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視界の端に眩しさを感じて顔を上げると、昴琉の枕元に置いた水差しが、午後の柔らかな陽射しを反射し煌めいていた。
細めた目で時計を見れば、自分が小一時間ほど物思いに耽っていたことを示している。
開け放した襖の間を通って入り込んだ微風が、気ままに昴琉と僕の髪を撫でていく。
小さく息を吐いて手にしていた文献を閉じ、僕は目の前で静かに眠る昴琉に視線を落とした。
彼女の横たわる布団は部屋の中央に敷かれ、その周りには僕の読み漁った資料や文献が散乱している。
どれも昴琉の症例に似たものを取り扱ったものばかりだ。

眠りに落ちてから2週間。

呼び掛けても、肌に触れても、何の反応も示さず、昴琉はただ昏々と眠り続けている。
医者に見せても原因は不明。
入院させたところで栄養剤の投与程度の処置しか期待出来ず、それならいっそ連れ帰ろうとマンションよりも護りの強固な風紀財団の屋敷に彼女を運んだ。
簡単な治療なら僕にも出来るし、ここなら目覚めない原因を探しながら傍についていられる。

いつ貴女が目を覚ましてもいいように、ずっと。

部屋の奥にまで滑り込んだ微風は、壁際でトルソーにその身を預け、粛然と佇む純白のウェディングドレスの裾も揺らす。
それは婚約者である彼女の為に、僕が特別にあつらえたものだ。
上質な生地とレースをふんだんに用い、ふわりと優雅に広がるプリンセスライン。

可憐な昴琉にきっと似合う。

あの日の午後、彼女を連れてこのドレスを取りに行こうと思っていた。
それは昴琉が六道骸の一味に攫われたせいで実行されなかったけれど。

―――いや、僕のせいか。

ちゃんと貴女を守れていれば。
怒りに我を忘れなければ。
貴女の傍を離れなければ。

そうすれば、零れんばかりの愛くるしい笑顔でドレスに袖を通す昴琉が見られたかもしれないな。
何度後悔を繰り返したところで、過ぎてしまった時間は巻き戻せない。


―――恐らくこのウェディングドレスは、与えられた役目を果たせないだろう。


眠る愛しい彼女の頬を、そっと指先で撫ぜる。


ねぇ、昴琉……僕に失望して目を覚まさないのかい?


…失望されても仕方がないね。
あの時僕がしなきゃいけなかったのは、あの男が貴女にしたことを確認することじゃなかった。
自分の気持ちよりも、貴女の気持ちを真っ先に考えるべきだった。
たとえ何があろうとも、僕が貴女を想う気持ちが変わることはないと、優しく抱き締めて傍にいるべきだったんだ。

僕を赦してくれなくていいから、目を開けて。
幾ら罵っても構わないから、声を聞かせてよ。


このままじゃ、僕は貴女に一言ごめんと謝ることも出来ない。


触れられる距離にいるのに言葉を交わせない苦しみは、僕の心をじわりじわりと悪い方向へと押し遣っていた。
あの男の言うように、僕は貴女と出逢って弱くなってしまったんだろうか。
いや…あの男の戯言を信じようとするなんて、どうかしている。
自分らしからぬ考えに首を振って閉じていた文献をもう一度開こうとした時、背後に複数人の気配を感じた。
覚えのある気配。
瞬時に怒りが湧き上がる。


「―――よくもおめおめと顔を見せられたものだね」


肩越しに振り返ると、城島犬、柿本千種、そして六道骸と共にボンゴレ霧の守護者を務めるクローム髑髏が開け放した襖の傍に立っていた。
その横には、数刻前、沢田綱吉のところへ遣いに出した哲もいる。
哲が彼らをここへ案内してきたのは明らかだった。
恐らく沢田綱吉も一枚噛んでいる。

余計な真似を。

持っていた文献を畳の上に置いて立ち上がり、僕は昴琉を背にして庇うように彼らと向き合う。


「君達をこの屋敷に招待した覚えはないよ。
 それとも謝罪の為に、そろって咬み殺されにでも来たのかい?」

「ケッ!相変わらず可愛くねー奴だびょん!」

「君に可愛いなんて思われたくないね」

「なんらと!アヒル!」

「犬…!止めて…!」


安い挑発に熱り立ち、文字通り牙を剥く城島犬を、クローム髑髏が彼の前に回り込んで止めた。
一番の原因が自分だと分かっていても、彼らが昴琉を攫わなければ―――そう思うと腸が煮えくり返る。
いっそ彼女ごと殴り倒しても良かったが、哲が僕に伺いも立てず、彼らをここまで連れてきたのにはそれなりの理由があるのだろう。
唇を真一文字に引き、黙って僕を真っ直ぐ見詰める彼の目がそれを物語っている。
僕は軽く息を吐いて、一先ず溜飲を下げる。


「―――それで?骸の手下である君達が一体何の用だい?」


僕の質問に、真剣な面持ちでクローム髑髏が振り返った。


「犬と千種は付き添い…。私は昴琉様を目覚めさせる為に来た」

「…!君は昴琉が起きない理由を知っているの?」


神妙な面持ちでこくりと彼女は頷いた。
そして哀しそうに眉尻を下げ、自身にたった一つ残された左目で昴琉の姿を見つめる。


「―――昴琉様が起きないのは、骸様のせい」

「骸の…?!」

「骸様は深い哀しみに沈んだ昴琉様の夢に入り込んで、その心を幻術で捕らえて強制的に夢の世界に留めて眠らせている…。
 真っ直ぐ向き合うには辛過ぎる現実に溺れて、これ以上昴琉様が壊れないように…」


少なからず発端が昴琉の意志ではないことにホッとし、彼女が向き合えない程辛い現実を自分が作り出してしまったことを再認識して、握る拳に力が篭る。
しかもあの男が昴琉を癒そうとしているなんて。
唇を噛む僕をクローム髑髏は労わるようにそっと見る。


「でも、どれだけ時間がかかるか分からない…。昴琉様の心の傷が癒えるかどうかも…。
 確実に昴琉様を目覚めさせるには、貴方の協力が必要…」

「僕の?彼女が目覚めない大元の原因は僕なんだろう?」

「だからこそ雲の人にしか昴琉様は救えない…!」

「どうしてそう言い切れる…!
 現に骸が彼女を助けようとしているんだろう?!僕には出来ない方法で!
 第一修復を図るには、僕は昴琉を傷付け過ぎたんだ!」


八つ当たり以外の何物でもないと分かっていても、六道骸に先を越された悔しさから、自然声が荒くなった。
しかし臆することなく、クローム髑髏も声を荒げた。


「昴琉様は諦めてない!!」


不覚にも彼女の強い思いの込められた視線に、僕はたじろぐ。


「今も骸様に囚われた夢の中で、貴方のもとへ戻ろうともがいてるはず…!
 だって昴琉様は貴方のことを好きだって、ずっと一緒にいたいって、とても大切な人だって私に言ったもの…!
 私の看病をしながら、昴琉様はずっと貴方のことを想ってた!
 そんな昴琉様が、簡単に貴方を嫌いになるはずがない!」


彼女は胸の前で握り締めていた三叉槍を更に強く握りしめた。


「貴方と昴琉様は世界の境界を越えて引き合うほど、とても強く結ばれてる。
 その繋がりを無理に解いてはダメ。今度こそ本当に元の二人には戻れなくなってしまう…!」


クローム髑髏は言葉を失った僕に言い募る。


「雲の人、貴方も昴琉様が大切なんでしょ?!今ならまだ間に合うの…!
 お願い…!昴琉様を迎えに行って…!」


…まだ、間に合う?

あんなに傷付けたのに、まだ昴琉は僕を…?
―――いや、彼女の言葉を鵜呑みにするのは危険だ。
彼女は骸の一味。しかもその身に骸を憑依させることが出来るんだ。
昴琉と僕を引き離す為に、甘い言葉で僕を罠にかける気かも知れない。
けれどもし、もしも彼女の話が本当ならば―――…

クローム髑髏の真剣な眼差しと言葉に心が揺れ、期待と不安に思考が渦を巻く。
正しいと思える判断が下せない。
決断を迫られ、答えを求めるように彷徨う僕の目に飛び込んできたのは、穏やかに眠る昴琉の顔。


―――あぁ、四の五の考えるのはもう止めだ。


罠だろうと知ったことか。
他人に焚き付けられるまでもない。
この世の誰よりも、彼女に目を覚ましてほしいと思っているのは僕じゃないか。

僕にとって大切なのは、昴琉と彼女と過ごす日々。

だからこそ先の見えない研究も続けられたし、成功させることが出来た。
目覚めた昴琉に拒絶されたとしても、構うものか。
その時はその時だ。


僕は自分の流儀を貫けばいい。


気付いてしまえば、なんて簡単な答え。
胸の中に溜まっていた淀みを、僕はゆっくり深呼吸して吐き出した。


「彼女を…昴琉を救う方法を教えて」



2013.9.22


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