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102


身支度を整えている最中にかかった一本の電話。

それは昴琉と離れて仕事に出掛けなくてはならない憂鬱な僕の心を、一瞬にして最高の気分に変えた。
嬉しさのあまり抱きつく僕を、昴琉は不思議そうな顔で見上げていた。

そんな彼女もこれから連れて行く先では、とびきりの笑顔を見せてくれるに違いない。

足取り軽く帰宅した僕は、スーツのポケットから鍵を取り出し開錠する。
しかし、開くと思われた玄関の扉は、ガチャンと音を立て僕の進入を拒んだ。
もう一度引いてみるが、やはり開かない。

昴琉が僕の帰宅を予想して開けておいてくれたのだろうか。
…いや、それはないか。
戸締りはきっちりするように言い含めてある。
もしも閉め忘れたのなら、無用心だと注意しなくちゃいけないな。
年上の彼女はしっかりしているようで、たまに抜けているから。
そこがまた魅力的なんだけどね。

そんなことを考えながら、僕はもう一度鍵穴に鍵を挿し込む。
今度は難無く開いた。


「ただいま」


靴を脱ぎながら帰宅を告げるも、返事は無い。

いつもなら飛んできて笑顔で出迎えてくれるのに…。

訝しんでキッチンへ向かう。
そこには恐らく昼食になるはずであろう作りかけのサンドイッチが放置されていた。

マーガリンの塗られた食パン。
スライスされ、少し表面の水分を失ったトマトとキュウリ。
まな板の上に転がっている剥きかけの卵。


昴琉の姿は―――ない。


換気の為に細く開けられた窓から入り込む風が、ふわりとレースのカーテンを揺らす。



嫌な、予感がする。



「昴琉?」


浮かれていた心に不安の細波が駆け足で広がっていく中、僕は名を呼びながら彼女の姿を探す。


「昴琉、何処にいるの?」


リビングにも、洗面所にも、寝室にも彼女はいない。

ただ出掛ける準備は整っていたようで、リビングのソファには荷物の詰まったバッグが、テーブルの上には携帯電話が置いてあった。
財布はバッグの中にあったから、食材が足りなくて買い物に出掛けた線は薄い。
発信機を仕込んだオルゴールボールも、寝室のドレッサーに置かれたままだ。
室内に荒らされた形跡はなく、僕が仕事に行く前と変わらない状態が保たれている。



ただ、彼女だけが欠けていた。



まさか…恐れていた最悪の事態が現実になってしまったというのか。
受け入れ難い事実に、僕は呆然とした。
虚脱感に襲われるまま、寝室のベッドに腰を下ろす。
今朝ここで彼女を抱き締めた。
本当なら今だって昴琉は僕の腕の中にいるはずだったんだ。


昴琉が消えるなんて……


―――――いや、そんなはずはない。

最悪の事態、つまり昴琉が自身の世界へ帰ってしまう、もしくは彼女自身の消滅に思い至り固まってしまっていた思考を、僕は頭を振って再開させる。
僕が昴琉の世界で生活していた時だって、突然消えることはなかった。
特殊弾を使わなければ、世界を越えることはあり得ない。
あれのストックは作っておらず、製造方法を知っているのはごく一部の人間だけだ。

頭を冷やせ。

今現在、彼女が姿を消す一番高い可能性。
それは―――――


六道骸。


彼が復讐者の牢獄を出たという情報はない。
けれどあの男の仲間が昴琉の周辺で目撃されていたのは事実。
跳ね馬からも注意を促されていたほどだ。
骸が何らかの目的で自分の仲間に指示を下し、昴琉を連れ去ったのはほぼ間違いないだろう。

普段の僕なら真っ先に思い浮かぶべきはこちらだというのに。

昴琉が絡むと冷静でいられない自分に心の中で舌打ちする。
骸本人でなければ、昴琉を奪われることはないと高を括っていたことは否めない。


僕としたことが何て失態だ…!


女を甚振る趣味はないだろうが、少なくともあの男も昴琉に惹かれている。
その意味でも彼女の身が案じられた。

一刻も早く昴琉を連れ戻さなくては。

彼等の根城は分かっている。
恐らく昴琉もそこだ。



六道骸―――――僕の女に手を出したこと、後悔させてあげる。



絶望は既に怒りに変わっていた。
ベッドから腰を上げて得物を確認し、僕は大股で寝室を後にした。



2011.7.31


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