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120


最後まで抗いながら眠りに落ちた昴琉を、僕はしっかりと抱き留める。
予想していたとはいえ、まるで小鳥の翼から抜け落ちた羽根のようなその軽さにドキリとする。

今僕が抱いている昴琉の身体は、言わば彼女の精神そのもの。


それが酷く疲弊している。


当然だろう。
己の世界を捨ててまで愛した男に拒絶された精神的ショックは勿論のこと、再び僕と逢い、半信半疑ながらもあり得ないと思っていた真相を告げられ、更にダメージを受けたのだから。
このまま腕に力を込めれば、彼女の小さな身体は砕け散り、儚く消えてしまいそうだった。

恐らく現実世界の身体も。

何度か彼女の夢に潜り込もうとしたものの、近頃の昴琉は僕を避けて極力眠らないようにしていたようだった。
もっと早い段階で接触出来れば良かったが、浅く短い眠りの中で紡がれる彼女の夢を探り当てて侵入することは、僕の力を以てしても至難の業。

しかし、漸く深い眠りに落ちた彼女を掴まえることが出来た。

腕の中の昴琉に視線を落とせば、涙に濡れて光る睫毛に切ない想いが込み上げる。


―――これは、最後の賭け。


知らず詰めていた息を吐き、僕は昴琉の身体を抱え上げた。
そして蓮の花の咲く池へと向かう。
池の手前で水面の上を歩くイメージを浮かべ、躊躇わずに一歩踏み出す。
すると水中へと沈むはずの僕の足は、穏やかな水面を僅かに揺らして波紋を描き、陸地と同じようにその上を歩いた。

時には蓮の葉の上を、そしてまた水面をと、そのまま池の中央に向かってゆったりと歩を進める。

こうして貴女をこの腕に抱くのは何度目だったか。
本当の僕の身体で彼女に触れたことは一度もない。
それは幾度邂逅を重ねても、復讐者の牢獄に囚われた身では叶わぬ願い。


それでも直接精神に触れられる夢で逢えば、愛しく想う心はより強く揺さ振られる。


僕が歩く度に揺れる昴琉の髪。
触れているところから伝わる温もり。
貴女の何もかもが僕を昂揚させる。

このまま連れ去ることが出来たら、どれほど幸せなことか。


―――しかし今は、その時ではない。


軽く首を振って押し寄せる万感を払い、池の中心で立ち止まる。
僕は辺りに視線を巡らせ、ひとつの蓮の花に目星を付けた。
抱え上げていた昴琉の足を下ろし身体を右腕のみで支え、左手を宙に伸ばして意識を集中すると、手の中に三叉槍が現れる。
目星を付けていた蓮の花に向けてそれを翳すと、見る見るうちに蓮の花が広がって、人が乗れるほどの大きさになった。

その巨大な蓮の花の中心に昴琉の身体を横たわらせ、まだ涙に濡れたままの頬を指でそっと拭う。
僕の術によって強制的に眠らされた彼女は、哀しみに眉根を寄せ、今にも泣き出しそうだった。
自分勝手に満たされかけていた心がスッと欠け、自己嫌悪がそれに取って代わる。


こんな形で昴琉を追い詰めたくはなかった。


雲雀恭弥と相容れない僕に、当たり前のように手を差し伸べてくれた貴女を裏切りたくなかった。
出来ることなら貴女の笑顔だけを見ていたかった。
けれど…それでも僕は、貴女が雲雀恭弥のものになるのを、ただ黙って見過ごすことは出来ない。
そして彼の為に傷付く貴女も。


『恋愛』という感情は、なんと不合理で厄介なものだろう。


すみません…昴琉。
きっと貴女を苦しめる僕になど囚われたくはないでしょうが、今のままでは心も身体も哀しみに飲み込まれ壊れてしまいます。

ここは夢の世界。
夢の中でなら、復讐者の牢獄に捕らわれたままの僕でも、貴女を守ってあげられる。


今はただ、何も考えずお眠りなさい。


暫しの別れと想いを告げようと、昴琉の艶やかな唇に口付けようとしたその時、彼女の閉じられた瞳から涙が一滴はらりと零れ、僕は息を呑んだ。
胸が狭くなる感覚に、唇を噛む。



―――――こんな時でも、貴女は僕を拒絶するのですね。



僕は唇に口付けるのを止め、彼女の額へそっと唇を寄せた。

……だからこそ貴女は美しく、愛おしい。

労わるように髪をひと撫でして立ち上がり、数歩後ろへさがる。
蓮の花に三叉槍を向けて念を送ると、僕の意に沿って花弁が閉じ始める。
一枚一枚、花弁がゆっくりと立ち上がり、やがてそれは彼女の身体をすっぽりと包み込んだ。


この蕾は彼女の心を守る防壁。


昴琉自身の意思を以てしても、傷付いた心が癒えぬ限り開くことは決してない。
術をかけた当人の僕であっても、無理に開かせることは不可能。


唯一今、この防壁を乗り越えられる人間が存在するならば、それは彼女の最愛の男―――雲雀恭弥だけ。


皮肉にも、彼は彼女の心を疲弊させた最大の要因であり、最良の特効薬でもある。

しかし、彼が助けに来ることはない。

アレは僕の揺さ振りに屈し、貴女から逃げた。
未だ昴琉を手放せず迷っているようだが……どの道夢を渡る力のない彼が、ここへ辿り着くことは出来ない。
精々現実世界の昴琉の身体を守るのが関の山。
機を見てそれすら奪って見せる。

僕はいつまでも待ちましょう。
貴女の傷が癒え、僕を受け入れてくれる―――その日を。



『骸くん……君はあたしが欲しいんじゃないわ…だって君は…!』



眠りにつく直前、昴琉が放った言葉が不意に甦る。

貴女を欲する気持ちに嘘はない。
昴琉が健気に雲雀恭弥を想えば想うほど、報われない僕の想いもまた募る。



それは純粋な恋心と、もうひとつ―――不純な動機。



もしや貴女は、それに気付いているのですか―――?


答えを求めるように、僕は彼女を包む蓮の花に手を伸ばす。
しかし、その花弁は指先に柔らかな感触を伝えてくるだけで、微塵も開く気配は見せなかった。



2013.4.1


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