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「わぁ!かーわいいっ」
並盛商店街にあるペットショップ。
雲雀くんと一緒にお買い物に行く途中だったあたしは、そのショーウィンドウに思わず両の掌を張り付ける。
大きな欠伸をしていた仔猫はそれに気が付いてこちらに寄って来ると、小さな肉球でぺちぺちケージの窓を叩いた。
うぅ、可愛い…!
愛らしい仔猫の仕草にときめいて頬を緩ませていると、雲雀くんも少し屈んで一緒にショーウィンドウを覗き込んできた。
「人懐っこいね」
「ねー。足元覚束ないけど生まれたばかりなのかしら。ちっちゃくて可愛いなぁ」
「猫、好きなの?」
「遥ほどじゃないけど好きよ。犬とか鳥とか…わりと動物全般好きかも」
「ふぅん」
雲雀くんは少し考えるように仔猫とあたしを交互に見る。
それからドキッとするくらい優しい笑みを浮かべてこちらに手を差し出した。
「少し覗いてみようか」
***
ペットショップを満喫し、買い物も終えて帰宅。
食材を冷蔵庫に仕舞って、干してある布団を部屋の中に取り込む作業に取り掛かる。
ソファに寝そべろうとした雲雀くんを捉まえて、あたしはその腕に取り込んだ布団を抱えさせた。
「寝室に運んでおいてくれる?」
「………わかった」
彼は嫌そうに半眼であたしを見下ろしたが、念を押すようににっこり笑うとお手伝いを了承してくれた。
ダブルベッドだから布団もそれなりに大きくて、小柄なあたしがひとりで運ぶのはちょっとした重労働。
彼のお昼寝の邪魔をしてしまったのは心苦しいけれど、一緒に使ってるものだし…まぁ、いいよね?
勝手に納得して残りの毛布を取り込む。
それを抱えて再び部屋に戻ると、そこには取り込んだ布団をその場に敷いて、気持ち良さそうに寝転がっている雲雀くんがいた。
軽く膝を折り曲げてまるで猫みたいに丸くなっている。
時折雲雀くんって猫っぽいなぁと思うんだけれど、さっきペットショップに行ったからか余計にそう見えて。
―――可愛い…じゃなくて!
取り込んだばかりの布団がふかふかで気持ち良いのは分かるけど、運んでくれないとベッドメイキングが出来ない。
あたしは毛布を抱えたまま雲雀くんの傍に立って彼を見下ろした。
「コラ。お布団運んでくれるんじゃなかったの?」
「…運ぶよ、後で」
「猫じゃないんだからそんな所で寝ないのっ」
ちょっと口を尖らせて文句を言うと、雲雀くんの口から意外な言葉が発せられた。
「にゃぁ」
「!!」
「猫ならいいんでしょ?」
小生意気な笑みを浮かべて、雲雀くんは視線だけをこちらに寄越す。
それを受けて自分の顔がかぁっと熱くなるのを感じた。
は、反則…!反則だよ、それ!!
かっこいい人に可愛いことされると、何かこう母性が擽られるっていうか…ってい、いけない。
このままじゃ雲雀くんのペースに嵌められちゃう。
あたしは気を取り直して彼の説得にかかる。
「んもう、屁理屈言って…!風邪引くわよ?」
「平気だよ」
「きゃっ」
雲雀くんはあたしが抱えていた毛布の裾をむんずと掴んで奪い取ると、器用にそれに包まった。
い、意地でもここで寝るつもりなのね・・・。
仕方ない。ベッドメイキングは後回しにしよう。
諦めて小さく溜め息を吐くあたしに、雲雀くんは頭をちょっと浮かせて、その下の布団をぽふぽふ叩きながら言った。
「ねぇ。これで枕があれば完璧なんだけど」
寝室から枕取ってこいって……ことじゃないわね。
あたしを見上げる雲雀くんの瞳は眠そうに半分閉じているが、明らかにあたしの膝を要求している。
今までの経験上、断っても恐らく無理矢理させられる。
本当に手のかかる子。
でも世間じゃそんな子ほど可愛いとも言うのよね…。
「夕食の準備するまでの間だけよ?」
あたしは苦笑しながら布団の上に腰を下ろし、彼の頭の下に自分の膝を差し入れる。
雲雀くんは自分の要求が通って満足したのだろう。
「うん」と返事をしてあたしの膝に頭を預けてきた。
戦闘好きな雲雀くんもあたしの前では無防備。
何だかんだ我が侭を言われても、そういう姿を見せられては甘やかしたくなってしまう。
それにしても…布団を寝室に運ぶのも億劫なくらい眠かったのだろうか。
「お仕事忙しいの?」
「…大したことないよ」
ということは忙しいのね。
あたしは素直じゃない彼の言い回しに心の中で苦笑した。
心配させたくないからなのか弱みを見せたくないからなのかは分からないが、雲雀くんは忙しくても忙しいとは言わない。
疲れたなんて滅多に言わないし。
遅くなることはあっても必ず帰ってきてくれるから、無理してるんじゃないかなとは思ってたんだけど。
ウェディングドレスもあれこれ悩んでいるようだし、今日は買い物に連れ出さずゆっくりさせてあげれば良かったかな…。
ごめんね、雲雀くん。
今では珍しい日本人然とした彼の漆黒の髪を労るようにそっと撫でると、瞼を閉じたまま雲雀くんが呟いた。
「何か飼っても良かったのに」
唐突にそう言われ、あたしは一瞬彼が何のことを言っているのか分からなかった。
けれどすぐにさっき行ったペットショップのことに思い至る。
あの時雲雀くんは気に入った子がいたら飼ってもいいと言ってくれていたのだ。
あたしはゆっくり首を横に振った。
「いいのよ。飼いたかったわけじゃないもの」
そう言っておいて、ふと自分の発言に違和感を覚える。
そういえば…雲雀くんと出逢う前、あちらではペットを飼いたいと思ってたっけ。
元彼が嫌いで飼えなかったけれど、別れてしまったのだから飼っても良かったのよね。
別れたその日に雲雀くんが転がり込んで来たのだけれど、本当に飼いたければそんなの関係なかったはずだし。
……どうして、飼わなかったんだろう。
育ち盛りの同居人が増えても、かつかつの生活ってわけでもなかった。
いつか別れが来ると覚悟していたんだし、飼っていた方が断然良かったよね。
そういえば一度拾った猫扱いされたと勘違いした彼に怒られたっけ。
でもそれがきっかけでお互いの気持ちを知って。
あの頃はまだ雲雀くんも中学生だったんだなぁ。
―――なんだか懐かしい。
思い耽るあたしに、雲雀くんは眠たそうな声でゆっくり問いかける。
「僕がいない間、淋しいんじゃないの?」
淋しい?
そうよね……親友や彼氏もいたし決して孤独ではなかったけれど、淋しさを感じていたんだわ。
ペットを飼って淋しさを埋めようと考えていたんだから。
でも今は、不思議と感じていない。
仕事をしていない分、以前よりもひとりでいる時間が長いはずなのに―――何故?
「……昴琉?」
怪訝そうにあたしの名を呼ぶ雲雀くんと目が合う。
吸い込まれそうな深くて綺麗な、黒。
あたしを映すそれは、鋭いけれど、とても温かくて……
―――――あぁ、そっか。
理由に気が付いて、思わず笑みが漏れる。
今にも寝てしまいそうなのに、頑張って眠気に耐え心配そうに見つめてくる彼の瞳を、あたしはそっと手で覆った。
「大丈夫よ。ヒバードもお茶しにきてくれるし、それに―――」
こんなことを言ったらまた雲雀くんは怒るだろうけれど。
あたしは彼を愛しく想うありったけの気持ちを込めて呟く。
「大きな黒猫くんの世話で手一杯だから」
掌にさわさわとした感触。
雲雀くんが驚いて目を瞬かせた拍子に睫毛が触れたんだろう。
ふふ、くすぐったい。
子供扱いするなと怒ると思ったのに、雲雀くんは意外にも黙り込んで頬を赤らめた。
そして心なしか嬉しそうに、
「……そう」
と呟いた。
やがて小さな寝息が聞こえてくる。
そっと瞳を覆っていた手を外し、露になった彼の安心し切った寝顔を見ていると、胸がじんわりと温かくなった。
雲雀くんと出逢ってから沢山振り回されたのもあるけれど、こういった幸せを沢山くれるから淋しくなんてないんだよね。
『好き』も沢山くれて、とても大切にされてるって分かるし。
いつだってあたしの頭の中は雲雀くんのことでいっぱいで。
しかももうすぐ、あらゆる世界で一番愛おしい君と『家族』になれる。
思い返せばペットが欲しいと思ったのは、あたしを引き取ってくれた老夫婦が亡くなった後だった。
きっと仮初めでも衣食住を共にする『家族』が欲しかったんだと思う。
ひとりでいることへの不安の表れだったんだね。
『家族』を二度失ってしまったあたしに、雲雀くんはプロポーズしてくれた。
ひとりにしないと誓ってくれた。
本当に、あの時のことを思い出すと今でも涙が出るほど嬉しくて……。
彼の仕事は危険に満ちているけれど、今度が最後の『家族』でありたいと願わずにはいられない。
―――――君の代わりに愛せるものなんて、もう考えられないから。
2011.4.18
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