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ゴンドラを降りてから携帯電話を受け取りに行って、夕食の買出しを済ませてマンションに戻ってきた。
ゴンドラでの出来事が嘘だったように、雲雀くんの態度は拍子抜けするほど普段と変わらなかった。
どう対処していいか分からないし、態度変わられても困るんだけどね。
それにしても…油断し過ぎだよ!あ・た・しっ!!
昨日あんなことがあったばかりで、今日はゴンドラでの一件…。
平凡な暮らしを送ってきたあたしにとっては一大事だわよ。
確かに雲雀くんには出来る限りのことはしてあげたい。
でもそれとこれとは話が別!
あれでも彼、中学生なんだし、あんなのまずいよ…。
それにただの同居人で、付き合ってるんじゃないんだし。
それにいつか雲雀くんは………この世界から消えてしまう。
それを思うと、きゅぅっと胸が締め付けられる。
トントンと玉葱を微塵切りにしていた手を止める。
玉葱、目に沁みる。
あたしは目に溜まった涙が零れる前に手で拭った。
「昴琉、何料理しながら百面相してるの」
「え!そんなことしてた?やだなぁ、あは、あははは!
って、いつからそこに…!」
「さっきからいたよ。何度も呼んだのに貴女が気が付かなかっただけ」
「ごめん、ごめん!お腹空いただろうけどもうちょっと待ってね〜。
昴琉さん特製チーズハンバーグトマトソースがけ、ちゃちゃっと作っちゃうから!」
「僕何か手伝うことある?」
「んー、そうねぇ…。じゃぁサラダ作る?」
こくんと頷いて雲雀くんは予備のエプロンをサッと身に着けて手を洗うと、冷蔵庫からレタスやらトマトやらを取り出した。
たまに気が向くとこうやってお手伝いをしてくれる。
レタス千切ってくれるだけでも有り難い。
その分早く食べられるしね!
やり出すと最後まで完璧に仕上げたくなるらしく、彩りや盛り付けも綺麗にしてくれる。
ドレッシングまで作る。
案外几帳面なのよね。
雲雀くんのエプロン姿に心を和ませつつ、あたしはハンバーグ作りを再開した。
近頃ハンバーグばっかり作っているせいで無駄にハンバーグ作りのスキルが上がった気がする。
手際も良くなって、すぐにハンバーグは完成した。
雲雀くんのはちょっと大きめのハンバーグで、あたしのはちょっと小さめ。
食べ盛りの男の子はいっぱい食べないとね!
あ〜、お腹いっぱい!
我ながら今日も美味しく出来たわ。うん。
夕食も食べ終わって食器を流しに運ぼうとした時、足をテーブルに引っ掛けてバランスを崩してしまった。
お皿が見事に宙を舞う。
こ、コケる…!
思わず目をぎゅっと瞑り、頭を抱えた。
「きゃぁ!」
「昴琉!」
ガシャーンッ!!カラカラカラ……
派手な音を立ててお皿が床に落ちる。
食器と一緒にあたしも床にぶつかると思ってたのに、その衝撃は来なかった。
あ、あれ?
「…全く、何やってるの」
「た、助かった〜。ありがと、雲雀くん」
至近距離の雲雀くんの声にドキドキしながらお礼を言う。
間一髪、雲雀くんが倒れかけたあたしの後ろから腰に腕を回して抱き留めてくれたようだ。
テーブルに座ってたのに、なんて素早い。
雲雀くんはふぅと息を吐いてあたしを立たせると、呆れ顔をこちらに向けた。
「案外おっちょこちょいだよね、昴琉って」
「ご、ごめん。すぐに片付けるから!
うわ〜、見事に割れちゃったなぁ。結構お気に入りだったのに」
しゃがんで割れたお皿の破片を拾おうと伸ばした指先にピリッと小さな痛みが走った。
慌てて手を引っ込める。
見れば人差し指を切ってしまっていた。
ツーッと血が指を伝う。
「いったぁ…」
「言ったそばから…。ほら手出して」
「ぁ…」
雲雀くんはそう言ってあたしの手を取ると、あろうことか切った人差し指をその口に含んだ。
ひゃーーーー!な、何て事を……!!!
一気に頭に血が上る。
ちゅっと指を吸われて小さな痛みと甘い痺れが身体を駆ける。
指先に感じる雲雀くんの柔らかい唇の感触が、昼間の出来事を刹那にフラッシュバックさせる。
あたしの指を咥えてるあの唇と…ってうわぁぁぁ!
想像しちゃダメ!
折角忘れてたのにっ
伏目がちにあたしの手を見つめ指を咥えてる姿に、不覚にも色気を感じてしまったあたしの顔は、ドンドン熱くなって心拍数も上がる。
本当に雲雀くん、君は中学生か?!
心臓がはち切れそう…!
うぅーっもう早く離れて……!
雲雀くんはもう一度指を吸って傷口をペロリと舌で舐めると、やっと手を解放してくれた。
「消毒終わり。傷は浅いみたいだし、すぐ血も止まるよ」
「あ、ありがと」
「気を付けてよね。貴女が怪我すると僕が困るんだから」
「ぇ…?」
「ハンバーグ食べられなくなるでしょ。
後は僕がやっておくから、昴琉はちゃんと消毒して絆創膏張っておいで」
そ、そっちかい!
一瞬でも期待したあたしが馬鹿だった。
はっ!違う、違う。期待って何をよ。
してない、してない。断じてしてないっ
雲雀くんはあたしの代わりに割れたお皿の破片を拾い出した。
動揺を隠す為に、あたしは救急箱を取りにリビングに向かう。
あれ?消毒液で消毒するなら、さっきのアレは必要なかったよね。
***
雲雀くんの見立て通り、傷は浅かった。
指先って傷が浅くても血がいっぱい出るからちょっとビックリするよね。
今はもう止まって、たまにちょっとピリッと痛みが走るくらい。
リビングで救急箱を仕舞っていると、片付けを終えた雲雀くんがコーヒーを持ってきてくれた。
「血、止まった?」
「うん、もう平気」
「そう、良かったね。そうだ、携帯何処に置いたっけ」
「あ、廊下に置きっ放しだ。持ってくるね」
帰って来て荷物を部屋まで運ぶのが面倒で、冷蔵庫に仕舞わなきゃいけない食材だけ運んだんだった。
ほぼ玄関といっていい位の場所に放置してあった紙袋を持ってリビングに戻る。
先にソファに座っていた雲雀くんの隣に腰掛ける。
あたしと同じのが欲しいと言ってくれたけど、流石に色違いにしないと間違えそうだから、あたしはシャンパンゴールドで、雲雀くんは黒。
他の色もあったんだけど、雲雀くんは迷わず自分のふわふわの髪と同じ黒を選んだ。
学ラン以外の服も黒系多いし、黒好きなのかな。
「えーっと、こっちが雲雀くんのね」
「ありがと」
「どういたしまして!」
二人で並んで説明書と睨めっこしながら、色々設定していく。
ちょっとこういうの嬉しいな。
子供の頃に大好きな友達とお揃いの文房具を買った時の気持ちに似てる。
結局前の携帯のメモリーは完全に消えてしまっていた。
手帳に控えてあったから、それをまた一から入れ直す破目にはなったけど、色々ぐちゃぐちゃに登録したままだったから整理するにはいい機会になった。
暫く説明書と睨めっこを続けていた雲雀くんは、思い出したようにこちらを向いた。
「ねぇ、これやりたい」
「ん?どれどれ?…赤外線通信?」
「そう、それ。番号交換したい」
「えっとこのセンサー部分をお互いに向けて、このボタンでピッっと…これでOK!」
「…やりたいって言ったのに…」
「あ、ごめん!消してもう一回やり直そう」
「もういい。風呂に入る」
口をへの字にして雲雀くんはバスルームに行ってしまった。
あちゃ〜、機嫌損ねちゃった。
まぁこれくらいで動揺してたら、雲雀くんと一緒には生活出来ない。
そのうち直るでしょ。
それにこんなこともあろうかと、密かに用意しておいた秘策があたしにはあるもんね!
暫くしてお風呂から上がった雲雀くんが飲み物を取りにキッチンに向かった。
あたしは透かさず冷蔵庫と彼の間に割り込んだ。
「……昴琉、邪魔」
「さっきはごめんね。反省してるから、これで許して?」
冷凍庫から秘策の鍵である『期間限定プレミアム抹茶アイス』を取り出して、雲雀くんに差し出した。
実はこのアイス、京都の老舗が製造していて、普段はネット限定販売なんだけど、今日行ったショッピングモールのスーパーで特別に販売してたのだ。
雲雀くんが食べたそうにしてたんだけど、携帯電話を買ったせいか自らカゴに入れることはしなかった。
だから彼がちょっと離れた隙にカゴに忍ばせておいたの。
レジを通る時も荷物詰める時も、雲雀くんは離れた所で待ってるから見られる心配もないしね。
少しの間、ジッとアイスを見ていた雲雀くんは、ヒョイッとあたしの手からそれを取った。
「食べ物で僕を釣ろうとするなんて浅はかな考えだね。
……でもたまには釣られてあげる」
「うん、ありがと」
雲雀くんはぷぃっと横を向いて「本当はまだ怒ってるんだぞ」というオーラを出しながらアイスの蓋を開けた。
素直に喜べばいいのにね。
やっぱりこういうところは子供だなぁと思う。ハンバーグでも機嫌直るしね!
ソファに移動して美味しそうにアイスを食べる彼の後姿に満足して、あたしもお風呂に入る為にバスルームに向かった。
お風呂から上がってリビングに戻ると、雲雀くんはソファに寝転がってあたしの携帯を弄っていた。
見られて困ることはないけど、あたしのプライバシーはないのかね。
そのうちあたしに気が付いた彼がポイッとこちらに携帯を投げてきた。
わわっまた落として壊したら洒落にならない。
慌てて携帯をキャッチする。
「何してたの?」
「後でのお楽しみだよ」
悪戯っぽい笑顔でそんなこと言われると、非常に怖いんですが…。
不気味がるあたしを満足そうに見て笑うと、雲雀くんは大きな欠伸をした。
「今日は人の群れの中に居過ぎて疲れたから、もう寝るよ」
「ん、おやすみ、雲雀くん」
「おやすみ」
自室に戻る彼を見送って、あたしは手の中の携帯に目を落とす。
一体何したんだろう…。
気になるけど、昨日今日と立て込んでたからあたしももう眠い。
……明日ゆっくり調べればいいか。
あたしも自分の寝室に戻ろうとした時、聞き慣れない電子音が部屋に響いた。
音源を探ると手に持っている携帯からだ。
何かを連想させる曲なんだけど、思い出せない。
携帯に予め登録されている曲とも異なるその音に、首を捻りながら画面を確認する。
そこには雲雀くんの名前とメールが届いたマークが表示されていた。
メールを開いてみる。
『今の着信音、僕の学校の校歌だから。
勝手に変えたら咬み殺すよ。
じゃぁ、また明日。おやすみ、昴琉』
文面に面食らう。
は、初めてのメールがこれ〜?!
あまりの彼らしさに吹き出しそうになる。
し、しかも校歌って!
校歌なんて似たり寄ったりだから、聴いたことがあるような気がしたのか。
それにしてもどうやって曲を入れたのかしら…。
ま、まさか…!
あたしはソファに戻って、その前のテーブルに置きっ放しになっていた説明書を捲る。
…あった!
探していた機能を見つけて、納得と笑いが込み上げてくる。
その名も『自作着メロの作り方と設定の仕方』。
着うた主流のこのご時世に、自作着メロとは…!
だから携帯ショップであんなに真剣に機能のところ見てたのね。
んん?ちょっと待った。
ということは、あたしと一緒の携帯を持ちたいんじゃなくて、あたしの選んだ携帯しか自作着メロ機能が無かったんじゃ…?!
……雲雀くんのおねだり上手めっ!
ちょっと残念。
でもまぁ、あの雲雀くんが自分で入れたのかと思うと、可愛いやら可笑しいやらでにやけてしまう。
彼の可愛い悪戯に苦笑しながら、あたしは寝室のドアを開けた。
2008.5.5
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