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前後左右の感覚も曖昧な空間で、淡く輝く光を目指してひたすらに駆けていく。
全く距離の縮まる気配はなく、徐々に気持ちが焦りに支配され始めた頃、漸く変化が訪れた。
薄い膜に押し戻されるような抵抗を全身に感じた。
クローム髑髏の言っていた骸の幻術のせいなのか、昴琉自身が僕の侵入を拒んでいるのか。
どちらにせよ、あの光に辿り着かなければならないことには変わりない。
構わず突き進むとフッと抵抗感が消え、辺りの景色が森に一変した。
背の高い木々が蔽う空の色は相変わらず真っ黒だったが、立ち並ぶ幹の間から漏れる淡い光は強さと実体を増したようだ。
昴琉に近付いている証拠だ。
光を目印に更に進むと、唐突に森が開け、蓮の花が咲き乱れる池のほとりに辿り着いた。
その中央では一際大きな蓮の蕾が淡い光を放っている。
光の正体はあれか。
現実にはあり得ない大きさの蕾。
小柄な人間ならすっぽりと包んでしまうほどの。
クローム髑髏はこの光を指して『昴琉様がいる』と言った。
この中に昴琉の心が捕らえられているのは間違いないだろう。
幻想的な光景に息を呑んでいると、横から聞き覚えのある声がした。
「おや…これは驚きました。まさか君が『ここ』へ現れるとは」
声の方を向くと、三叉槍を携えた六道骸が池のほとりに立っていた。
「…骸」
苦虫を潰したように彼の名を呟く僕を、骸は嘲笑う。
「昴琉を捨てた君が、今更何の用ですか?」
彼の問いは尤もだった。
ほんの少し前の僕なら、彼女の心の領域に足を踏み入れるなど出来やしなかった。
だが、今の僕に迷いはない。
僕は骸の視線を真正面で受け止める。
「愚問だね。昴琉を迎えに来たのさ」
「クフフフ…笑わせてくれますね。
どの口でそんな戯言を?あんなになるほど傷付けておいて」
「それを君が言うのかい?
僕になりすまして昴琉を連れ去り、軟禁した挙句に扱き使って…。
その上君は僕の忠告を無視して彼女に手を出した」
「言ったじゃありませんか。
貴方が見つけた時には、昴琉は僕の手に堕ちていると」
対峙する僕達の間に緊張が走る。
「―――こんな方法で昴琉を手に入れて満足かい?」
「……」
骸は微笑を崩さない。
それは己が非を認めているようなものだが、僕の問いに答えるつもりはないようだ。
僕は真っ直ぐに彼を睨みつける。
「―――今すぐ彼女を解放して」
「そうはいきません。
彼女は傷ついた心を癒す為に深い眠りについているのです」
「昴琉はそれを望んだの?
どうせ君が無理矢理幻術で閉じ込めたんだろう?」
「だとしても、今の彼女には休養が必要です。
あの蕾も昴琉の心が癒えるまで決して開くことはありません」
「つまり癒えれば開くんだね?」
「待ちなさい!」
池に向かって歩き出した僕の行く手を、すかさず骸が三叉槍で塞いだ。
「……昴琉は確かに忍耐強い。しかし根はか弱い普通の女性です。
―――我々とは違う。
君はいつも傍にいたのに、そんなことも分かっていないのですか?」
「分かってないのは君の方さ。
昴琉は強いよ。僕や君が思っている以上にね」
骸の顔からさっきまでの余裕の笑みは消え、険しい表情が取って代わる。
「自身のエゴの為に、彼女を薄汚いマフィアの世界に巻き込むつもりですか?!
心優しい昴琉が耐えられるとでも思っているのなら、それは過信に他ならない…!」
「―――君に言われるまでもないよ、そんなこと」
誰が好き好んで愛するヒトを危険な目に遭わせたいと思うものか…!
たとえ自身に危害が及ばなくとも、僕が危険な仕事をしていると知れば、あのお人好しの塊みたいな彼女が心を痛めないわけがない。
だから自分の仕事のことは一切説明せず、昴琉をマンションに閉じ込めた。
愚かな僕は、それで彼女を守っているつもりでいたんだ。
いつか露になる問題を先送りにしているだけで、根本的な解決になど遠く及ばないのに。
薄々彼女も勘付いていたに違いない。
それでも昴琉は何も聞かずに笑って過ごしていた。
昴琉はどんなに自分が辛くとも、決して優しさを捨てなかった。
得体の知れない僕を、笑顔で受け入れてくれた昴琉。
自分の想いを押し殺し、僕の為に引き金を引いてくれた昴琉。
全てを捨てて、僕と共に生きることを選んでくれた昴琉。
こうして思い出すのは、慈愛に満ちた微笑みと意志を宿した穏やかな瞳。
僕は池の中央で淡い光を放つ蕾を見据える。
「普通の女だったら惹かれたりなんてしない。
いつだって強くあろうと懸命な彼女に、僕は惚れたのさ」
2013.12.24
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