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25


風紀委員の人が教えてくれた病院は、地元の駅のひとつ隣の駅付近にある。
焦って焦って、電車のドアが開き切るのも待てずに飛び降りる。
階段を駆け下りて残り三段というところで、思いっきり踏み外し転んでしまった。
前のめりに転んだせいでもろに膝を打って擦り剥いたけど、何とか手をついたから顔を打つのは避けられた。
周囲の視線も膝も手も痛いけど、それどころじゃない。
少々飛び出てしまったバックの中身を掻き集めて放り込み、立ち上がって再び走り出す。

目的の病院に着いた時にはすっかり息も上がってしまった。
ドクドクと心臓が血液を送り出す音と相俟って耳に煩いくらいだ。
やっと辿り着いた病院は、個人病院らしくこじんまりと建っていた。
前には数台の黒塗りの外車が停まっている。
もしかすると裏社会の抗争とかで、表立って病院に行けない人を診てくれる病院なのかもしれない。

この中に雲雀くんがいる…!

切れた息もそのままに病院の中に入ると、黒いスーツの強面の男の人が数人待合室に立っていた。
勢いよく入って来たあたしに驚いて、銃口を向ける人もいる。
ギョッとしたけどそんなのもう、一々怯んでる場合じゃない。


「あ、あの!雲雀くんは…雲雀恭弥は何処にいますか?!」

「貴女は…もしや昴琉姐さんですか?」

「は、はい!桜塚昴琉です。彼は、無事なんですか?」

「そ、それが…大変申し上げにくいのですが……」

「ぇ…ま、まさか……!」


彼は眉を顰め、残念そうに肩を落とした。
周りの風紀委員達も視線を逸らしたりして、しんみりとした雰囲気が漂う。
変な声が出そうになって思わず両手で口を押える。

嘘、でしょ?雲雀くんに限って、そんな、そんな…!

我慢していた涙が今正に零れようとした時、待合室の陰湿な雰囲気を破る殊更大きい音と共に、診察室のドアが外れふっ飛んだ。
同時に中から黒い何かが飛んで出てきて、そのまま床の上に倒れる。
あたしに電話をかけてこの病院を教えてくれた、運転手の彼だ。
そして続いて診察室から出てきたのは―――


「ひ、雲雀くん?!」


……怪我をして死にかけているはずの雲雀くんだった。
彼の手には愛用の仕込みトンファーが握られている。
勿論ドアと運転手の彼を吹っ飛ばしたのは雲雀くんだろう。
彼はこちらを向くときょろきょろと辺りを見回した。
「昴琉?」とあたしを探しているけど、ちゃんと見えていないのか目を凝らしている。
暴れたのか白いワイシャツは乱れ、脇腹付近が赤く染まっていた。

もう、ダメ。

あたしは彼に一直線に駆け寄って、首に腕を回して抱きついた。
カラーンッとトンファーが床に落ちる音が院内に響く。
い、生きててくれた…!
今までの緊張が一気に解けて、涙腺が決壊した。


「う…ひっく、ひば…り、く…んっ、ひばぁっ…うぅっ」

「……アレの早とちりのせいで、余計な心配かけたみたいだね。
 全く。勝手に僕の携帯使うなんて信じられないよ」


彼は抱きついたあたしの背中に片手を回して抱き締めてくれた。
さも苛立たしげに伸びている運転手の彼を薄目を開けて睨むと、雲雀くんは空いている方の手で目を押える。
抱きついていた腕を緩め、彼の様子を伺う。
見えてはいるようだがかなり痛そうで、目とその周辺も赤くなっている。
声も少々苦しげだ。


「目、痛いの?それにその血…そ、そうだよ!撃たれたんじゃないの?!」

「血じゃないよ。僕が撃たれるわけないでしょ。
 貴女が朝食に置いていったトマトジュースを上着のポケットに入れたまま戦ってたら、何かにぶつけて破裂しただけ。
 目は…銃だと思っていたら拡散型催涙スプレーで、避け切れずに少し浴びた。
 全く、弱い草食動物がやってくれたよ。勿論ぐちゃぐちゃに咬み殺してやったけどね」

「そ、それじゃ、大丈夫なの?」

「それは僕への侮辱かい?咬み殺すよ?」

「良かった…本当に、良かった…!」


あたしは再びぎゅっと雲雀くんに抱きついた。
涙が後から後から溢れて止まらない。
彼の戸惑っている様子があたしを抱き留める腕から伝わってくる。
どうやらあたしと同様に運転手の彼もトマトジュースを血だと思って、雲雀くんが撃たれたんだと勘違いしたらしい。
きっと催涙スプレーだから、かかった時に吸い込んでお腹を押えて咳き込んだのかもしれない。
しかも銃タイプのモノだったから余計に撃たれたと思い込んでしまったのかも。
それであたしへ急いで連絡をくれたのだろう。
雲雀くんはあやすように背中をぽんぽんと叩いた。


「そろそろ泣き止みなよ。昴琉に泣かれるとどうしていいのか分からない」

「ん…ごめん」


彼に自分から抱きついて泣いてしまったけど、そういえば風紀委員の人達もいたんだった。
急に恥ずかしくなって、雲雀くんから慌てて離れて涙を拭いた。
それを見て恐る恐るお医者様が近付いてきた。


「あの…雲雀様、目の洗浄の続きを…。
 それからそちらのお嬢さんも、膝怪我してますね。ご一緒にこちらにどうぞ。手当しましょう」

「怪我?」

「あ、大したことないの。来る途中にちょっと転んじゃっただけ」


手をひらひら振って何でもないとアピールすると、雲雀くんは唯でさえ歪めていた顔をもっと歪めた。
…あ、そういえば手もついたから、少々怪我してるかも。
慌てて後ろに手を隠して、笑って誤魔化してみる。
溜め息を吐いた彼はトンファーを拾い上げ、あたしの腕を掴むと「行くよ」と診察室の中に入った。

意外にも大人しく雲雀くんは手当を受けて、あたしも消毒してもらった。
何度か間隔を置いて目の洗浄をしなきゃいけないらしくて、お医者様は個室をひとつ用意してくれた。
特別個室らしくてトイレやユニットバスまでついている。
帰ると言って聞かない彼を、何とか宥めて個室に連れて行った。
いくら失明や後遺症の心配はないといっても、適切な処置をしておかなければ痛む時間は長引く。
服や髪にまだスプレーの成分が付着しているといけないから、念の為雲雀くんは個室についているユニットバスでシャワーを浴びて、風紀委員さんが持って来てくれていた服に着替えた。
その間あたしは備え付けのソファに座り、手持ち無沙汰なのでクッションを抱えて待っていた。
さっきは勢いで話せたが、彼が無事でホッとしたら途端に気まずい気持ちが舞い戻ってきた。
ちゃんと謝らなきゃと思いつつ彼の顔がまともに見られなくて、抱えていたクッションに顔を埋める。
それに気が付いたのか着替え終わった雲雀くんは、こちらにやってきて隣に腰掛けた。
ソファがギッと鳴って沈む。


「昴琉、クッション邪魔」

「…うん」


そろそろとクッションに埋めていた顔を上げてチラッと横を見ると、予想よりも近くに彼の顔があって驚く。
慌ててまたクッションに顔を埋めると、短い溜め息が聞こえた。
あぁ、ダメだ。ちゃんと言わないと。
彼に悟られないよう小さく深呼吸をして顔を上げ、雲雀くんの方を向く。


「今朝、ごめんね。夢見が悪かったせいか少しイライラしてて…。
 あんな言い方して大人気なかったって反省してる。……許して、くれる?」

「…どんな夢だったの?」

「……雲雀くんがあたしを置いて何処かに行ってしまう夢…。
 だから、雲雀くんが撃たれたって聞いた時は凄く怖くて……。
 今朝の夢が正夢になって、このまま雲雀くんとお別れになったらどうしようって…。
 本当に、怖かったの…っ」


ついさっきまで感じていた恐怖感を思い出して、自然と目頭が熱くなる。
涙が零れそうになって再びクッションに顔を埋めた。
最近どうも涙腺が弱くて、いけない。
雲雀くんはそんなあたしをクッションごと抱き締めた。
ぎゅっと、きつく。


「待合室で貴女の声を聞いた時は驚いたよ。
 朝あんなに怒っていたから、まさか来るとは思ってなかったからね。
 しかも転ぶほど急いで来てくれたなんてね」

「そんな薄情な女だと思ってたの?」

「…いや、流石に嫌われたのかと思ったから」

「あたしが?雲雀くんを?そんなことあるわけないじゃない」


耳元で囁かれた彼らしくない弱気な言葉に驚いて顔を上げると、至近距離で雲雀くんと目が合う。
いつも自信に満ちた彼の瞳は、催涙スプレーのせいかまだ赤く潤んでいた。
まるで泣いているみたいに見えてドキッとする。
あたしも今同じような顔をしているんだろうか。
同じように彼の瞳に映っているんだろうか。
嫌われたと思ったのは、寧ろあたしの方なのに…。

「昴琉、キスして」とせがんだ唇に、吸い寄せられるように唇を寄せた。

それくらい普段と違う雰囲気の彼に動揺していたんだと思う。
我に返って離そうとした唇を彼のそれが追ってきて塞ぐ。
それはとても優しくて、けれど朝から今まで二人の間にあった蟠りを消してしまうほど、熱かった。
離れた時にはもういつもの彼で、その顔には自信に満ちた笑みを浮かべていた。


「それじゃ一緒に寝るのは承諾したってことだね」

「何でそうなるの。それはそれ、これはこれ!」

「…頑固だよね。でもそういうところも僕にとっては魅力的だよ」

「んもう!またそうやってからかうんだからっ」


抱えていたクッションを雲雀くんに押し付けると、彼は喉の奥でククッと笑った。

本当に雲雀くんが無事で良かった。
あんな夢が正夢なんかにならなくて、良かった。
もう嫌なことは忘れてしまおう。

そう、この時のあたしは彼がいなくなってしまう事への恐怖心から、あの夢の本当の意味に気付けなかった。



2008.6.15


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