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ドクッと大きく心臓が動いた気がした。まるで漫画の中の描写みたい。こんな風に拍動が強くなるなんて。暑くもないのに背中がカッと熱を持って変な汗が噴き出すのがわかる。

ノックをしようとゆるく丸めた手の平をぎこちなく体側へ戻した。こんなところを誰かに見られたら嫌だな、なんて思うから、背筋を伸ばして。……あとは顔をあげて、何もなかった、聞こえなかったことにしてこの場を去ればいい。それだけでいいはずなのに。

まるでこり固まってしまったかのような首は重たい頭を持ち上げることができない。


「………っ」


かろうじて収まっている手の平をぎゅっと握ることで、身体をなんとか翻した。そうして私は交互に前に出る自分の靴を凝視しながらもと来た道を歩く。楽屋の並ぶ廊下には窓一つない。そうだ、そのせいだ。空気が薄いから私はこんなに息苦しいんだ。


何も見ずに、誰にも見られずに。はやくここから逃げ出したい。
外の空気を大きく吸い込んで浄化したい。


意識して履くようになってようやく慣れてきたヒールの高い靴。逃げる私の後ろからコツコツ、という大人の女性らしい足音が追いかけて来る。その音だけがなんだか1人歩きをしているようで、背伸びをした不安定な自分の虚しさをより強調しているような気さえした。


「はあ……」


閉塞感から解放されて、大きく息を吸い込んだ。そしてこの負の感情も一緒に吐き出せたら、と思う。ようやく空を見上げれば、星など見えない黒くて明るい東京の天井。


『一磨、順位下がってんじゃん』


思い出したくない言葉が再びスパークした。思わず目を瞑る。

知ってる。私だってその記事を見たもの。定期的に特集される有名雑誌の「好きな男ランキング」。他にも彼氏にしたいとか、抱かれたいだとか、今後伸びてくるだろう期待ができる男だとか。今までいち読者に過ぎなかったときは、人気の目安くらいにしか捉えていなかった。けれど、今は違う。


……一磨さん、どう思ったんだろ。


共演の歌番組の収録が終って、挨拶がてらWaveの楽屋を訪れた。ノックをしかけたときに聞こえてきた言葉は、昼間移動中に見たこの雑誌の話題。



『な、umumのランキング見た?』

『ああ、抱かれたい男?』

『…それだけじゃないだろ…』

『ほら見ろよ!へへー!俺好きな男ランキングで初めて一磨より上なんだよ!』

『えー、明日雨なんじゃない?』

『なっ!どういう意味だよ!』

『俺は?抱かれたい男、今年もトップ10入ってる?』

『だから、お前は……』

『あ、一磨、彼氏にしたい男にいないじゃん。ずっと名前あったのに』

『……やっぱエミちゃんの存在は大きいんじゃないの?』



これ以上は聞きたくない。聞けない。そう思ってあの場から逃げ出した。こんなランキング、一方的な押しつけみたいなものだって分かっている。芸能人なんだ。彼も自分も。一面しか見えていない人たちの理想と独断にすぎないって理解している。

…それでも。やっぱりこれは世間の目であって評価であって。アイドルである彼にとってファンの存在も人気の有無も外すことはできないものだ。自分という存在がトップアイドルとしての彼の足を引っ張ってしまっているのでは、と、意識の隅に追いやっていたものを引っ張りだして来るのにこの記事は十分すぎるパワーをもつ。

「帰ろ……」


今日はこのあと一磨さんの部屋に誘われていた。その気だった。でもとてもそんな気分じゃない。何も知らなかったように振る舞うなんてできそうもない。一磨さんがこんな記事で心変わりするような人じゃないって分かってる。…分かってるけど。

でももし、その彼の態度が違ったら?表情が暗かったら?

……こわい。
あの優しい笑顔を曇らせてしまうことが。

……失いたくない。
あのあたたかく私の身体を包み込んでくれる腕を。

人を好きになるとこんなに臆病になるだなんて、知らなかった。

もう一度空を見上げる。ビルとビルの隙間からようやく覗く黒に吸い込まれていきそう。吸い込まれて消えてしまいそうな気さえする。


疲れたとか事務所に寄らなきゃだからとか、言い訳を考えながらカバンから携帯を取り出した時、同時に手の中のそれが震えた。


「……!」


想って想って止まない彼からの着信。液晶と睨み合って意を決して通話ボタンを押す。


『もしもし?』

「あ、……ハイ」

『今楽屋行ったんだけど……えっと、…仕事入った?』

「えっと……いえ、あの……」


ブルンッと低いエンジン音を鳴らしながら大きなバイクが横をすり抜けた。


『…………。あれ?外?』

「あの、その……」

『ん?………もしかして、さっきこっちの楽屋来てくれてた?』

「…………」

『今、どこ?』

「…………局の、げ、……玄関でたとこ」

『うん、わかった。俺もすぐ出るから、そこで待ってて』

「で、でも、私っ……」

『俺がエミちゃんに会いたいんだ。ダメかな』

「…………」

『すぐ行くから、待っててね』


私の名を紡ぐ一磨さんの声。優しい音色が身体中に染み渡って、さっきまでの消えてしまいそうな自分を染めていく。


好き。
たまらなく、好き。


背伸びをしても根本は変わらない。いや、たとえ大人の女性であったって、この原始的で根本的な感情にきっと捕われるんだ。




Undoubted feelings for you.
(だってもう止められない)




「ファンはすごく大切だけど、エミちゃんの存在とは別次元だよ?わかる?」

「……わ、かるけど……」

「けど?」

「………」

「……ははっ。またふくれてる」

「もう!」


笑わないでよ、と彼を小突こうとあげた右手は簡単に掴まれて、そして2人の距離が一気に縮まる。


「……こんなことで不安にならないくらい、これからもっとエミちゃんのことを愛すよ」


ぬくもりは変わらない。それどころかますます居心地の良さを増す。

背中に回された腕の力がふっと強くなった。

「一磨さ……」

「……ていうか、俺がすごく好きなんだってまだ伝わってないみたいだから……」

「え……?あ、……んっ……」


オレンジの照明が落とされて、部屋の壁が青白く息を潜めた。






end
(20101003)


 


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