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マンション近くに停められた黒塗りの車。
その傍に立つと、合わせたように運転席のウインドウがスーッと下がった。
僕はマンションを見つめたまま、車中の哲に問う。


「昴琉の周囲に変化は?」

「…ありません」

「何か言いたげな顔だね」

「…恭さんがマンションを出てから桜塚さんの食事の量は減っています。
 恐らく睡眠もあまり取れていないでしょう」

「―――だから?」

「……周囲に変化はありませんが、今のままでは彼女自身が危うい。
 もう3週間ですよ?そろそろ戻る気には……っ」


殺気の込められた僕の視線に気付いた哲は、言葉を切って口を噤んだ。
僕は再び昴琉の居るマンションに視線を戻す。

 
「食事と睡眠はきちんと取らせて。
 彼女の身体に傷をつけないなら、手段は選ばなくていい」

「きょ、恭さん…」

「体調崩させたら咬み殺すよ」


そう言い捨てて、僕は哲とマンションに背を向け歩き出す。
自分の馬鹿な発言に嘲笑が漏れる。
体調を崩させている張本人が、どの口で言っているんだ。
心とは裏腹に、力強くアスファルトを蹴って歩く自分が酷く滑稽だ。

あれから哲は忠実に僕の命令を守り、昴琉の身の回りの世話をしながら監視を続けている。

彼は顔を合わせる度に僕に意見したそうにしていたが、今まで何も言わなかった。
あれは長く僕に仕えているから、言っても僕が聞き入れないことを知っている。
それでも意見したということは、見兼ねるほどに昴琉の状態が悪いのだろう。

僕だって―――戻れるのなら、戻りたい。

けれどあんなに酷いことをして、どの面下げて彼女のところへ戻れっていうの?
僕のした行為は決して無かったことになんてならない。
縦しんば戻ったとして、この先あれ以上の酷い仕打ちをしないとどうして言える?
今でさえ感情のコントロールが出来ずに、こうして距離を置いているというのに。


昴琉は僕が初めて好きになったヒト。


恋をして、愛を知って、初めて自分自身よりも大切なモノが出来た。
愛し方なんて知らないから、ひたすらに自分の想いを昴琉にぶつけた。

思い返せば返すほど、稚拙で独り善がりの恋。

それでも貴女は嬉しそうに笑って受け止めてくれたから、それでいいのだと思っていた。
他人にどう思われようが関係ない。
貴女が僕を理解し、愛してくれさえいれば、それで。


……けれど、きっと貴女は僕を嫌いになっただろうね。


元々昴琉は暴力を好まない。
僕が草食動物の群れを狩ることさえ快く思っていなかった。
その暴力が自身に向けられたんだ。
二度とあの愛らしい笑顔を僕に見せることはないだろう。

…だとしても、僕は昴琉への想いを断ち切れない。

今僕が彼女を手放せば、必ず六道骸が奪いに現れる。
あの男になんて決してくれてやるものか。
昴琉が僕以外の男のモノになるなんて、彼女に嫌われるよりも耐えられない。


―――正気で、いられない。


歩みを止めて振り返ると、まだマンションが見える。

走って戻ればたった数分の互いの距離。
それが今は、離れて暮らしたあの5年間よりも遠く感じるなんて―――


昴琉の白い首筋に刻まれた紅い痣。
僕の許可なく彼女に触れた骸を、赦すつもりは毛頭ない。

ただ、それ以上に自分が赦せない僕は、唇を噛み締めて再び昴琉のいるマンションに背を向けた。


***


翌日も。翌々日も。
雲雀くんはマンションに戻って来なかった。

―――3週間経った今も。

何があっても外に出るなという雲雀くんの言い付けはまだ有効で、毎日草壁くんが食料や日用品を届けてくれている。
雲雀くんからの連絡は、メールを含め一切ない。
草壁くんの話では、雲雀くんは風紀財団のお屋敷で寝泊まりしているらしい。
大きな仕事をしていて戻って来られないのだと彼は言っていたけど、雲雀くんがここへ戻って来ないのは、やっぱりあたしと顔を合わせたくないからだと思う。
今まで何を差し置いてもあたしの傍に居ることを優先し、実行してくれていたもの…。


嫌われちゃった―――よね。


雲雀くんが出て行ってしまってから、そればかりが頭に浮かび上がる。
何度も彼に連絡を取ろうと携帯を手にしたけれど、電話を掛けることも、メールを送ることも出来なかった。
理由はひとつ。

あたしを嫌いになった雲雀くんが取る反応が、怖い。

でも…嫌いになったのなら、どうしてあたしを追い出さないんだろう。
放り出すことだって出来るのに。
あたしの左手から婚約指輪を抜き取り去っていった君は、こうやって未だあたしをマンションに住まわせ、面倒を見てくれている。

まだ完全には嫌われていないの…?
それともあたしがこちらの世界の住人ではないから、放り出したくても放り出せないのかな。

マイナスにしか働かなくなっている思考では、どうしたって後者の理由がすんなり受け入れられてしまう。
もしかしたら、あたしをこちらに呼び寄せた時に使った、あの不思議な銃弾を作っているんじゃ…。

あたしを元の世界に送り帰す為に。

嫌…っ
雲雀くんとまた離れ離れになるなんて…!

今まで過ごしてきた雲雀くんとの日々は、本当に夢のように楽しくて、幸せで。
それがずっと続いていくのだと思っていたのに。


ねぇ、雲雀くん。
あたしの想いはもう一方通行なの―――?


共に添い遂げようと誓った胸が、太い釘を打たれたようにズキンと痛んだ。


「痛むんですか?」


かけられた心配そうな声色に意識を引き戻されて、あたしは声の主である草壁くんに「ううん」と首を振って見せた。
知らず知らずのうちに、あたしは眉を寄せ胸を両手で押さえていたのだ。
辛うじて彼の前では泣くことはなかったが、気を許している相手だけについ思い耽ってしまう。

草壁くんは少し前に訪ねてきた。
彼は食料品を届けに来てくれて、ちょうど15時を少し回ったところだったこともあって、一緒にお茶を飲むことになったの。
本来ならあたしがおもてなししなくちゃいけないのに、良い物があるからと彼がお茶を淹れると申し出てくれた。
今はその言葉に甘えて、リビングのソファで待たせてもらっていたところだった。


「それならいいんですが…。どうぞ」


草壁くんが差し出してくれたマグカップを受け取ると、鼻腔をリンゴのような甘い香りが擽った。


「わぁ、いい香り……カモミール?」

「流石女性ですね。ご明察の通りカモミールティーです。
 笹川さんと三浦さんから、桜塚さんにと」

「ぇ…?」

「あ、オレは何も言ってませんよ。
 このところメールの文面に元気がないと心配なさっておられて、直接会えない事情があるようだから、これを渡してほしいとお願いされました」


京子ちゃん、ハルちゃん。
両手でマグカップを包むようにして持つと、二人の屈託のない愛らしい笑顔が思い浮かぶ。


「……二人は元気だった?」

「相変わらずでいらっしゃいました」

「そっか」


メールのやり取りはしているけれど、外出制限があるから二人には暫く会っていない。
優しい彼女達に会ってしまったら、きっとあたしは泣いてしまう。
今ですら鼻の奥がツンとしているもの。
そうしたらもっと心配をかけてしまうだろうから、やっぱり会いたくても会えないな。
二人の優しさに似た、爽やかで甘い香りを胸いっぱい吸い込んでから、あたしはマグカップに口を付けた。
淹れたてのカモミールティーは少し熱くて、身体の内側を通る感覚がはっきりと分かった。


―――温かい。


カモミールティーって安眠とかリラックス効果があるんだっけ?
二人があたしを思って選んでくれて、それを草壁くんがこうして淹れてくれて…。
こんなに幸せなことはないのに、気持ちは沈んだままでずっと底の方を漂っている。

…元気出さなきゃ。

友人達が分けてくれた元気を取り込むように、カモミールティーを一口、一口と、ゆっくり身体に流し込む。
するとその都度身体から力が抜けて、抗えない眠気にふわりふわりと襲われた。
ハーブティーってあまり飲んだことなかったけど、こんなに急に効果があらわれるものなのかな…。
どんどん霞ががってきた思考は、それでも雲雀くんのことを考えて止まない。

このままでいいはずがない。
あたしはどうしたらいい?


―――どう、したいの…?


あたしはひとつ深呼吸をして、自分の心に問いかけてみる。


雲雀くんの気持ちが知りたい…。
たとえそれが、自分の望まぬ結果であっても―――


草壁くんが帰ったら、勇気を出して雲雀くんにメールを送ってみよう。
不安を押し退けて浮かび上がった答えを大事にしたい。

そう決意してカモミールティーを飲み干した時、あたしは耐えていた眠気に負けてゆっくり瞼を閉じた。



2012.12.24


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