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106


「…こら、犬くん」


あたしの窘める声に、廊下にしゃがみ込んでいた犬くんはビクッと身を震わせた。
ギィーッという古びたドアが開く効果音がぴったりな動きで、彼はこちらを振り返る。


「女の子の寝室をこっそり覗くなんてマネは止しなさいって、何度言ったら分かるの?
 心配ならちゃんと中に入って…」

「そ、そんなんじゃねーびょん!!!」


犬くんは顔を真っ赤にして勢いよく立ち上がると、ドタドタとあたしの横をすり抜けた。


「あっキッチンにお昼用意してあるから、千種くんと食べてね?」

「うるへー!飯炊き女!」


め、飯炊き女って…随分変な言葉を知ってるのね。
当初、彼の口の悪さにはカチンときていたのだけれど、毎度のことなので段々慣れてきた。
あたしは小さく息を吐いて気持ちを切り替え、クロームの部屋のドアをノックしようとして、足元に何か落ちているのに気が付いた。
……麦チョコだ。


「んもう、素直じゃないなぁ」


彼女の好物を持ってきている時点で、心配してるって言っているようなものよね。
あたしは苦笑を漏らしながらしゃがんでそれを拾い、クロームの食事を載せたトレイに一緒に載せて抱え直した。
ドアをコンコンとノックして声をかける。


「クローム、入るわよ?」

「…はぃ」


弱々しいけれど、内側から返事があった。
良かった。どうやら起きているらしい。
トレイを片手で支え、ドアを開けて中に入ると、クロームがゆっくり上体を起こした。


「お粥作ったの。食べられる?」


クロームはこくんと頷いた。
布団が掛けられたままの彼女の膝にトレイを置いてやると、クロームは「ぁ…」と小さく声を漏らした。


「…麦チョコ」

「うん、犬くんまた持ってきたのよ。
 ふふふ。クロームが元気になる頃には、机いっぱいになっちゃうかもね」


ベッド脇の机の上には既に、十数個の麦チョコが置いてあった。
全て犬くんが持ってきた物だ。
ただ顔を見に来るのが恥ずかしいのか毎回持ってくるのだけど、その度に直接渡さずドアの隙間から覗いて部屋に麦チョコを投げ入れるの。
ホント、素直じゃないんだから。
その麦チョコの山に埋もれるように透明な瓶が増えている。


「水飴?」

「千種が持って来てくれた」

「水飴も好きなの?」


クロームはちょっぴり嬉しそうに頷いた。
何かを頼むと「めんどい…」とばかり言う千種くんも、犬くん同様クロームの様子を見にちょくちょく現れていた。
無表情だし言葉も少ないけれど、彼も彼女を心配しているのよね。

……血は繋がってないけれど、みんな家族みたい。

悪いことをする人間には見えないのよね。
だからなのか、あたしも普通に彼らと接することが出来ていた。
連れ去られたっていうのにね。
あーぁ、また雲雀くんにお人好しって呆れられるわ。
小さく溜め息を吐いたあたしを、クロームが不思議そうに見つめた。


「昴琉様…?」

「何でもないわ。冷めないうちに召し上がれ。
 まずはお粥食べて、麦チョコと水飴は様子見て後で食べようね」


笑顔を浮かべて髪を撫でてやると、クロームはにかみながら「はぃ」と呟いた。


***


「……君もか」


少なめに装っていたお粥を綺麗に平らげ、しっかり麦チョコと水飴を堪能したクロームが寝付いて1時間が経った頃。
彼女の身体を借りて現れた骸くんに、あたしは思わず自分の額を指先で押さえてしまった。
クロームの姿で骸くんはクフフと笑った。


「大丈夫ですよ。この方法なら負担は最小限で済みますから」

「負担がかかっていることに変わりないじゃないの」

「…貴女に逢いたかったもので」

「―――ッ」


臆面もなく向けられた言葉にあたしが顔を赤くするのを見て、骸くんは愉しそうに微笑む。
骸くんってば現れる度にあたしが恥ずかしくなるような台詞ばっかり。
そういう人だって分かっているのに、一々反応してしまう自分が情けない。

雲雀くんとは違う色気があるんだよね、骸くん。

まぁ、それで雲雀くんへの想いが揺らいだりはしないけれど、恥ずかしいのに変わりはない。
あたしは恨みがましい視線をベッドに横たわる彼に向けた。


「ほんっっっとに、調子いいんだから!」

「クフフフ、本当に昴琉は可愛いですね」


ま、また…!
口下手な方ではないけれど、話術巧みな骸くん相手では切りがない。
しかしやられっ放しでなどいてやるものですか。
ベッド脇の椅子に腰を下ろしがてら、反撃を試みる。


「あたしをダシにしなくたって、クロームが心配だって言えばいいのに。
 骸くん、犬くんみたい」

「…あれと一緒にされるのは些か気分が良くありませんね」


とか何とか言っちゃって、クロームの様子だけでなく、犬くんと千種くんの様子もあたしに訊くクセに。
珍しく骸くんが苦虫を噛み潰したような顔をしたので、あたしは可笑しくなって一先ず溜飲を下げることにした。

クロームの看病を始めて3日。
初めの頃こそあまり現れなかった骸くんは、彼女の熱が下がり容態が安定するとちょくちょく現れていた。
勿論長い時間はクロームの負担になるから、会話は10分程度。
骸くんの境遇を考えると追い返す気になれなくて、なんとはなしにあたしも世間話に付き合っていた。
その会話の端々にクローム、犬くん、千種くんを思う彼の気持ちが感じられたのは、きっとあたしの勘違いなんかじゃないはず。

……あれ?

あたしを好きだと言ってくれた骸くん。
実は雲雀くん以外の何かの理由が引っかかっていて、あたしはその想いを額面通りに受け取れずにいる。
彼の気持ちを疑うわけではないけれど、もしかしたらその根底にあるのは―――


「昴琉?」


お喋りの途中で不意に考え込んでしまって、怪訝顔の骸くんに名を呼ばれた。


「あ、ごめん。何でもないの。
 そうそう!クローム、大分元気になったみたい。さっきお粥ペロッと平らげちゃったのよ?」

「そうですか。きっと貴女が作ったから美味しかったのでしょう」

「お粥なんて誰が作っても一緒よ」

「同じものを作っても、作り手が違えばそれはもう別の料理ですよ。
 ……僕も食べてみたいです、昴琉の料理」


そう言って微笑んだ骸くんに、あたしはいつかねと言いかけて、止めた。
囚われの身である彼と現実に会える日がいつになるのか分からなかったし、雲雀くんのことを考えると簡単に約束を交わすのは気が引けたから。
感情を隠すのは得意だったはずなのに、弱い自分を受け止めてくれる雲雀くんに出逢ってからは、どうも下手になってしまったみたい。
上手い言い訳が思い浮かばなくて曖昧な笑顔を浮かべると、骸くんは眉尻を下げてフッと笑った。


「正直ですね」

「…ごめん」

「いえ。……昴琉、手を握ってくれますか?」


布団から伸ばされたのは、白くて細いクロームの手。
これは骸くんの手を握ることになるのかしら…。
迷いながらあたしは黙ってその手を両手で包んだ。

…温かい。

クロームの身体を借りている骸くんにも、この温もりが伝わるのだろうか。
…伝わればいいのにと思う。
彼のいる牢獄は、ヒトが身を置くには暗く、冷た過ぎる。

―――――1日でも早く、骸くんが出られる日が来ますように。


「……ありがとうございます」


心が読まれたのかとハッとしたが、ベッドの上のクロームは瞼を閉じていた。
どうやら骸くんは彼女の身体を解放して、戻るべき場所に帰ったらしい。
来るのも唐突だったけど、帰るのも唐突なんだから。
短く息を吐いてクロームの手をそっと布団の中に仕舞う。


―――あたしもそろそろ雲雀くんが恋しい。


雲雀くんは仕事以外はずっと一緒にいてくれた。
だからこちらに来てから、こんなに長い間離れていたことはない。

せめて携帯持ってきてたらなぁ。

一度この家の電話を借りて雲雀くんに連絡しようとしたんだけれど、受話器を持ち上げたところで背後からぬぅっと現れた千種くんに切られてしまった。
挙句、二度とかけられないよう電話線を切られる始末。
勿論あたしが買い物に外へ行かせてもらえるはずもない。
結局未だに彼と連絡は取れず仕舞いだった。
この家が何処にあるのかは分からないけれど、どうにか雲雀くんに無事を伝えたい。

絶対、心配させちゃってるもの…。

左手の薬指に嵌めている婚約指輪を撫でながら、何か方法はないかと考えを巡らせていると、窓の方からコツコツと小さな音が聞こえてきた。



2011.12.3


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