麗で。
周りで見ていた野次馬からもほーっと溜め息が漏れるほど、馬上の彼は様になっていた。
やっと追いついたスタッフがハァハァと息を切らせながらやってきた。


「あ、ありがとうございます!参ったな、普段は大人しい馬なのに…」


雲雀くんはサッと白馬から飛び降りると、手綱をスタッフに渡した。
馬は余程雲雀くんが気に入ったんだろうか、彼に鼻面を摺り寄せて小さく嘶いている。
雲雀くんはヨシヨシとその顔を撫でてやりながら、スタッフに話しかけた。


「右後脚の蹄鉄、緩んでる」

「え!あ、本当だ」

「蹄と蹄鉄の隙間に小石が入って、少し足を痛めたみたいだね。
 だから馬車引きたくなかったんじゃないの?」


……雲雀くん、馬と話せるんですか?
スタッフの人が気が付かなかったのに、どうして分かったんだろう。
白馬は何度も振り返って雲雀くんから離れたくなさそうな素振りを見せながら、蹄鉄を直す為にスタッフさんに連れられていってしまった。
それを見送る雲雀くんに駆け寄る。


「ひば…じゃない、恭弥は馬とお話出来るの?」

「動物は素直だからね。人間を相手にするよりよっぽど分かりやすいよ」

「へぇー」

「…それにしても、やっぱり群れるのは性に合わない。
 僕はどこかで昼寝してくるよ。楠木遥、昴琉を頼むね」

「はいは〜い、いってらっしゃ〜い!」


遥の返事を背中で受けながら、彼はフラリと木陰の方に歩いていってしまった。
なんだ、一緒に遊ぼうと思ってたのに。でも人の群れ嫌いな彼にしては頑張った方だよね。
ま、いっか。折角の旅行だし、遥と遊んでこよう!

何をしようか悩んで、取り合えずソフトクリームを賭けてパターゴルフをすることにした。
ちょろいと思ってやってみたけど意外と難しい。結局遥に負けてしまった。
二人でベンチに座ってソフトクリームを食べていると、どこかに行っていた主任がふらっと現れた。


「おや、従兄弟くんはまだ戻ってきてないのかい?」

「えぇ、あの子人見知りで。ひとりの方が楽みたいです」

「そう。それなのによく旅行についてきたね。
 …彼はよっぽど桜塚さんと離れたくないらしい」

「え?」

「いや、独り言!良かったら俺も遊ぶの混ぜてくれないかな?」

「いいですよ〜」


じゃぁ次はアーチェリーやってみようってことになって、あたし達は移動した。
お遊びのアーチェリーとはいえ、初心者にはパターゴルフ同様難しい。
まず的まで届かない。遥もあたしも四苦八苦。
三本くらい放ったところで、主任が見かねて「こうするんだよ」と苦笑しながら、あたしの背後に立って手を添えて、一緒に弦を引いて矢を放ってくれた。
ヒュンッという音を立てて放たれた矢は見事に的に命中!
おお〜、ちゃんと当たるんだ。
「さぁ、もう一回」と主任が再びあたしの手を取ろうとした時、聞き覚えのある声に「昴琉」と呼ばれた。
声の主は勿論雲雀くん。そして彼は再び馬上の人になっていた。
さっきの馬とは違い、今度は青毛の馬。雲雀くん自体も黒系の服で、馬も黒い。
さっきが優雅な王子様だとしたら、こっちは勇ましい騎士って感じ。
弓を置いて彼の元に駆け寄った。


「ひば…じゃない、恭弥!どうしたの?その子」

「さっき馬を捕まえた礼に乗っていいって。おいで、昴琉」

「きゃ!」


雲雀くんは馬上から少し身体をずらすと、片手であたしを抱えて軽々と引き上げ自分の前に座らせた。
本当にこの細い身体にどうしてこんな力があるのやら。
雲雀くんは主任を見下ろすと、いつもの小生意気な笑顔を浮かべた。


「昴琉は連れて行くよ」


そう宣言すると彼はあたしの腰に片腕を回して抱き、手綱を勢い良く振って、呆然としている主任と遥に背を向けて馬を走らせた。

こ、こ、こ、こわっ!!!高いし、揺れるし、速いし…!!

雲雀くんがしっかり抱えてくれてるけど、怖いものは怖い。
景色を楽しむなんて余裕はなくて、いつの間にか木立の中を走っていた。
牧場の外れの方まで来てやっと馬の足並が遅くなる。


「ちょっと!雲雀くん!」

「前、見て」


抗議しようと振り返ったら、彼は腰に回していた腕を上げて前を指差した。
何だろうと思って前を見ると、そこには木立の間に沈む真っ赤な夕陽。
空は見事に橙と赤に染め上げられていた。
一枚の絵画のような風景に思わず見惚れて、溜め息が出る。
ぽつりと雲雀くんが話し出す。


「……あんまり僕以外の人間と群れないでよね」

「えぇ?!そんな無茶な…」

「…ていうか、僕以外の男に簡単に触らせないでよ」

「……もしかして主任に対する態度が怖いのは、そのせい?」

「……悪い?」


雲雀くんは再びあたしの腰に腕を回して抱きついてきた。
ヤキモチ、焼いてくれたの…?うわ、どうしよう。ちょっと嬉しい…。


「…ごめんね。気をつける」

「うん……それから、名前で呼んでって言ったのに、今呼ばなかった」

「あ」


思わず口に手を当てる。
意識していなかったから呼び慣れた方が出てしまったらしい。
肩越しに「呼んで?」と強請られる。
首筋にかかる彼の吐息に、胸がドキドキと高鳴る。


「………きょ…」

「きょ…?」

「……きょう、や」


雲雀くんは持っていた手綱をそっと放すと、後ろからあたしの頬に手を当てて振り向かせた。
素早く唇を重ねられる。
ちょっと!誰かに見られたらどうするの?!
大人しく従兄弟の振りをするって約束はどうしたのよっ
そんなあたしの考えなんてお見通しと言わんばかりに、「大丈夫。誰もいないよ」とキスの合間に彼は呟いた。
そしてまた唇を重ねる。
強引、なんだから……。
結局いつも雲雀くんに翻弄される。
夕陽に照らされて出来た二人の影はひとつになって、馬がジッとしているのに飽きて不満気に嘶くまで離れることはなかった。



2008.7.13


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