08
共同生活を始めてから雲雀くんの生意気な口調や、そっけない態度は一貫して変わらない。
けど時折垣間見える優しさが増えたように思う。
それはあたしを受け入れ始めたと思っていいんだろうか。
絶対に懐かないと思っていた野良猫に、擦り寄られた時のくすぐったくも欣快を禁じえない気持ち。
それはとても心地好くて。
こんな毎日がずっと続けばいい。
そう願うことは罪でしょうか。
***
あの日以来どういう心境の変化か、雨だろうと晴れだろうと彼は毎日駅まで迎えに来てくれるようになった。
人混みが嫌いな彼は改札から一番遠い柱に寄りかかって待っている。
今日もいつものようにそこで待っていた雲雀くんと合流して、食材を買う為に帰り道の途中にあるスーパーに向かっていた。
その道すがら擦れ違った数人の男の人が雲雀くんを見かけるとビシッと背筋を正して頭を下げて、「これは委員長!ご機嫌麗しゅう!」とか「お勤めご苦労様です!」とか「異常は有りません!」て声をかけてきた。
口調でも分かるけど、みんな強面の人ばかり。
明らかに雲雀くんより年配の人もいる。
時には何やら彼に耳打ちしていく者もいた。
声をかけられた当の本人は動じる様子は微塵も見せず、「やぁ」とか「そう」とかたまに片手を挙げて答えていた。
この一種異様な光景は、雲雀くんと一緒に帰るようになった時には既にちらほら見受けられた。
一体あたしが仕事に行ってる間、雲雀くんは何をしてるんだろう。
まさか愛用のトンファー振り回して、裏社会に片足突っ込んでたりしないよね…。
どれ程雲雀くんが強いのかは知らないが、彼ならやりかねない気がしてどんどん不安になってきた。
「ね、ねぇ、雲雀くん。たまに擦れ違いざまに挨拶していく男の人達って…」
「あぁ、風紀委員だよ」
「へ?ふ、風紀委員?」
……どうみてもそんな面子じゃないんだけど。
『委員』って言うより寧ろ『組員』に見えるんですけど…。
呆気に取られているあたしを余所に雲雀くんは説明を続ける。
「昴琉、何処の世界でもちょっと裏路地に入れば、弱いくせに群れて強がる草食動物はいるんだよ。
そういう連中、僕は嫌いなんだ。
だから掃除ついでに片っ端から咬み殺して、丁度いいからそのままこの町の風紀委員会を作ったのさ。
仮にも僕の住む町の風紀が乱れているのは許せないからね」
いつもの生意気な笑みを浮かべ、何て事はない日常会話をしている体の雲雀くんと、それにそぐわない殺伐とした話の内容に目の前が暗くなる感覚があたしを襲う。
い、言ってることが滅茶苦茶だよ。
まさかとは思っていたけど、片足どころか自ら危険に飛び込んでたなんて…。
今までの雲雀くんの身のこなしで、彼が普通の中学生ではないとは感じていた。
トンファーを突きつけられた時や、絡んできた男達を追い払った時のことを思い出す。
部屋に入り込んでしまった虫をトンファーの一撃で仕留めてしまったこともある。
目の前で人を殴るのは見ていないけれど、今も学ランの下に隠し持っているであろうトンファーで、刃物や飛び道具と渡り合っていたのかと思うと背筋が凍る。
喧嘩なんてレベルの話じゃない。
これまでに怪我をして帰ってきたことはないし、あんなに怖そうな男達が彼を恐れて頭をペコペコ下げるってことは、それだけ雲雀くんが強いってことなんだろうけど…。
「……『風紀』の腕章も伊達じゃないってことね」
「まぁね。向こうでも僕は風紀委員長だったし、場所と人が違うだけで本質的にやってることに変わりはないよ。
だから貴女がそんな顔をする必要もない」
言われて自分が物凄く眉間に皺を寄せてしかめっ面をしているのに気が付いた。
慌てて眉間に入れていた力を緩め指で摩ると、「皺増えるよ」ってニヤッと雲雀くんが笑った。
……………………。
「雲雀くん。ちょっと屈んで?」
満面の笑みでお願いすると、雲雀くんは不思議そうにしながらも少し屈んでくれた。
ゴツッ
鈍い音が二人の間に響く。
思いっきりあたしが彼の頭に拳骨を落としたからだ。
全く以て予想外だったようで、今度は雲雀くんが呆気に取られる番だった。
「いきなり何するの」
「うるさいっ!どうせ雲雀くんのことだから何言ったって聞きやしないだろうけど、一回しか言わないからよく聞きなさいっ」
殴られた所を摩りながら雲雀くんがあたしをキッと睨む。
次の瞬間には既に彼の手にトンファーが握られていた。
ひ、怯むもんかっ
じんじんする手でビシッと雲雀くんの顔に指を突きつける。
「仮とはいえ、養い主のあたしが知らない間に危ないことしてるんじゃないわよ!
警察に捕まっちゃったり、怪我したらどうするのよ!
君の身元を証明する物は何もないんだよ?!」
「そんなヘマはしない。僕は強いよ」
「どれだけ雲雀くんが強くたって、絶対ヘマしないって保障は何処にもないでしょ?!
売られた喧嘩を買うなら兎も角、自分から危険に飛び込むなんて…!
本当に強い人はやたら滅多ら喧嘩なんてしないものよ。
知らない間に君が怪我したりしたら、あ、あたし…っ」
「………」
考えただけでもゾッとする。
自然と目が潤むけど、ここで泣くのは卑怯だ。
頭をブンブン振ってもう一度雲雀くんに指を突きつける。
「と、兎に角!結果的に裏社会を平定したのは良いことだと思うから、今回は目を瞑るわ。
もうやっちゃったことだからとやかく言わないし、喧嘩もするなとは言わない。でもあんまり心配させないで……。
それから皺増えるとか言わない!乙女はそういうの気にするんだからね!」
「言ってる事が無茶苦茶だよ。大体僕に命令するなんて…」
「うるっさい!つべこべ言わずに分かったら返事!」
「………分かった」
「よろしい!……うぅ、いったぁーっ!」
あたしは雲雀くんに突きつけていた手をもう片方の手で抱えるように摩った。
見事に赤く腫れている。
彼の頭を殴ってしまったのは、実はあたしにとっても予想外だった。
雲雀くんなら避けると思ったのに…!
そう思って思いっきり振り下ろしてしまったから、自分までダメージを負ってしまった。
あんなにふわふわの髪なのに、石頭だなんて…っ
そんなあたしを見る雲雀くんの目が怒気を孕んだものから、奇妙なものを見るような目に変わった。
それから吹き出すように笑い出した。
いつの間にか握られていたトンファーは姿を消していて、片手で口を押さえお腹まで抱えてる。
声は殺しているけど、雲雀くんがこんなに笑ってるのをあたしは初めて見た。
「本当に昴琉は面白いね。この僕を殴った上に、お説教するなんて」
まだ笑いの治まらない雲雀くんを見てたら、また腹が立ってきた。
ヒトのことバカにして…っ
本当に分かってるのかしらこの子は。
あたしはイライラを解消する為に雲雀くんを置き去りにして早歩きを始めた。
その後ろにまだ笑っているであろう雲雀くんがついてくる。
どんなに早歩きしても雲雀くんを引き離すことは出来ない。
すぐに手首を掴まれ後ろに引かれる。
バランスを崩して転ぶ覚悟を決めて目をぎゅっと瞑る。
でも思っていた衝撃は来なくて、代わりに雲雀くんの胸に倒れこんだ。
雲雀くんは後ろからあたしの耳に口を近づけて、ちょっと怖い声で囁いた。
「昴琉、僕も一言言っておく。僕は自分のしたいことしかしない。
今日は僕に怯まないその勇気に免じて許すけど、僕に命令しないでよ」
「―――ッ…分かってる、わ。
あたしは別に君を束縛したいわけじゃないし、言うことを聞かせたいわけじゃないの。
まして喧嘩をしたいわけでもない。あたしはただ…雲雀くんのことが心配なだけよ…」
「全く以て要らぬ心配だよ。夕飯ハンバーグにしないと咬み殺すよ」
「はぁ、何でそうなるのよ…」
フリーダムというか、我が侭というか、俺様というか…。
『咬み殺すよ』の一言に怒る気力を殺がれたあたしは溜め息混じりに「はいはい」と返事をした。
あたしの答えに満足したのか彼が掴んでいた手首を離してくれたが、何故か再び掴み直された。
不思議に思って雲雀くんの顔を振り仰ぐと、眉を顰めてあたし達がいるのとは反対側の歩道を見ていた。
「どうしたの?」
「……いや、何でもないよ」
そう言いながらも雲雀くんは投げた視線を外さなかった。
その視線が怖いのは気のせいだろうか。
暫くして手を離してくれた彼は「和風ハンバーグにしてよ」といつもの生意気な笑顔で話し出したから、この時はあまり気にしなかったんだけど。
***
スーパーに着いて野菜コーナーから順に売り場を回る。
買い物中は雲雀くんはとってもつまらなそう。
如何にも興味ございませんって感じで、カートを押すあたしの後を時々欠伸をしながらくっついてくる。
ハンバーグ以外の食べ物には無頓着なのね。
まぁいいんだけどね、雲雀くんらしくて。
今日もハンバーグを作る破目になってしまったと、トホホな気持ちで合挽き肉を選んでいると、不意に後ろから声をかけられた。
「あら?桜塚さんじゃない!今お仕事からお帰り?」
「あ、管理人さん、こんばんは。そうなんですよ」
「こんばんは。そう、毎日お仕事大変ねぇ」
「いえ、当たり前のことですから」
うちのマンションには住み込みの管理人さんがいて、色んなトラブルが起きた時に助けてくれる。
鍵なくしたり、水漏れトラブルとかね。
とってもいい管理人さんなんだけど、やっぱりそこは女の人よね。
世間話と噂話に目がなくて、よくマンションに住む奥様方と井戸端会議してるのを見かける。
…ちょっと厄介な人に捕まってしまった。
「こちらの素敵な男の子は桜塚さんの彼氏さん?
最近よくマンションでお見かけするけど」
そらきた。
噂好きな管理人さんにうっかり「そうなんです」なんて冗談でも言ったら、明日の夜にはもうマンション中の住人に伝わってしまう。
まして本当はパラレルワールドから来ましたなんて説明するわけにもいかない。
雲雀くんについて変な噂を立てられるのは困る。
あたしはなるべく自然な反応をするように注意しながら無難な答えを返すことにした。
「やだなぁ、従兄弟ですよ。
この子の両親が急に海外赴任になってしまって、けどこの子はこちらに残りたいと言うのでうちで預かってるんです」
「まぁ、そうなの!それは失礼なこと言っちゃったわねぇ。
いつも一緒で仲が良さそうだったから、つい…」
「いいえ!こちらこそご挨拶が遅れてすいません。
この子は恭弥っていいます。恭弥、ご挨拶は?」
無言であたしと管理人さんのやり取りを見ていた雲雀くんは、ちょこっと頭を下げた。
その後すぐにそっぽを向いてしまった。
期待してなかったけど、愛想無いなぁ、もう。
「す、すいません、無愛想で」
「いいのよ、いいのよ。年頃の男の子なんだから。でも二人でお買い物だなんて本当に仲がいいのねぇ。
あら、いけない!もうこんな時間だわ。それじゃまたね、桜塚さん、恭弥ちゃん」
そういうと管理人さんはレジに向かって行った。
ふぅ…何とか乗り切った…。
話を合わせてくれた雲雀くんの方を見ると、あからさまにムスッとしている。
「ふぅん。僕は従兄弟か。貴女もとんだ役者だね。
お陰で知らない人に『恭弥ちゃん』呼ばわりされたよ」
「あの場合は仕方ないじゃない。変な噂広げられても困るでしょ?」
雲雀くんに答えながら合挽き肉をカゴに入れようとしたら、先に国産牛挽き肉を入れられてしまった。
げっ!ちょっと、値段…!
文句を言おうと雲雀くんを見れば、目が「嫌な思いしたんだから牛じゃなきゃ嫌だ」と訴えかけている。
紛れもなく機嫌損ねちゃったね、これは。
あぁ…もう、分かったわよ。
牛買うわよ、牛!
それで雲雀くんの機嫌が直るなら安いもんですよ。
泣く泣く手に持っていた合挽き肉を売り場に戻す。
お給料日前で苦しい我が家の財政を思うと、嘆息せずにはいられなかった。
2008.4.18
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