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草壁くんについて玄関に行くと、靴を履き終えた彼がこちらを振り返った。


「何か食べたいものはありますか?」


正直食事をする気分ではなかったが、いらないと答えれば草壁くんを心配させてしまう。
笑顔を作って軽く首を振った。


「ううん、特には。草壁くんと同じもので構わないわ」

「分かりました。それでは」

「―――草壁くん」


あたしは玄関を開け、半ば外へ出た彼の背中に声を掛けた。
草壁くんはドアノブに手をかけたまま、小首を傾げてこちらを振り返る。


「どうしました?」

「……悪いのは、あたしだから」

「え?」

「あたしが不甲斐無いばっかりに、雲雀くんにあんなことをさせてしまったの。
 ―――だから雲雀くんは悪くないの」


脈絡なくかけられた言葉に草壁くんはちょっと驚いたようだったが、すぐに眉尻を下げて「…鍵、閉めておいて下さいね」と笑顔を浮かべて出て行った。
遠ざかる足音を聞きながら彼に言われたとおりに玄関ドアに鍵をかけると、途端に張っていた気が緩んだ。
身体から力も抜けて、その場に膝から崩れ落ちる。
急にあんなこと言って、変―――だったよね。


でも何か言わなければ、あのまま草壁くんが雲雀くんを問い質しに行きそうな気がして怖かった。


取り乱した姿を見せ、心配させてしまっていると分かっているのに、事情を説明しないのは友達として彼に誠実ではない。
けれどもし、自分の身に何か起きていたのならと思うと詳しくは話せない。

―――女として、話したくない。

状況だけ見れば、雲雀くんが悪者に見えてしまう。
きっと草壁くんは雲雀くんに事の経緯を訊くだろう。
勿論雲雀くんの性格上素直に話すわけがない。
そうなればきっと、二人は口論になる。

雲雀くんと草壁くんが言い争うのは嫌。

どうしようもなく手前勝手だと思う。
けれど幼少期に親戚をたらい回しにされたせいか、自分のことで諍う人を見るのは、酷く辛い。
その結果、年端のいかない子供のような説明しか彼にすることが出来なかったが、それが今のあたしの精一杯だった。

再びひとりになって、ぞわりと襲い来る寒心。


雲雀くんに…嫌われてしまったかもしれない。


彼が寝室を出て行ってから、その思考ばかりがぐるぐると頭の中で巡っていた。

骸くんのこと。
雲雀くんのこと。

立て続けに受け入れ難い事実が起こって、これからどうしたらいいのか考えが纏まらない。
指輪のない左手を右手で包んで自分の胸に抱え込む。

自分の身に起きた事実を知るのが怖い。

でも、知らないのはもっと怖い。


しっかりするのよ、昴琉。


草壁くんの前で普通にしている為には、この不安定な状態では駄目。
彼はすぐに戻ると言っていた。
時間はあまりない。


―――――確かめないと。


いつの間にか荒くなっていた息を、何度か深呼吸を繰り返して落ち着ける。
そしてあたしは、すぐにでも引っ込んでしまいそうななけなしの勇気を振り絞って、ドアノブに掴まりよろよろと立ち上がった。


***


「恭さん。ネクタイをお持ちしました」


襖の向こうから、予想していたよりも落ち着いた声が掛けられた。
マンションから戻って来た哲だ。


「…あぁ」

「失礼します」


一声掛けてから哲は襖を開け部屋に入ってきた。
その顔は声よりも感情を露わにしていた。

困惑と―――激しい憤りだ。

スーツから着流しに着替え、座布団に腰を据えている僕の傍まで歩み寄ると、哲は膝をつくように座り静かな声で僕に問う。


「…あれは一体どういうことですか?」


こちらは予想通りの反応だ。
僕は溜め息混じりに答える。


「…あれって?」

「桜塚さんのことです」

「君には関係のないことだ」

「横槍なのは重々承知しております。ですが、女性にあの仕打ちは……ぐあっ」


立ち上がり様に僕が放ったトンファーの一撃をまともに喰らい、哲の身体が吹っ飛ぶ。
彼の身体は派手な音を立てて畳の上を転がった。
僕は倒れた彼にもう一度言う。


「君には関係ない」

「し、しかし恭さん…!」

「煩いよ哲。僕と昴琉の問題だ」


体勢を立て直し、尚喰らいつこうとする彼を見下ろす。
僕の怒気を孕んだ視線に恐れをなした哲は、ビクリとその身を震わせた。
一瞬その姿が先程の昴琉に重なり、僕は哲から微妙に視線を外す。


「―――そんなに干渉したいなら、君には昴琉の監視を命じよう」

「か、監視?!」


吐き捨てるように下された命令に、哲が目を剥き驚きの声を上げた。


「そう、監視だよ。また骸が攫おうとするかもしれないからね。
 君は昴琉がまた愚かな行動を取らないよう、僕の代わりに見張っておくんだ」


見る見る彼の顔に苦渋の色が広がる。
哲は上体を起こし居住いを正すと、両膝に置いた拳にぐっと力を込め俯いた。
僕の命令を受諾するのを躊躇っているんだ。
迷うだけ無駄さ。
君は僕に逆らうことは出来ない。

今までも。
これからも。

やがて決意したように哲は僕を見上げた。


「…分かりました。けれど恭さん、今回ばかりはオレは貴方の命令では動きません」


意外な哲の答えに、僕は眉根を寄せた。


「―――僕に口答えするなんて……君、自分の立場が分かっているのかい?」

「分かっているつもりです。
 ですからオレは、友人として桜塚さんのところへ行きます」


哲の言葉に毒気を抜かれる。
僕を心酔している哲が、僕よりも付き合いの浅い昴琉を優先するなんて、微塵も考えていなかったから。


「桜塚さんもオレに事情を説明してはくれませんでしたが、悪いのは自分だと仰いました。
 あんな仕打ちを受けて尚、彼女は貴方を守ろうとしているんです」


まして昴琉が僕を守ろうとしているなんて。
彼女が僕を責めずに―――


そんなの、理不尽じゃないか。


責められこそすれ、守られる謂れなんて僕にはないのに。
動揺して言葉を失っている僕を、哲は淋しそうに見つめた。


「恭さん……オレは仲睦ましい御二人の傍に居るのが好きです。
 ―――ですからどうか、一刻も早い和解を」


そう言って畳の上に皺だらけのネクタイを置くと、哲は深く一礼して立ち上がり部屋を出て行った。



2012.8.12


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