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昴琉が骸の手を取るのと同時に、二人の姿が僕の視界から消える。
けれど気配はひとつ残ったまま。
僕は『それ』に話しかけた。


「幻覚を残していくなんて、随分と余裕だね。骸」

「クフフ、君の方こそ。昴琉を僕に預けるなんて」

「まぁね。勝者の余裕ってヤツさ」


再び姿を現した骸に不敵な笑みを返すと、彼の片眉が跳ねた。


「喧嘩を売っているのなら買いますよ?」

「いいね。やるかい?」


僕は彼を見据える視線に殺気を込めた。
同時に骸の纏う空気が、針のように鋭いものに変わる。

今この場にいるのは僕と骸だけ。
因縁の対決を邪魔するものは誰もいない。
復讐者の牢獄に囚われた骸と戦うには、絶好のチャンスだ。

―――が、僕は小さな溜め息と共に、すぐにそれを散らした。


「…と言いたいところだけど、ここは昴琉の夢の中だ。
 無粋な真似はしないよ」

「おやおや。とても雲雀恭弥の言葉とは思えませんね」


骸は少し驚いたような顔をしたが、自身もすぐに殺気を放つのを止める。


「ですが確かに、この美しい世界に荒事は似合わない」


彼の言葉を肯定するように、楽しげに花弁を舞い踊らせていた風が、二人の間で張り詰めた空気を簡単に吹き流してしまう。

常春の楽園。

そんな言葉がふさわしい空間。
つい先日まで暗闇と絶望に支配されていたのが嘘のように、昴琉の夢の中は穏やかだ。
どちらにも、僕が係わっている。
自分が彼女に与える影響をこうして視覚的に捉えるというのは、少し不思議な感じがする。
同時に昴琉にとっての僕という存在の大きさに、改めて身が引き締まる。

…眼前に佇む男は、一体どんな気持ちでこの風景を眺めているのだろう。

この男もまた、少なからず彼女の心に影響を与えたのだ。
風に運ばれる花弁を見送る骸に僕は訊く。


「君、昴琉を攫った時、本当に何もしていないの?」


脈絡なく投げられた問いに驚いたのか、骸はこちらに視線を向けて表情を強張らせた。
しかしそれも束の間。
直ぐにフッと笑っていつもの表情に戻る。


「…えぇ。痕を刻んだこと以外は、何も」

「何故?絶好のチャンスだったはずじゃない」

「ですよねぇ。クフフ、惜しいことをしました」

「はぐらかさないで」


この期に及んで本心を語らないなんて逃げを許すつもりはない。
ぴしゃりと言う僕から、骸はそっと視線を逸らす。
暫しの沈黙。
その圧力に観念したのか、彼は溜め息交じりに呟いた。


「―――『しなかった』というよりも、『出来なかった』と言った方が正しいですかね」


あぁ、そうか。
その答えで分かってしまった。
今度こそ確信してしまった。


昴琉に対する骸の気持ちが本物だと。


「全く…僕としたことが情けない」


そう言って苦笑う彼を、僕は責めることが出来ない。
一線を越えて僕が昴琉を傷付けられないように、彼もまた同じなんだ。

それでも骸は彼女に痕を刻んだ。

彼に一度煮え湯を飲まされて以来、僕は幻術を嫌い、二度と後れを取ることのないよう研究に研究を重ねた。
完全に力の戻っていない骸の術など、容易く見破れるくらいに。
だから他のどんなものに幻覚を使おうとも、痕だけは直接僕が目にするものだから使うわけにはいかなかったのだろう。


―――まさか、この男に共感する日がくるなんてね。


心の中で盛大に溜め息を吐く。
昴琉に出逢ってから、起こり得ないと思っていたことばかりだ。
急激に湧き上がる不快感に眩暈すら覚える。
…まぁ、骸と同じ気持ちを抱いたところで、僕と彼の関係性が変わるなんてことはあり得ない。

今までも、これからも。

僕の気も知らないで、昴琉の夢の風景をいつまでも愛おしそうに見渡す骸に苛立ちを覚え、僕は向かいに立つ彼を急かした。


「油売ってないで、とっとと昴琉を楠木遥の夢へ連れて行きなよ。
 分かってると思うけど、くれぐれも大事に扱ってよね」

「クフフ、昴琉を信じているだの彼女は強いだの言っておきながら、結局君は過保護ですね。
 いや、過保護というよりこれは…子供染みた独占欲の裏返し、ですかね」

「煩いよ。君がそれを言うのかい?
 第一君のような卑劣な男には、幾ら念を押したって押し足りないくらいさ。
 全ては昴琉の憂いを晴らす為だってことを忘れないでほしいね」


―――そう、全ては昴琉の憂いを晴らす為。

本来なら昴琉と骸を会わせるような危険は、絶対に冒さない。
況してや彼女を預けるなんて。
しかし口にこそしないものの、あのお人好しは目覚めてからずっと骸を気にしていた。

時折見せる沈んだ表情。

そんなものは人生最大の晴れ舞台を控えた婚約者には似つかわしくない。
彼女には何の憂慮もなく、僕の花嫁になってもらわなければ。

だから今宵一夜だけ、僕は目を瞑ると決めた。

釘を刺された骸は軽く肩を竦めた。


「…えぇ、分かっています。僕も彼女には笑顔でいてほしいですから」


「では」と呟いて僕に背を向け、昴琉のもとへ行きかけた彼を呼び止める。


「―――骸」

「何です?」


骸が肩越しにこちらを振り返る。


「早くあの牢獄から出てくることだね」

「…?」

「君の帰りを待ち望んでいるのは、君の仲間だけじゃないってことさ」


訝しむ骸に、僕は研ぎ澄ました視線を向ける。


「昴琉は君の行いを水に流すつもりらしいけど、僕は違う。
 あのヒトを傷付けた罪は重いよ、骸」


それは互いに彼女を愛しているが故に、尚深い。
けれど、そんなどうしようもない僕とこの男に、あのヒトは報いるチャンスをくれた。
与えられたのなら、全身全霊を以て応えなくては。

僕は僕の方法で。
彼は彼の方法で。

口を閉ざしたままの骸に、僕は不敵に笑って見せる。


「次に現実世界でまみえる時は覚悟しておくことだね。
 今回見逃した分も上乗せして、滅茶苦茶に咬み殺してあげる」


僕の言葉に目を見開いた骸は、次の瞬間にはもういつもの笑みを浮かべた。


「……心しておきましょう。
 ですが、君も油断しないことです。
 彼女を泣かせるようなことがあれば、僕は遠慮なく昴琉を奪いに行きますよ」


鼻持ちならない言葉を残して、今度こそ骸の姿と気配が消えた。

…本当に、あの男とは馬が合わない。

ひとり残された僕は、苛立ちを追い出すように短く息を吐く。
恐らく昴琉の帰りは、彼女か楠木遥の目が覚める頃だろう。
滅多にない機会だ。
それなら僕も目が覚めるまで、昴琉の夢の中を満喫するとしよう。

そう決めた僕はその場にごろんと寝転がり、頭上に広がる蒼穹を見つめながら、咲き乱れる花の香りを深く胸に吸い込んだ。



2015.10.18


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