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力強くあたしを掴み、引き上げた腕。
大好きなヒトの、今にも泣きそうな笑顔。

これは、幻?

―――たとえ幻でも構わない。



逢いたいと、心の底から願っていたヒトが目の前にいる。



嬉しくて。
愛おしくて。
切なくて。


あたしは引き上げられた勢いのまま、迷いなく雲雀くんの胸に飛び込んで、両腕いっぱいに彼を抱き締めた。


***


目が覚めると、ぼやけた視界をこちらに来た時と同じ天井が埋めた。

ここ―――風紀財団のお屋敷…?

あの時と違うのは、茜色に染まっている室内と、こちらを覗き込む顔が二つあったこと。
ひとりは男性、もうひとりは女性。
二人とも酷く心配そうな顔をしている。
彼らはあたしの名前を、やはり心配そうに呼んだ。


「昴琉」

「昴琉様…」


優しい声色。
二人の呼び掛けに、あたしはニ三度瞬きを繰り返す。
するとぼやけた視界が晴れて、覗き込む彼らの姿がはっきりする。
どちらもあたしは知っている。


「―――ば、りく…ん、クロ…ム…」


久し振りに出したと思われる声は酷く掠れて、上手く二人の名前を発音出来なかった。

それでも雲雀くんとクロームは安心してくれたようで。

雲雀くんは項垂れて大袈裟じゃないかと思うくらい深く長い溜め息を吐き出し、クロームは「良かった…!良かった…!」と口元を手で押さえて大きな瞳からぽろぽろと涙を零した。
そんな二人の様子にあたしは軽く戸惑う。

ここ、雲雀くんのお屋敷だよね?

どうして雲雀くんとクロームが一緒にいるの…?
どうしてあたし眠っていたんだろう…。
マンションにいた―――よね?

あれ…?なんだっけ…

まだぼんやりしている頭で、あたしは自分の記憶を遡る。

草壁くんがカモミールティーを淹れてくれて…
なんだかすごく眠くなって…
夢の中でまた骸くんに会って…


ひとつひとつ辿って、行き着いた先に―――呼吸が止まる。


雲雀くんと、骸くん、そして自分自身の間に起きた出来事。

夢でも幻でもない。

この現状は、自分の弱さが招いた結果だ。
あたしが至らないばかりに、負わなくていいはずの心の傷を、皆に負わせてしまったんだ。

ただでさえ鉛のように重い身体に自責の念が圧し掛かり、あたしに深い溜め息を吐かせる。

恐らくあたしの夢の中に雲雀くんを連れて来てくれたのはクロームだ。
骸くんと同じく術師である彼女なら、そんな人並み外れた芸当も可能だろう。

ただそれは、彼女が慕う骸くんへの反抗になる。

どんなに悩んだことだろう。
どんなに苦しかったことだろう。
身を切られる思いだったに違いない。

申し訳ない気持ちとあたしを思って行動してくれた有難さで、胸が詰まり、じんわりと目頭が熱くなる。


ごめんね、クローム―――ありがとう。


まだ泣いているクロームに声を掛けようとしたけれど、それよりも先に彼女の身体がぐらりと揺らいだ。

危ない…!

彼女を支えようと反射的にあたしは身を起こしたが、鈍った身体には上手く力が入らず体勢を崩してしまった。
それをすかさず雲雀くんが抱き留めてくれる。
倒れかけたクロームも、いつの間にか現れた犬くんに支えられていた。
見ればその後ろには千種くんもいる。
更にその背後には、襖の脇で腰を浮かせた草壁くんが控えていた。
クロームは細い指先で涙を拭いて、犬くんを振り仰ぐ。


「あ、ありがと…」

「フン!おまえは弱っちぃのに無理し過ぎなんら」

「…ごめん」


素直に謝るクロームに、犬くんは不機嫌そうに鼻を鳴らして返すと、今度はあたしと雲雀くんに視線を移す。


「……借りは返したびょん」


犬くんはムスッとしたまま、けれどどこか恥ずかしそうにそう言った。
借り…?
クロームの看病をしたことだろうか。
それともツナくんに保護を頼んだことだろうか。
彼の言う借りに見当がつけられずにいるうちに、犬くんは「帰るびょん」とひょいっとクロームを抱き上げた。


「ぁ、待って…!犬…!」


クロームはそのまま立ち去ろうとした犬くんを慌てて止める。
そして彼に抱き上げられたまま、こちらに身を乗り出した。


「昴琉様、骸様から伝言…!」

「……骸くん、から?」


クロームは柔らかそうな髪を揺らしてこくんこくんと頷いた。

彼女の告げた名前に心臓が跳ねる。
あたしを支える大きな手もピクリと動いた。


一体何を…?


その場に居合わせた人達の視線を一身に受けたクロームは、一度唇をきゅっと結んでから口を開いた。


「骸様、何もしてないって…!
 痕は付けてしまったけど…他は誓って何もしてないから安心してって…!」

「…痕以外は、何も?」


彼女は必死にこくこく頷く。

何も、してない。
骸くんはあたしに何も―――

心の中で言葉を反芻して、やっと訪れる安堵感。
大きな溜め息がまだ乾いた口から漏れる。
それはもう肺の中の空気が余すことなく全部出たんじゃないかってくらい。
自分の身が無事だったこともそうだけれど、骸くんが本当の悪人でなかったことに心からホッとした。

あぁ、良かった…!
やっぱり見込み違いじゃなかった…っ

あたしの身体を支えている雲雀くんも、ほぅと安堵の溜め息を吐く。
思わず雲雀くんの顔を見上げると、彼は気まずそうに視線を逸らした。
それを見逃さなかった犬くんが尖った歯を見せてニィッと笑う。


「おいアヒル、今完全にホッとしたらろ」

「…別に」


完全に図星を突かれて、雲雀くんはバツが悪そうに口をへの字に曲げる。
それに気を良くしたらしい犬くん。
先日雲雀くんにボコボコにされた恨みもあってか、ここぞとばかりに追い打ちをかける。


「ウソツケ!骸さんの幻術は完璧らかんな。
 見破れなかったとしても恥ずかしがることねーびょん!」


骸くんのことなのに、何故こんなにも犬くんは自慢げなのか。
勿論彼が骸くんを慕い尊敬しているあらわれなのだけれど、どうせ追い打ちをかけるなら自分が雲雀くんに勝っているところでした方が…。
それに虎の威を借る狐に等しいその態度が、雲雀くんの神経を逆撫でないわけがない。
ましてその虎が骸くんなら尚更。


「…君、また僕に咬み殺されたいみたいだね」

「なんらとー?!」


一気に高まる緊張感。
殺気漲る二人に挟まれ、クロームとあたしはおろおろするばかり。
それを見兼ねたのか、雲雀くんの挑発に乗りかけた犬くんを、後から彼の肩に手を置いて千種くんが止める。


「よしなよ、犬…」

「らってよ!柿ピー!」

「これ以上はめんどい。用事は済んだんだ…帰るよ…」


抑揚のない声だったがきっぱり言われ、犬くんはうーっと唸った。
抱えているクロームにも「犬…帰ろ?」と、遠慮がちに服を引っ張られ促されては、流石の犬くんも納得せざるを得なかったようで。


「チッ!帰ればいーんらろ?帰れば!
 次会ったらぶっ飛ばすかんな、アヒル!
 じゃぁな!飯炊き女!」


相変わらずの憎まれ口でクロームを抱えた犬くんは、どかどかと音を立てて畳を踏みつけ部屋を出て行く。
僅かに視線が合った千種くんも、何も言わずに黒縁の眼鏡をくぃっと指先であげただけでさっさと出て行ってしまった。

お礼を言う暇も与えてもらえなかった…。

唐突な別れに呆気に取られていると、襖の傍に控えていた草壁くんが一礼する。


「皆さんを御送りして参ります」


顔を上げ、嬉しそうに微笑んでそう言うと、彼は部屋を退出してそっと襖を閉じた。



2014.7.7


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