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「じゃあ義人、行ってくるからなー」

「留守番よろしく」


軽く手を挙げて了解を告げた俺を確認して、翔たちが玄関から出て行った。これでようやく静かになった。のんびり本が読める。そんなことを思いながらゆったりとソファに腰掛ける。

貸し切られたコテージ内に、それまでほとんど聞こえなかった鳥のさえずりがこぼれた。

Waveメンバー総出演の特別ドラマの撮影のため、都心から数時間離れた高原へとやってきて数日。順調に撮影が進んでいたこともあって、今日は半日オフをもらえていた。意気揚々と近くのアウトレットへと遊びに行こうと計画をたてる翔たちに、俺が付き合うはずもなく、こうして1人留守番を買って出ている。

こんな明るい時間からゆっくりと本が読めるなんてどれくらいぶりだろう。開け放たれた窓から吹く東京よりだいぶ冷たくなった風が薄いカーテンを揺らして光が入り込む。文字の列が反射して、眩しさに一瞬目を細めた。

風は清々しいけれど、これでは目が痛くなる。窓を閉めようと窓辺へ近づくと、それまで見向きもしなかった景色がなんとなく目に止まった。
遠くの山は少しずつ茶や赤をまとい、すでに夏の気配はない。反して敷地内の野性味溢れる庭は緑を残して生き生きとしていた。所々に見える紫の花がコントラストを引き締めていて、妙に惹き付けられた。

そのせいなのか。なんだか引き寄せられるようにウッドデッキから外へと足が向く。


「………」


太陽はまだ高く、柔らかいながらも日射しは強い。手に持ったままの文庫本はなんだか場違いだな、と木陰へと移動した。

普段であれば、こんなところで読書をしようなんて思わなかっただろう。仕事とはいえ、日常とは違う、いわゆるリゾート地に来て、無関心を装いながらも俺も少し気分が高揚しているのかもしれない。


「…………」


花を潰すことのないように、座る場所を選んでそっと腰を落ち着けて、あまり太くない幹に背を任せて。身体のおさまりが良くなったのを感じてから、指を挟んでいたページを再び開いた。



どれくらい時間がたっただろう。カサッという葉の音で意識が現実へと引き戻される。


「…あ………」

「………」

「ごめんなさい、邪魔しちゃって」

「いや……」


熱心な追っかけがこんなところまで嗅ぎ付けたのか。どこから紛れ込んできたのだろう。そんなことが頭を掠めたが、それは次の彼女の言葉でかき消される。


「あなた、ここのお客さん?」

「………?」

「この間からのお客さんはずいぶん賑やかな人たちだなって思ってたから……」


そう言いながら、さらっと肩を滑り落ちる長い髪を慣れた手つきで耳にかけて、彼女はふわっと笑う。

その笑顔は、整った顔を見慣れた俺でも、思わず見とれるほど柔らかくて。後から思えば、この笑顔一つで、俺は彼女にとらわれてしまっていたのかもしれない。


「賑やかなのは…しょ…友達」

「ふうん。…大勢でこんなところまで遊びにきてるくせに1人でいるなんて、変わった人ね」


あ、そもそもこんな時期にここに来るのも珍しいか。と、彼女は一人納得するように呟いた。くるくる変わる表情が、驚くほど白い肌と揃って強烈な印象の彼女は、俺に興味があるようだ。それでも俺が俺だとは知らないようで……。


「きみは?この辺の人?」

「…この辺…?……うん、そんな感じ」

「……?」

「この辺はよく散歩してるから」

「ああ……。えっと……」

「わたしエミ。あなたは?」

「………」


一瞬ためらった。俺たちがここで撮影をしているということが公になれば、人が殺到して撮影どころではなくなる。


「…名前、ないの?」

「…あるけど」


思ってもない切り返しに観念する。下の名前だけをぼそっと伝えると、エミは満足そうに微笑んだ。


「義人くんかあ……。ね、何してたの?」


この季節には少しそぐわない薄手の紫色のワンピースに、質の良さそうなファージレをまとった彼女は、膝と手をついたかと思うと、ぴょんと跳ねるように一気に距離を近づけて、ずいっと俺の手元を覗き込む。


「……本。…読んでる……」

「本……?ふうん?面白いの?」

「……ああ」

「散歩よりも?」

「……ああ」

「ふうん……」

「…内容にも、よるけど」


くりっとした大きな瞳が本から視線を移して俺を覗き込むから、つい言葉を付け足した。そんな俺の内心を読んでいるのか、満足そうな顔をしたエミは俺の隣に座りなおす。

「そっか。おしゃべりしたり、散歩する人が多いから。そんな楽しみ方もあるって初めて知っちゃった」

「…時間の使い方は人それぞれだし……」

「ふふふ、そうだね」


それから、彼女は俺に色々な質問を繰り返す。その本はどんなことが書いてあるのか、普段はどんなことをして過ごしているのか、どんな人と一緒にいるのか。聞かれたことにぽつりぽつりと、それでも素直に言葉を紡ぐことが出来たのは、彼女の質問が飾りっ気のないものだったからだろうか…。


「…義人くんのまわりは義人くんのことが好きな人ばっかりだね」

「え?」

「いいなあ……」


そう言われて、ふと自分の日々を思い返した。賑やかでうるさくて、いつも騒がしいメンバー。そういう雰囲気が得意でない俺が、なんだかんだでこうして長く一緒にいる。とはいえ、それが苦痛でもなくて。

好きだとか、嫌いだとか、そういう照れくさいことを考えたことはなかったけれど、あながち、外れてないかもしれない。
初対面の彼女にそんなことを言われるとは思っていなかったのもあって面食らっていると、エミはかくんと首を曲げて不思議そうな顔をした。


「わたし、変なこと言った?」

「…いや………」

「そう?ならいいけど」


それから少し、この辺りのことをエミに聞いた。彼女の話は読んだことのない本のように興味深くて面白くて、きっとこんな目線で世界を見ることが出来たら全く違う人生を歩めるんじゃないか、なんて気にさせる。

話の切れ間に、エミは大きなあくびをした。隠すこともしないその奔放さに、ふと、距離の近さを感じる。


「……眠い?」

「……うーん。秋は忙しいの。もうすぐ冬が来るから」

「…この辺はスキー客も多そうだな」

「うん………」


葉の隙間を抜ける日射しがきっと眠気を増長させるんだろう。少しずつ重たそうになるエミの瞼に気付きながらも、あえて別れを切り出すこともしなかった。

心地良いのはこの木漏れ日と時々抜ける風のせいだけではない。この、隣にいる存在がなんだかとてもほっとする。柔らかい毛布に包まれているようにさえ思えるほど居心地がよくて、この時間がずっと続けばいい。

長い睫毛で桃色の頬に影を落として、いつの間にかエミは眠ってしまっていた。脱力した彼女の身体の重みが肩越しに伝わってくる。


初対面の男の前で普通寝るか?とか常識的なことを思いつつも、この状況にときめいている自分は否定出来ない。

彼女の柔らかさが、皮膚から、目から、鼻から伝わってきて、こんな穏やかな状況だというのに、落ち着かない。

このままできるだけ長く眠ってくれていたらいい、などと思いつつ、彼女を誰にも見せたくない矛盾が胸に広がった。


…京介とか翔とか……亮太にも、一磨にだって知られたくない。この子のことを知っているのが自分だけだったらいい。俺だけが知っている、秘密でいてくれたらいい。


…それがどういう想いであるのか、はっきりとは言い切れないけれど……。


「……エミ………」


そっと、名前を呟いてみる。
起こすことがないように。


少しずつ葉の色が輝きを失っていく。そっと上空を見上げれば、青かった空もいつの間にか赤みを帯びていて……。


「あ、義人!そんなとこにいた!」


聞き慣れた声にそれまでの丸みを帯びた空気が一瞬で弾けた。


「何してんの、そんなとこで」

「1人で木陰で昼寝とか、いくらお忍びだからって義人くん危機感なさすぎー」

「え………?」

「風邪ひくぞ。そろそろ部屋に戻った方が…」


少し遠慮がちな一磨の声はほとんど耳に残らなかった。いつの間にか重みの感じない半身に瞬きばかりを繰り返す。

こつ然と姿を消した。つい今まで確かにここにいたのに。手を伸ばせば届きそうな柔らかさは既に幻となり、風に揺れているのは彼女の髪ではなく、背の低い草。

そこにいたことが嘘のようですらあるけれど、この肩に残る温もりが、エミが確かにここにいたことを証拠づける。その頼りない証も止まない風によって少しずつ奪いかき消されていく。


「………」


にわかには信じられず、立ち上がったままその場からなかなか離れられない。


「あ、うさぎ!」

「え?」


翔が俺に向かって指差した。その点線を追うように振り返ると、少しだけ離れた場所に、ちょこんと座ったままこちらをじっと見つめるうさぎが一羽。


「………」





Yearning for her lingering scent.
(夢だとは思いたくない)





空の朱色を取り込んだ庭をあとにし、ウッドデッキから振り返る。

彼女の服と同じ紫のリンドウだけが色を残して揺れていた。





end
(20101014)

 


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