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本当に、誰もいない…。

クロームの家のキッチンで、あたしは洗面器に水を入れながら室内を見回す。
定期的に掃除はされているらしく、荒れた様子はない。
けれど広く立派なこの家には温もりがなかった。

そう―――家族の温もりが。

普通に暮らしていれば、何かしらそういった痕跡は残る。
でもこの家にはそれがない。
住宅展示場のモデルルームのような感じ。
家具や家電、食器は揃っているけれど、ただそれだけ。
千種くんによれば、クローム自身もここへはあまり帰っていないとのことだった。
両親もいるようだが、やはり殆ど帰ってこないらしい。

あんなに可愛い娘を放っておいて、一体何処で何をしているのやら…。

あたし自身、幼い頃に親戚の家を転々とした経験があるけれど、両親や養父母と暮らした日々は楽しく幸せだった。
けれど彼女は一体どれだけ長い日々を孤独に過ごしてきたのだろう。

―――――折角の家族なのに。

骸くん達に出会う前のクロームの暮らしを思うと、酷く胸が痛んだ。
…いけない。
蛇口を捻って水を止めるのと一緒に、悪く傾きかけた思考を止める。
彼女が幸せかどうかは、他人のあたしが推測したって仕方がない。
それは本人にしか分からないことなんだから。

少なくとも今の彼女には『居場所』がある。


***


水を湛えた洗面器とタオルを持って、あたしはクロームの部屋に戻った。
クロームを寝かせたベッド脇の机へ洗面器を置き、水に浸したタオルを絞りって彼女の額にそっと乗せる。

相変わらずクロームの呼吸は荒く、辛そうだ。

出来ることなら素人のあたしの看病ではなくお医者様に見せるべきなのだけれど、犬くんも千種くんも絶対駄目だって言うし…。
彼らは兎にも角にも警戒心が強かった。
クロームの家に来るのでさえ、あたしに道を憶えさせない為に目隠しをして連れて来る始末。
犬くんがクロームを、千種くんがあたしをそれぞれおぶって移動した。
……この歳でおんぶとか、すっごい恥ずかしかったんだから!
とは言っても人目を避けて移動してくれてたみたいだから、誰かに見られてはいないだろうけど。

今二人はそれぞれ別行動。
千種くんが買い物へ、犬くんが玄関で見張りをしている。

部屋にあった椅子をベッド脇に持ってきて腰掛ける。
自然と深い溜め息が口から漏れた。


本当なら今頃、雲雀くんと出掛けてるはずだったのになぁ。


今朝の嬉しそうにあたしを抱き締めた彼を思い出すと、今ここにいることが申し訳なく思えた。
違和感を覚えたんだから、あそこでもっと疑えば良かったのよね。
携帯かけて確認するとかさ。
以前ディーノさんがマンションに訪ねて来た時も怒られたのに……あーぁ、また怒られちゃうなぁ。
だからといって苦しんでいるクロームをこのまま放って帰ることも出来ないし。

心配してるだろうな、雲雀くん。

せめて電話の一本でも入れられればいいのだけれど…。
後でクロームに電話貸してもらおう。
そんなことを考えて、ついまた溜め息を漏らしてしまった、その時だった。


「……クフフフ…雲雀恭弥のことが気になりますか?」

「ぇ…?」


突如かけられた声に驚いてベッドで寝ているクロームを見ると、彼女はこちらを見て微笑んでいた。
口元に浮かぶ優雅な微笑。
あたしはこの笑みに見覚えがあった。


「骸、くん?」

「えぇ。クロームが眠ったので、少し身体を借りました。
 …また逢えて嬉しいですよ、昴琉」

「……うん」


穏やかな視線を向けられてドキッとする。
夢の中で好きだと言ってくれた彼を振ってしまっていたから。
骸くんとはあれ以来の対面で、クロームの姿だとはいえ正直ちょっと緊張するし、気まずい。
けれど骸くんの方は気にしていないようで、以前と変わらぬ口調で話しかけてきた。


「この娘の看病を頼んでしまってすみません。
 千種がついているので大丈夫だとは思ったのですが、犬はあの通りですし…」


横になったまま、骸くんは困ったように深々と溜め息を吐いた。
確かに犬くんは、ね。
倒れてから食事はどうしていたのかと訊いたら、麦チョコあげてたとか言ってたし。
幾らチョコが栄養価高くたって、お菓子だからねぇ。
ちゃんとした食事からバランス良く栄養を摂取しなきゃ身にならない。
差別をするつもりはないけど、二人とも男の子だし、女の子の身の回りの世話をするには難儀するだろう。
骸くんがあたしを呼んだ理由も分かる気がする。
それだけクロームが大事な存在なんだろうな。


「それは構わないんだけど…。
 こんな誘拐みたいな真似しなくても、夢で言ってくれたらよかったのに」

「あぁ、そういえばそうですね」


骸くんは今の今まで失念していたという顔をした。
惚けちゃって。
彼が現れたことで先程の雲雀くんが骸くんの幻覚だったと確信した。
だけどどうして幻覚なんて…。
雲雀くんと一緒に住んでいるあのマンションには骸くんがおいそれと入れない結界が張ってあるらしいんだけれど、スケート場でのクロームとの接触でそれも効力を失っていた。
だからこそ、骸くんはあたしの夢に入り込めたのだ。
千種くんに幻覚を施して雲雀くんに成り代わりあたしを連れ出すなんて、そんな面倒なことをする必要は無かったはずなのに。

信用、されてないのかな…。

そう思うと少し悲しくなった。


「あたしに出来ることがあるなら協力するって言ったでしょ?」

「…彼がそれを許すと思いますか?」

「あのねぇ…雲雀くんだって鬼じゃないんだから。
 いくら雲雀くんが君のこと嫌ってたって、事情を説明すれば分かってくれるわよ」
 
「本当にそう思っているのですか?あの男が貴女以外の人間に情けをかけると」

「思ってるわ。それに雲雀くんはあたしに約束を破らせたりしない」


確かに傍から見れば愛想ないし怖いけど、雲雀くんは冷血漢ってわけじゃない。
第一そんな冷たい男だったら、自分の世界を捨ててまで彼と一緒にいたいなんて思わないもの。
まぁ…雲雀くんが素直に協力してくれるとはあたしも思わないけど、借りを作ったままなのは嫌だとかなんとか理由をつけて協力してくれるとは思う。
あたしがこちらに来られたのには骸くんの存在が不可欠だったことは、彼の手を借りた雲雀くんが一番良く分かっているだろうから。
協力すると言ったのはこちらが押し付けた一方的な約束だから、骸くんが当てにしないのも分かるけど……。

骸くんは驚いたようにニ三度目を瞬かせたが、すぐにクスッと笑う。


「全く…敵いませんね、昴琉には。理由は簡単です。
 夢に侵入するのにもそれなりに力を使いますし、同じ労力を消費するなら、より確実な方をと選択したに過ぎません。
 貴女が思っている以上に、雲雀恭弥は僕のことが嫌いですから」


雲雀くんの了承を得なければ、今のあたしは外出することは出来ない。
骸くんが係われば、雲雀くんは尚更渋るだろう。
あたしに協力の意志があっても、雲雀くんが障害となって時間がかかると骸くんは踏んだのだ。
合理的…といえば聞こえはいいが、拉致は行き過ぎでしょう。拉致は。
どうしてこう、極端かな…。
でも結果的に頼ってくれたのだから、信用されてないわけでもないのかしら。
そこではたと気付く。


「……ちょっと待った。
 こうやって身体を借りて話してて大丈夫なの?クロームに負担掛かるんじゃ…」

「流石昴琉。ご明察のとおりです」

「んもう!それなら話はここでお仕舞い。骸くんは帰った帰った!」


あたしは温くなったタオルをクロームの額から洗面器へ移しながら、わざと情無く言う。
すると骸くんは不満そうに唇を尖らせた。


「…随分と冷たいじゃありませんか」

「何とでも言いなさい。今はクロームの身体の方が心配よ」

「……」


あたしの返答にまだ戻りたくない素振りの骸くんは口を噤んだ。
全く……。
冷えたタオルを額に戻し、あたしは安心させる為に笑顔を向けた。


「安心して。クロームのことはちゃんと看病するから」


彼が戻りたくないのは、あたしと話したいからじゃない。
クロームのことが心配だからなんだと思う。
骸くんは小さく溜め息を吐いた。


「…では、最後にひとつだけ。
 クロームを普通の医者に診せることは避けて頂きたい。
 彼女は事故でいくつか内臓を失い、幻覚でそれを補っています。
 一般人に見破られるような御粗末なものではありませんが、無垢な彼女がモルモットにされるのは些か気分が悪いのでね」
 

あぁ、犬くん達が病院に連れて行かなかったのはそういう理由もあったのか。
それならそうと言ってくれれば良かったのに。
幻覚で失った内臓を補って延命するなんてことは、現代の医学じゃ決してあり得ない。
もしそんな夢のようなことが可能であるなら、医学界に激震が走るのは間違いないだろう。
医学の飛躍的な発展の為という大義名分のもとに、彼女が酷い扱いを受けるのは目に見えている。
そんなことになっては、あたしだっていい気がしない。
あたしは深く頷いた。


「分かったわ」

「…このところ、僕の為に無理をしていたようなので、きっと疲れが出ただけでしょう…。
 このまま暫く、休ませてやって下さい…」

「うん」

「……クロームを…頼み、ます……昴琉…」


最後に消え入るような声で念を押し、骸くんはクロームの大きな瞳を閉じた。



2011.9.24


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