×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

129


―――蕾が、開いていく。


昴琉の心を映すように闇に覆われていた空も、蕾の真上を起点に瓦解し始め、落下するその破片はきらきらと光を反射しながら霧散する。

茫然と池のほとりに立ち尽くし、僕はその光景を眺めていた。

僕では開かせることの出来なかった彼女の心の防壁。
雲雀恭弥はそれをいともあっさり開いてしまった。

あと少しでこの手に堕ちたかもしれないというのに。
あの男から昴琉を取り上げることが出来たかもしれないというのに。


やはり昴琉は僕ではなく、彼を選んだ。


こうもあからさまに差を見せつけられては、これ以上足掻こうという気も起きない。
悔しいというよりも、いっそ清々しいくらいだ。


そして―――不思議と安堵している自分がいる。


昴琉がどちらを選ぶのか。
その勝敗は、彼がここへ現れた時点で揺るがぬものとなった。


「―――クローム。おまえが彼を連れてきたのですね?」


僕の呼び掛けに、背後の草葉が音を立てる。
そして立ち木に隠れていたクロームが、おずおずと姿を現した。

彼女の気配は雲雀恭弥が現れる少し前から感じてはいた。
昴琉にはクロームも懐いているようで、彼女を心配して様子を覗きに現れたのだとばかり思っていたが……まさか自分の気配に紛れさせ、雲雀恭弥をここへ招き入れようとは。
深い溜め息が身体の外に漏れる。


「やれやれ…たまに見せるおまえの行動力には、昔から驚かされてばかりです」

「ごめんなさい、骸様…」


クロームは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
僕は小さく首を横に振る。


「謝る必要はありません。
 おまえが手を貸さずとも、彼はきっとここへ辿り着いたはずです」


そう、忌み嫌う僕の手を借りてまで、あの男は昴琉を欲したのだ。



彼の誇りともいうべき、孤高を捨てて。



彼らしくないその行動は興味深くもあり、何故か酷く腹立たしくもあった。
それは僕が雲雀恭弥という男を買っているからなのか、それとも昴琉が気付いているように、ただの―――

視線を池の中央に戻せば、まだ完全には開ききっていない花弁の中へ、雲雀恭弥がその身を乗り出していた。


あぁ、間も無く彼の手は昴琉に辿り着く。


複雑な表情を浮かべているクロームに、僕は自嘲的な笑みで答えた。


「今の僕では彼女の心を開くことが出来なかった。ただそれだけのことです。
 それに―――」


僕とクロームが見守る中、遂に雲雀恭弥の手が何かを掴み、力強く引き上げた。
それは、蓮の花の中から真っ直ぐに伸ばされた白い手。


続いて現れたのは、愛しいヒト。


その顔には喜びに満ち溢れた極上の微笑み。
それを見た瞬間、ことりと胸の痞えが下りる。


「ああして直向きに強く彼だけを愛する彼女に、僕は惹かれたのかもしれません」


それは昴琉を手に入れられなかったのに、安堵した矛盾の答えだった。

初めて僕が出逢った彼女は、今と同じように真っ直ぐに彼だけを見つめていた。
傍で見ているこちらの胸が騒ぐほどの熱量で。
僕が昴琉に惹かれた最大のきっかけ―――最愛の人を元の世界に送り帰すというあの英断は、彼女の雲雀恭弥への強い想いなくしては下せなかったことだろう。

彼に出逢う前の彼女に巡り逢ったとして、果たして僕はこれほど強く昴琉に惹きつけられただろうか。

勿論僕とて、昴琉を唯のか弱い女性だなどとは思っていない。
あれを受け入れられるだけの器を持つ彼女だからこそ興味を持った。

当たり前のように僕をひとりの人間として僕を扱い、何の打算もなく、心配すらしてくれる昴琉。

暗く冷たい復讐者の牢獄に囚われる僕にとって、そんな彼女は深い海の底に儚くも力強く届く一筋の陽の光だった。
特別な感情を抱かずに、どうしていられただろう。
けれどその頃には、既に雲雀恭弥という存在は桜塚昴琉を構成する重要な因子になっていた。


そう―――口惜しいことにこの恋は、昴琉が彼を愛しているという前提の上に成り立っている。


突飛な思考かもしれないが、もし昴琉が僕を受け入れてくれたとしても、それは僕の愛した昴琉とは別人なのだ。
そして僕の見初めた貴女が、簡単に誘惑されるような安い人間ではないと信じたい気持ちもあった。


僕が望んだのは変化と不変。


だから僕は選ばれなかったことに落胆し、安堵した。


過去も、現在も、未来も。
彼女の心はあの男に囚われ続けるのだろう。
貴女が雲雀恭弥を愛し続ける限り、僕の愛する貴女もあり続け、抱くことなどないと思っていたこの想いを捨てずに済む。
こんな僕でもまだ誰かを愛せることを教えてくれた貴女のままでいてほしい。

「見くびらないで」と言い放った昴琉なら、僕にこの右目を植え付けた汚いマフィア共の暗躍する世界へ足を踏み入れたとしても、決して染まらずにいてくれるに違いない。

我ながら屈折した愛情だと思う。
それでも生まれてしまったこの感情は、バッサリと切り捨ててしまうにはあまりに惜しい。

復讐の為、悪事に手を染めたこの身だけに。



清く、気高い心のままに。
どうか変わらないで、僕の愛しい昴琉。



雲雀恭弥がその腕で昴琉をしっかりと包み込むのを見届けてから、僕は背後のクロームを振り返った。


「僕には盲目なまでに従順な娘だと思っていましたが…成長しましたね、クローム」


いつもと変わらぬ笑顔を浮かべて言うと、クロームはきゅっと唇を引き結んで少し俯いた。


「……私、骸様も昴琉様も好きです…。二人には幸せになって欲しい…。
 でも…昴琉様には雲の人が必要だから…だから…っ」


彼女は両手で三叉槍をグッと胸の前で握り締めて、勢いよく顔を上げた。


「骸様には犬や千種、私もいます…!
 それじゃダメですか…?!」


その潤んだ大きな瞳には、強い意志と覚悟。
僕が手を差し伸べてやらなければ、生きることすら儘ならないか弱き少女だったクローム。
内気な彼女が今回のような行動を起こすのには、かなりの葛藤を要しただろう。


僕の、昴琉の、雲雀恭弥の、そして自分自身の気持ち。


両親に愛されなかったが故に、他人の想いに敏感なこの娘は、それらひとつひとつを重ねては思案し、苦悩したに違いない。
そして答えを導き出し、実行した。
たとえ僕の邪魔をすることになったとしても、それがそれぞれの最良であると信じて。

守る側と守られる側。

固定であるはずだったその関係は、いつの間にか新たな関係へと変化していた。
それは各々の支えとなり、力となる。
仲間という言葉では足りなく、自分自身とさえ言い切ってしまえる、根の部分で深く結びついた我々の絆。

孤高を愛する彼には、到底手に入れることの出来ないはずの―――


「……いいえ。十分ですよ。僕には過ぎるほどにね」


「骸様…」と嬉しそうに笑ったクロームは、しかしへなへなとその場に座り込んだ。

今回彼女が倒れた原因は、脱獄の為に彼女の力量以上の幻覚を使用させ、外から突破口を開く指示をした僕にある。
結局脱獄は失敗に終わり、僕自身もダメージを受けた為に、彼女の内臓を補う力が十分ではなかった。
お陰で昴琉に接触することが出来たのだが―――結局、引っ掻き回しただけで、何も変えることは出来なかった。

僕はクロームの前に片膝を付いてしゃがみ、彼女の肩に手を置いた。


「クローム、ひとつ言付かってくれますか?」


少しだけ不思議そうに僕を見つめたが、クロームは直ぐにこくんと頷いた。
僕は彼女の耳元に声のトーンを落として言告ぐ。


「―――――」


内容を聞いたクロームは、普段から下がりがちの眉尻を更に下げ、遠慮がちに問うた。


「ご自分で言わないんですか…?昴琉様ならきっと…」

「……赦してくれるでしょうね。
 けれど今、あの二人の間に僕が割って入るのは無粋というものでしょう」


背にした池の上には、覆ることのない最後の審判。
見上げれば、胸を突く蒼穹。


「…邪魔者は退散するとしましょう。
 おまえももう戻りなさい。まだ体調は万全ではないのでしょう?」


クロームは申し訳なさそうにこくんと頷く。
そして自分の肩に置かれたままの僕の手に、少しだけ躊躇ってそっと自身の手を重ねた。


「…骸様」

「何です?」


重ねられた小さな彼女の手に力が籠る。
思いの外強いそれに驚く僕を、真っ直ぐ見つめてクロームは言った。


「必ず助けに行きます…!次こそ、必ず…!」


大きな瞳には先程よりも濃い決意の色。
その面差しは雲雀恭弥を送り帰す決意をした昴琉に似て。


「―――期待しています」


つい綻んだ口元に言葉を乗せて答えると、クロームも晴れやかな笑顔で「はぃ…!」と答えた。



2014.6.9


|list|