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119


一筋の光も射さない暗闇の中を、あたしの意識は音もなく落下していく。
このまま落ちていっては駄目だと、頭のどこかで警鐘が鳴っていた。


これはあたしの夢だけれど、きっとこの先に『彼』がいる。


今彼に会うのは危うい。
けれど会いたくないと思う気持ちは、落ちる速度にブレーキをかけてはくれず。

ただひたすらに、あたしの意識は下へ下へと落ちていった。


***


落下が止まり身体が底に着く感覚に、閉じていた瞼を押し上げる。

真っ暗…。

ゆっくり立ち上がって辺りを見渡す。
上も、下も、右も、左も。
やっぱりそこには闇が広がっていた。

ただある一ヵ所を除いては。

あたしは立ち上がって、闇の中に立つ人物の名を苦い気持ちで呟いた。


「骸くん…」

「昴琉…」

「来ないで!」


拒絶の声に、こちらへ歩み寄ろうとしていた骸くんの足がピタリと止まる。
会いたく、なかった。
けれど会ってしまった以上、あたしは彼に事実を問い質さなくちゃいけない。
雲雀くんとのこれからの為に。
意識のなかった自分では分からない『真実』を骸くんは知っている。
先延ばしにしたところでいつかは知らなければならない。
深く息を吸ってから、あたしは口を開いた。


「……雲雀くんが迎えに来る前、クロームの中にいたのは君なの?」

「―――はい」

「あたしの気を失わせたのも…?」


骸くんはあたしを見つめたままゆっくりと頷いた。
やっぱり、あの時『僕』と言ったのは聞き間違いじゃなかったのね…。
今はもう消えてしまって分からない首筋の痕をそっと押さえる。

―――きっと、大丈夫。何もなかった。

怖さで駆け足を始めた心臓を宥め賺し、あたしは思い切って彼に訊いた。


「あの時……君はあたしに何をしたの?」


あたしの質問に骸くんの形の良い眉がピクリと動いた。
訊かれることは、分かっていたのだろう。
こんな時でなければ見惚れる赤と青の双眸で、彼は真っ直ぐにあたしを見据え、静かに答えた。


「貴女が結婚する前に―――完全に雲雀恭弥のものになってしまう前に、実力行使に出ました」

「実力、行使って…」

「貴女も大人だ。男が想いを寄せる女性にすることなど、言葉にしなくても分かるでしょう?」


最悪の返答に、背筋がゾクリとした。


「冗談止めて…!痕以外にそんな痕跡…っ」

「昴琉、お忘れですか?僕は術師なのですよ。
 人の感覚を操り痕跡を消すなど、造作もないことです」


彼の幻術がどういうものか、あたしはこの身で経験している。
嫌な予感に項の辺りがぞわりと逆立つ。


「そ、それじゃ…本当に君はあたしを…」


いつもなら浮かんでいる笑顔が、今の骸くんの顔には欠片もない。
その代わり哀しげに眉を寄せ瞼を閉じて「―――すみません」と呟いた。

う、うそ……

謝罪の言葉の重みになけなしの支えを折られ、あたしはその場に膝から崩れ落ちた。

違うと思っていた。
違うと言って欲しかった。
心のどこかで「ちょっとした悪戯ですよ」と笑う骸くんを想像していた。

淡い期待を打ち砕かれ、受け入れ難い事実に抵抗するように小刻みに震え出した身体を、自身できつく抱き締める。


「―――どうして、そんなこと…っ」

「貴女が好きだから」

「好きなら何をしても許されるっていうの…?!
 あたしは君の想いには答えられないって言ったはずよ…!」


骸くんはぐっと唇を噛む。


「どれだけ酷いことをしたかは理解しているつもりです。
 それでも僕は貴女を自分のものにしたかった。
 ―――赦して下さい、昴琉」


眩暈が、する。


あたしの目の前に立つこのヒトは、一体何を言っているの―――?

本当に、力になりたいと思ってたのに…!
雲雀くんのいるこの世界へ連れて来てくれた君に、恩返しがしたいって…!

分かってる。
あたしの一方的な気持ちだって。

でもだからって、こんなことされて―――こんな形で気持ちを踏みにじられて、赦せるわけないじゃない…!

赦せる、わけ…ッ

自分の身体を抱く腕にぐっと力が篭る。


「ここから出て行って!今すぐ!
 二度とあたしの夢に入り込まないで!!!」


怒りと悲しみがあたしの声を張り上げさせた。
しかし骸くんは沈痛な面持ちで立ったまま、その場を動こうとはしない。


「―――ッ君が出て行かないのなら、あたしが出て行く…!」


自分の意志で夢から覚める方法なんて分からなかったが、このまま骸くんと顔を突き合わせてはいられない。

―――自我を保っていられない。

あたしは立ち上がって彼に背を向け走り出す。
しかしすぐに腕を掴まれた。


「待ってください、昴琉!」


ぐぃと引き寄せられ、あっという間にあたしは骸くんの腕の中に捕らわれる。


「いや!離して!」


激しく抵抗するも、小柄なあたしには彼の逞しい腕を振り解く力はない。


「昴琉…!僕の話を聞いて下さい」


これ以上何を聞かせようっていうの?


「嫌よ…!雲雀くん…っ雲雀くん…!」


あたしの居場所はここじゃない…!
そう思ったら無意識に彼の名を呼んでいた。

黒髪と同色の瞳を持つ、あたしの最愛のヒト。


雲雀くんならきっと助けてくれる。
雲雀くんならきっと―――


しかし身を捩り逃れようとするあたしを、骸くんは低い声で諭す。


「彼に助けを求めても無駄です。
 僕に穢された貴女をあの男が愛することは―――二度とない」

「!!」


冷や水を浴びせられ、一瞬にして全身が硬直した。
一番直視したくなかったこと。



雲雀くんに嫌われる。



それだけは―――それだけは認めたくない…!
認めてしまったらあたしは―――ッ
骸くんの胸を押して頭を振る。


「雲雀くんは、誓ってくれた…っひとりにしないと…約束してくれたもの…!」

「彼が約束を守る確証がどこにあるというのです。
 今だって貴女をひとりぼっちにしているではありませんか」

「―――ッ」


骸くんの言葉に息を呑む。
雲雀くんの気持ちを想えば、今の状況はなって然るべきだ。
彼が望んだのではなく、至らないあたしが彼にそうさせてしまったんだ。
雲雀くんの矜持を一方的に傷付けた相手に隙を見せ、付け入らせてしまったのだから。
けれど、骸くんの言葉も事実だけに否定が出来ない。
否定が出来ない自分に愕然とする。



それは、今度こそ本当にダメかもしれないと、あたし自身が思っているからだ。



今までだって言い争いや喧嘩はした。
その度に話し合って仲直りをしてきたし、それくらいで壊れてしまうほどあたしと雲雀くんの絆は弱くないという自負もあった。
けれど婚約指輪を抜き取った雲雀くんの行動が、最後に見た彼の顔が、あたしからそれを奪い去っていた。


あたしは雲雀くんを深く、取り返しがつかないほど深く、傷付けてしまったんだ。


目を背けていた事実を―――自覚してしまった。


力の抜けたあたしの手は、骸くんの胸を滑り落ち、だらりと下がる。
抵抗を止めたあたしを骸くんはそっと抱きすくめ、耳元に唇を寄せて殊更甘く優しい声で囁く。


「彼のもとに戻ったところで、貴女を待っているのは、最愛の者に愛されないという辛い現実だけです。
 それなら僕と―――「それでも…!」」


彼の言葉を遮る。


「―――それでもあたしは雲雀くんが好き…っ
 好き、なの…っ」


反発するように口から出た告白は、闇の中で弱々しく響き、吸い込まれ、消えた。
一番届けたいヒトに、この想いはもう届かないかもしれない。
今までのように愛してもらえないかもしれない。
きっと遠ざけられる。
だからといって簡単に想いは消せるものじゃない。


絶望を感じながらも、あたしの心は尚彼に焦がれている。


俯くと、込み上げていた涙が耐えきれずに両目から零れ落ちた。

骸くんは意地悪だ。
心が弱っている時にばかりこうしてあたしの前に現れて、雲雀くんと引き離そうとする。

ビアンキさんの時も。
今だって。
言葉巧みにあたしの逃げ道を塞ぐ。

それでも気持ちが流されずにいるのは、雲雀くんへの強い想いと、骸くんの抱くあたしへの想いへの小さな疑念のせいだった。


「骸くん……君はあたしが欲しいんじゃないわ…だって君は…!」


頬を伝う涙をそのままに、その疑念を骸くん本人にぶつけようと彼の顔を仰ぎ見た時だった。
骸くんの端正な顔がグニャリと歪み、真っ暗だった周囲がいつも彼と会っていた蓮の花の池のほとりに変化した。
それと共に襲い来る圧倒的な睡魔。


「お休みなさい、昴琉。今の貴女には休養が必要です」

「い、や…
 ひば、り…くんの、とこ…へ……かえ…し、て…―――」


眠るまいと彼にしがみ付きながら紡いだ切願の言葉に、骸くんはただ哀しげに微笑んだ。
そしてもう一度呪文のよう呟く。


「―――お休みなさい、昴琉」



2013.2.22


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