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「#エロ」のBL小説を読む
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様子がおかしかったな、恭さん。

ネクタイなんて屋敷に予備があるのに、わざわざオレに取りに行かせるのもおかしい。
それにほぼ不眠不休で捜していたというのに、やっと見つけた桜塚さんをひとりマンションに残すなんて。


まるで彼女と顔を合わせたくないみたいじゃないか。


疑問を抱きながら恭さん達の暮らすマンションにやって来たオレは、エントランスでチャイムを鳴らした。
暫く待つが応答がない。
仕方がないので恭さんから渡された鍵でエントランスを通過する。
玄関先へ向かい、もう一度チャイムを押してみるが、同じ結果だった。

何かあったんだろうか?

鍵を渡されているとはいえ、女性ひとりの部屋にいきなり押しかけるわけにはいかない。
しかし、湧き上がる不安がオレの躊躇いを上回った。
躊躇っている間に何か起こっても事だ。
オレは一思いに鍵を使って玄関を開け、中に踏み込む。


「桜塚さん?いらっしゃいますか?草壁です」


靴を脱ぎながら声をかける。
中は暗かったが、ドアの隙間から灯りの漏れている部屋があった。
確かそこは寝室だったか。
最近来たばかりなので記憶も新しい。
傍にあったスイッチを押して廊下の灯りを点け、足早にドアの前に移動し、コンコンと軽くノックをする。


「桜塚さん?入りますよ?」


返事はなかったが人の気配を感じたので、一呼吸置いてからドアノブを握って回し、ドアを開ける。
果たして桜塚さんは居た。


ただ、放心したようにベッドの上に座って。


桜塚さんは少し俯いていた顔を上げて、虚ろな瞳でオレを見る。


「……草壁、くん?」

「ど、どうしたんですか…?!」


オレは彼女の状態に目を見張り、驚きの声を上げた。
彼女の細い手首が縛られていたからだ。
慌てて駆け寄ってベッドに上がり、桜塚さんの前に膝をつく。
彼女を拘束しているのは黒のネクタイだった。

まさか、そんな。


「…恭さん、ですか?」


桜塚さんはビクッと肩を竦ませた。
その反応はオレの言葉を肯定しているのと同じだった。


「―――すぐに解きます」


追求はせず静かに言って、オレは固く結ばれたネクタイを解きにかかる。


恭さんの様子がおかしかったのはこのせいか…!


抵抗したのかベッドは乱れ、視界の端で光っているのは割れた鏡の破片。

恭さんが深く桜塚さんを愛しているのは、周知の事実。
桜塚さんもまた然り。
オレ自身、誰よりも近くでそれを見てきた。
傍から見ていて幸せな気持ちになるほど、互いを思い遣り、愛しんでいたのに。


それなのに―――どうしてこんな…ッ


戸惑いながらネクタイを解くオレの手に、ぽつりと雫が落ちる。


「どうしよう、草壁くん…」


震える声。
手に落ちる雫は徐々に数を増していく。
解かれたネクタイは皺だらけで、彼女の手首には赤紫色の痕が残っていた。


「あたし、雲雀くんに嫌われちゃったかもしれない―――ッ」


一息に言って、桜塚さんは自由になった両手で顔を覆い泣き崩れる。
その左手の薬指に、恭さんが贈った婚約指輪は嵌められていなかった。


***


「大丈夫、ですか?」

「…うん。ごめんなさい…驚いたよね」

「いえ…」


リビングのソファでオレの淹れたコーヒーを受け取りながら、少し恥ずかしそうに笑う桜塚さんに、オレも同じように微笑んで軽く首を振った。
心配させまいと健気に微笑んでみせているのは火を見るよりも明らかで、その気遣いが心に痛い。


「いい大人が恥ずかしいわ」


そう言って桜塚さんは両手で包むようにして持ったコーヒーを一口飲んだ。
恥ずかしがっているが、わんわんと子供のように泣いたわけではない。

寧ろその逆で、声を殺して彼女は泣いた。

ついさっきまで涙を零していた瞳は真っ赤で、話す声も鼻にかかっている。
オレが割れた鏡を片付け、コーヒーを淹れている間に、大分落ち着きを取り戻したように見えるが、カップを持つ手はまだ小さく震えていた。
そんな彼女の横に腰を下ろすのは躊躇われたので、オレは絨毯に膝をついた。
いつもの彼女だったら許さない行動だったが、咎めないのは動揺が治まっていない証拠だった。


「草壁くんはどうしてここへ?」

「…恭さんにネクタイを取ってくるように言われまして」

「……そう」


ほんの少し気まずい空気がリビングに漂う。

彼女が泣いていた時に髪の間から見えた首筋には、手首同様―――いや、あれよりもくっきりと諍いの痕跡が刻まれていた。
さっき桜塚さんは恭さんに嫌われてしまったかもしれないとも言っていた。
婚約指輪をしていない理由もそこにあるのだろう。
事情を訊くのは憚られたが、このままにもしておけない。


「何があったんですか?」


オレの質問に桜塚さんはきゅっと唇を引き結んで俯いてしまった。
言いたくないのか、整理がついていないのか。
桜塚さんは押し黙ったまま身体を強張らせている。
何もないとは言えない状況だが、無理強いして聞き出したところで傷心の彼女を更に追い詰めるだけだ。


「笹川さんと三浦さんを呼びましょうか?」


続いた質問に桜塚さんはふるふると首を振った。


「…今は頭が真っ白だから」


嘘ではないだろう。
人は自分が受け入れられない事態が起こると、何も考えられなくなるものだ。
だが言外に二人を心配させたくないという配慮が見えた。
大切な友達故に知られたくないこともある。
その友達の枠にオレも入っているのだろう。

だからこそ彼女は理由を語ろうとはせず、無理をしてオレに笑顔を向けるのだ。

そして恐らく語らないことで、恭さんをも守ろうとしている。
そんな桜塚さんの思い遣りに、オレは益々遣る瀬無い気持ちになった。
しかし知ってしまった以上は無かったことになんて出来ないし、こんな状態の桜塚さんをひとりにしておけない。


「分かりました。…夕食はまだですよね?」

「え、えぇ」

「一度お暇します。
 弁当か何か買ってすぐ戻ってきますんで、一緒に食べましょう」
 
「うん」

「それから……恭さんから伝言で『何があっても外に出るな』と」


コーヒーカップを持つ手がピクリと動いたが、一拍置いて桜塚さんはこくりと頷いた。


「…うん、分かった」

「何かあったら遠慮せず、オレの携帯に連絡してください」

「ありがとう、草壁くん」


礼を言う桜塚さんの笑顔はあまりにも儚く、詳しい事情を知らないオレの胸を締め付けるのに十分過ぎた。



2012.7.7


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